幸せの話 後編


「お兄ちゃん!凛さん!おかえりなさい!」

久々に竈門家へと帰れば禰豆子ちゃんが満面の笑みで迎えてくれる。その後ろには私達よりも先に到着していた善逸と伊之助。そして禰豆子ちゃんと一緒に過ごしてくれている義勇さんの姿があった。

「善逸さん達も昨夜訪れてくれて…皆が揃うなんて本当に久し振りで嬉しい!」

禰豆子ちゃんには善逸達と予定を合わせたことは伝えておらず、あくまでお互いが偶然近くまで来ていたため竈門家に寄ったことにしていた。先に知らせてしまうと、何か特別なことがあると勘繰られてしまうからだ。

「禰豆子」
「うん?何、お兄ちゃん」
「これを禰豆子にと思って…受け取ってくれるか?」

え?と。禰豆子ちゃんは何のことか分からず炭治郎から大きな包みを受け取る。何か全く思い当たらない禰豆子ちゃんはそれを受け取ると「とりあえず二人とも中に入って」と私達を家へと招き入れてくれる。そして包みを開くと──

「……え?」

信じられないものを見たような表情を浮かべた。

「俺から禰豆子への贈り物だよ」
「お、兄ちゃん…私こんな…う、受け取れないよ」
「どうしてだ?」
「だって、私はいつもお兄ちゃんに与えてもらうばかりで、…この着物も、高かったんでしょう?もっと大切なことにお金は使わないと…」
「俺にとって。禰豆子に綺麗な着物を贈りたいという気持ちは何よりも大切なことだったんだ」

炭治郎の言葉に禰豆子ちゃんが目を見開き、その大きな瞳からぽろっと涙が溢れた。
炭治郎にとって大切なこと。それは禰豆子ちゃんの幸せを願うこと以外あるはずがない。禰豆子に綺麗な着物を着させてやりたいとずっと思っていた。皆の分まで、禰豆子には幸せになってほしいと。炭治郎は着物を選び終えた後、私に教えてくれたのだ。

「お兄ちゃん……」
「禰豆子、生きていてくれてありがとう。禰豆子がいたから、俺は頑張ることが出来たよ」
「…そんなの!私もそうだよ!」

禰豆子ちゃんが炭治郎に抱きついて涙を流す。本当に、禰豆子ちゃんが生きていて。そして人間に戻ることが出来て良かった。そう思っていると鼻の奥がつん、と痛くなるのが分かる。炭治郎と禰豆子ちゃんの姿に感動して私まで泣いてしまいそうだ。ふと、善逸達の姿を見ると──

「……あははっ!」
「? 凛?」

思わず吹き出してしまい、そんな私の様子に炭治郎と禰豆子ちゃんも周りの様子に気付く。

「うぅ〜〜…っ!!炭治郎ぉ、禰豆子ちゃん…!ほん、ほんと…お前らさぁ…!」
「な、泣いてねぇ!!俺は、泣いてねぇ…!これは、汗だ!!」
「………俺も泣いていない」

なんて言いながら善逸と伊之助は大号泣だし、義勇さんは耐えているようだけど耐えすぎて目が真っ赤だ。
皆、嬉しいんだ。炭治郎と禰豆子ちゃんが幸せであることがこんなにも嬉しい。それこそ涙を流してしまうほど。
暖かい空気の中、炭治郎と禰豆子ちゃんは本当に綺麗な笑顔を浮かべるのだった。


***


「は?天女っているの?ここはなに?天国?禰豆子ちゃんは女神?」
「何言ってんだ紋逸」
「いや!?お前こそ見てみろよ!?あの着物をあれだけ着こなす女の子を俺は他には知らないね!」

炭治郎の贈った着物に身を包んだ禰豆子ちゃんは本当に、言葉に出来ないくらい綺麗で。それこそこの前すれ違った女性なんて比べ物にならない。え?世界一綺麗じゃない?炭治郎の妹、可愛過ぎませんか?

「も、もう…善逸さん…!」
「禰豆子、似合ってる。綺麗だ」
「義勇さんまで…ありがとうございます」

照れながらも微笑んでお礼を言う禰豆子ちゃんはやっぱり可愛らしくそして綺麗だ。

「禰豆子ちゃん。本当に、本当に似合ってる!とっても綺麗…!」
「凛さん…ありがとうございま──」

す、と言いかけて禰豆子ちゃんはハッ!と。何かを思い出したかのように炭治郎の元へと詰め寄っていく。

「禰豆子、着物凄く似合ってるな!良かった…着てくれてありがとう」
「お兄ちゃん、ありがとう…でも!凛さんには何もないの!?」

禰豆子ちゃんの言葉に皆の視線が炭治郎に集まる。が、当事者である私としては禰豆子ちゃんが何故そんなことを言うのか全く分からない。炭治郎が着物を贈りたかった相手は禰豆子ちゃんだ。私ではない。むしろ禰豆子ちゃんに着物を贈ってあげるよう背中を押した自覚すらある。

「え、ええっと…」
「確かにこの着物は凄く嬉しいし一生の宝物にするよ?でも、駄目でしょ!お兄ちゃんにとって一番大切なことを蔑ろにしちゃ!」

いや、炭治郎にとって大切なことは……あれ?そういえば炭治郎。大切なことは二つって言ってたっけ。

「確かにぃ?炭治郎は凛には何もないわけ?そんなんじゃ愛想尽かされちゃうよ?」
「え!?そんなわけないでしょ!」
「なんだ権八郎。凛のこと雑に扱ってんのか?」
「い、伊之助…!?」

二人とも何を言い出すのか!私が炭治郎に愛想を尽かすなんて誓ってもないと言い切れるし、炭治郎に雑に扱われたことなんて一度もない。いつも優しくて、思いやってくれて。時には自分よりも私を優先しようとするから困るくらいだ。

「炭治郎。漢を見せろ」

義勇さんが炭治郎の肩をぽん、と叩くと炭治郎はそれはそれはもう顔を真っ赤にさせて「あぁー…!」と大きな溜息をつき、私の前へと移動をしてくる。え、何。

「凛。俺にとって大切なことは二つあるって言ったのを覚えているか?」
「え?うん…」
「一つは禰豆子の幸せなんだ。俺にとって禰豆子の幸せは何よりも大切なことで願っている」
「うん、知ってるよ」

そう言って微笑めば炭治郎も優しく微笑んでくれる。むしろ炭治郎の大切なことはそれ以外思いつかない。


炭治郎がもう一度大きく深呼吸をして、懐から取り出したのは──指輪だった。

「凛。俺にとってもう一つの大切なことは凛の幸せで…これは俺の我儘なんだが、凛は俺が幸せにしたい」

炭治郎が、真っ直ぐと真剣な目で私の目を見つめる。嘘なんてつけない炭治郎の我儘。それが本気であることが伝わってくる。

「俺にとって一番の幸せは禰豆子の幸せなんだ。だけど、俺自身が幸せにしたいと思ってるのは凛だよ」
「炭治郎……」
「えっと…左手を出してくれるか?」

照れたように笑いながらお願いしてくる炭治郎に、私はすぐに左手を差し出した。指輪を持った炭治郎の右手が私の左手に触れる。いつも暖かい炭治郎の手は緊張のせいか冷え切ってしまっていた。

「改めてなんだが…必ず幸せにします!俺と結婚してください!」

そう言って炭治郎は私の左手の薬指に指輪を嵌めた。それが何を意味するか、知らないわけがなかった。

鬼を人に戻す旅に出たあの日。炭治郎はいつかの善逸の真似をして私に結婚を迫った。そんな炭治郎の申し出を私は二つ返事で承諾をした。だって私は炭治郎が好きで、炭治郎は私と結婚したいと言ってくれたから。たとえ先が短い人生だとしても…いや、先が短い人生だからこそ誰よりも好きな炭治郎と少しの間でも夫婦になれるのは本当に嬉しかった。


あの日から。
ううん。きっと炭治郎に出会った日から私はずっと。


「炭治郎」
「は、はい」

少し緊張をしたように。だけど手を離すことなく私の目を真っ直ぐに見つめて炭治郎が私の言葉を待っている。返事なんて決まりきっているのに。

「炭治郎と一緒にいれることが、私の一番の幸せだよ。改めてですが…」

よろしくお願いします。と頭を下げると炭治郎が思い切り私に抱きついてくる。ありがとう、大好きだ!と連呼する炭治郎に皆は拍手をしてくれたり騒いだりしてくれてとても賑やかだ。
私から離れた炭治郎に善逸と伊之助がこの野郎!おめでとう!と炭治郎に飛びかかり義勇さんも楽しそうに炭治郎達を眺めている。

「凛さん」

炭治郎が善逸と伊之助と義勇さんに絡まれているのを幸せな気持ちで眺めていると、綺麗な着物を見事に着こなしている禰豆子ちゃんが声をかけてくれる。その姿はやっぱり本当に綺麗で、誰でも目を奪われてしまうのではないかと思うほどだ。

「本当に、ありがとうございます」
「ううん。私じゃなくて、その着物を贈りたいって言ったのは炭治郎で──」
「いえ、着物ではなくて。着物も勿論嬉しかったんですけど、お兄ちゃんのことです」
「え?」

禰豆子ちゃんは本当に嬉しそうに微笑んでくれる。まるで心配事が消えたような慈愛に満ちた表情に目を奪われる。

「お兄ちゃんはいつも、自分のことは後回しで人のことばかり気にかけちゃう人でした。そんなお兄ちゃんはいつか、心がすり減ってしまって消えてしまうんじゃないかって。私はそんなお兄ちゃんがずっと心配だったんです」

それはまさに炭治郎が禰豆子ちゃんに抱いていた気持ちと同じようなもので。この兄妹はお互いのことをちゃんと見ていて、そして自分のことには少し鈍感で。そんな似ているところもまた愛おしい。

「だけど、凛さんに出会ってお兄ちゃんは変わりました。ちゃんと、自分の欲しいものを欲しがれるようになったんです」

六人兄妹の長男だった炭治郎。本人はあまり気にしてはいないかもしれないけれど、彼の人生はきっと我慢ばかりだったのだろう。それが炭治郎の当たり前で、疑問に思うことすらなかった少年。
そんな炭治郎は今、はっきりと私を欲しがってくれている。自分の意思で、自分の欲しいものを欲しいと言えるようになったんだ。

「じゃあ次は、禰豆子ちゃんの番だね」
「え?」
「禰豆子ちゃんもお兄ちゃんにそっくりだよ。自分のことは後回しで、譲って人に与えてしまう。炭治郎もそんな禰豆子ちゃんをきっと心配してる。だから──」

自分で言うのは、違うかもしれない。
だけど敢えて言わせてもらいましょう。

「禰豆子ちゃんも。炭治郎にとっての私みたいな人を早く見つけなきゃね」

……うん!恥ずかしい!
だけど、その。炭治郎が欲しいものを欲しいと言えるようになったというのなら、それはきっと甘えられる存在が出来たからだと思うわけで。そしてそれは恐らく、きっと、多分、私だろう。
そんな私の言葉に禰豆子ちゃんはとても楽しそうに笑い声を上げた。

「あはは!本当にそうですよね!お兄ちゃんばっかり狡い。私も凛さんみたいな人に早く出会いたいなぁ」
「禰豆子ちゃんなら引く手数多だろうからなぁ。その点は私も炭治郎も心配かも」
「大丈夫です。私、見る目はあるので」

自信満々でそう言う禰豆子ちゃんと笑い合う。うん、禰豆子ちゃんなら大丈夫だと確信が持てる。しっかり者の竈門家の長女。そんな彼女が肩の力を抜けるような相手に出会えることを願っていると、やっと解放された炭治郎が私の隣に来て微笑んでくれる。そんな私達の様子を見て禰豆子ちゃんは悪戯っぽく笑顔を浮かべた。

「いいなぁお兄ちゃん。私も凛さんみたいな結婚相手がほしいわ」
「凛みたいなかぁ…俺は凛より素敵な人に出会えたことがないからちょっと分からないな…」
「え、ちょ、本人を目の前にする会話じゃないよね!?」

私が慌てていると炭治郎も禰豆子ちゃんもとても綺麗な笑顔で笑ってくれた。
竈門家の長男と長女で、とても優しく自分に厳しい二人。そんな二人の幸せを願う人達は数知れず。そして私もその一人だ。
たとえ時が定められていようと。大好きな人達が笑顔で過ごせる日々をこれからも大切に生きていこう。


大切な人




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