実弥の話



最後の戦いが終わってから二年が経った。俺は誰にも告げることなく、この場所で最期を迎えることを決めていた。あんな殺伐とした生活を送っていた俺が死に場所を選ぶことが出来るなんてなァ。毎日、家族のことを想う。あの時、こうしていれば良かった。そう思わない日はない。だがそう思う度に昔、ある女に言われた言葉を思い出すんだ。

「後悔しても、時は戻りませんから」

何を生意気な、とその時は思ったがその女──斎藤凛が鬼となった自身の妹を討ったと聞いてあれは俺に対してではなく自分自身に向けて言った言葉なのだと察することが出来た。
終わってみればお前も俺も。最後の肉親を守るために鬼殺隊へと身を投じたもののお互いその肉親を失ってしまったという。なんともまあ、救いのない話だ。


日に日に朝、目が覚めるのが遅くなる。眠る時には明日は目が覚めるのか。そんなことを思って眠る日も増えた。俺は今年二十三になる。痣が発現した俺に残された時間はあと二年。眉唾話でなければ俺はあと二年でこの世を去るだろう。
未練はない。本当に、もうないんだ。守りたかった家族は全員死に、目の敵にしていた鬼は凛や竈門が「人間に戻す方法」を編み出したため討つ必要がなくなった。鬼を救うなんて、正気の沙汰じゃねェ。そう思っていたがお袋だって叶うことなら人間に戻りたかったはずだ。そんな希望を最後まで捨てなかった凛や竈門の想いが勝った、ということなのだろう。


俺は体を起こして日課になっている道を歩く。玄弥や就也。他の弟や妹。それにお袋ともよく歩いたこの道を今は一人で歩く。
ごめんなァ…守ってやれなくて。兄ちゃんにもっと力があれば皆守ってやることが出来たのに。俺なんかには勿体無いくらい、良い家族だった。本当に、大好きだった。


「実弥さん」


聞き覚えのある声に名前を呼ばれる。
振り返るとそこにはあの日、俺に意見をした女──斎藤凛の姿があった。

「お久し振りです。元気でしたか?」
「凛…お前なんで、ここが…?」
「えっと。生前玄弥がぽろっと漏らしまして」

玄弥と実弥さんの故郷、知ってたんですよね。と凛が懐かしむように微笑む。…そうか。凛は玄弥と同期だったなァ。

「玄弥と仲良かったのか?」
「はい。かなり仲良かったと思いますよ!」
「…そうかァ」

こいつは隠し事はしても嘘を言わねェ。馬鹿みたいに正直で真っ直ぐなやつだ。だからこそ、玄弥と仲良くしていたのは本当なのだろう。誰にも伝えていない俺の元まで辿り着けたのがそれを証明している。

「竈門は一緒じゃないのか?」
「炭治郎は一緒ですけど、実弥さんとは凛が二人で話をしたほうが良いって…気を使われちゃいました」
「……なるほどなァ」

竈門も凛も。俺と同じ痣の発現者だ。二人にはもう少し時間が残されているが、俺にはもうあまり時間が残されていない。そして鬼を人に戻す旅をしているということは俺と凛が会えるのはこれで最後になる可能性が高い。それを察して竈門が気を使ったってことか。

「凛。俺は玄弥にとって嫌な兄ちゃんだったなァ」
「え?」
「突き放すばかりで、結局最後まで玄弥と向き合うことすらしなかった。…玄弥に愛想を尽かされても当然だ」

俺の言葉に凛は深く溜め息をつく。

「似た者兄弟」
「あァ?」
「実弥さんも玄弥もそっくり。いつも自分が悪いって自分を責めて、嫌われてるって自己解釈して。私は実弥さんからも玄弥からも一度もお互いのことが嫌いって聞いたことはありませんけどね」

凛の言葉に少なからず驚いた。俺は、玄弥に酷く当たったはずだ。そんな俺を責めるわけでもなく、玄弥は俺のことを嫌わないでいてくれたのか…

「不器用で、言葉足らずで。だけどとても優しくて、誰よりもお互いのことを想っている。私の知ってる不死川実弥と不死川玄弥はそんな兄弟でしたよ」

どんなに辛く当たっても、健気に俺を追いかけてきた玄弥。可愛かった。幸せになってほしかった。どうして、どうして……

「…玄弥は、鬼殺隊になるべきじゃなかった」
「実弥さんはそう思ってるんですね」
「鬼殺隊にさえならなければ!玄弥は死ぬこともなかった!今もきっと、笑顔で生きていただろォ!なのに、……亡骸さえ、残らなかったんだ……」

俺の最後の弟、玄弥。俺はお前がどっかで世帯を持って、家族を増やして爺になるまで生きてくれりゃあそれで良かったんだ。
死んでほしくなかった、生きていてほしかった。そんな些細な願いさえ叶うことはなかった。

「実弥さんは玄弥に死んでほしくなかったんですね」
「当たり前だろ…!」
「玄弥もそうでした」
「……な、」

凛の言葉に玄弥の目が思い出される。どんなに酷く当たっても、その目には俺を嫌悪する色は一度だって灯っていなかったことを。

「玄弥も実弥さんに死んでほしくなかったんです。だから、呼吸が使えなくても血の滲むような努力をして鬼殺隊になりました。ただ一人残った兄を死なせないために」

それはまさに、俺の想いと全く同じものだった。
玄弥のためなら血反吐を吐くような鍛錬にも耐えれた。俺が少しでも強くなれば、玄弥を守れる可能性が増える。俺の原動力はどんな時でも玄弥への想いだった。

「そんな玄弥の兄を想う気持ちを、実弥さんはしっかりと受け止めてください。大丈夫ですよ。玄弥と向き合う時間はまだ残ってます」

残り二年。早く家族の元へ逝きたいとすら思っていた。明日目覚めなくてもいいと。もしかしたら俺は地獄へ落ちるのかもしれない。鬼というだけで数多の命を奪った俺が家族の元へ逝ける保証などない。それでも、もうこの世に未練はなかった。だけど……

「…あと二年。玄弥と最期まで向き合うのも悪くねぇなァ」
「むしろ足りませんね!玄弥とちゃんと向き合うならお爺ちゃんになるまで生きても足りませんよ」

凛が悪戯っぽく笑う。凛は俺に生きろと、それこそ二十五を越えても生きろと遠回しに訴えかけてくる。痣の寿命で死ぬのは俺か冨岡が先だ。仮に俺達が生き延びることが出来れば凛達にも希望を持たせることが出来るだろう。──体の不調が、それは無理だと悟らせるが俺は敢えてそれを口にはしなかった。

「ったく。厳しいことを言うなァ、誰に似たんだか」
「ふふ、私は実弥さんの愛弟子ですからね」
「…そうだなァ。お前は俺の、愛弟子だったな」

俺の言葉に凛は酷く驚いたように目を見開いて、みるみるその目に涙を溜めていく。とても寂しそうに眉を下げるその表情は、遠い昔。俺が出かける時に弟や妹が見せた寂しさを滲ませる顔と同じだった。

「……最期に甘くなるのは、狡いと思います」
「ハハッ、なんだお前。泣けんじゃねェか」

稽古の時、どれだけ痛めつけても…いやまァ、生理的に涙を浮かべることはあっても心を折って涙を流すことは一度もしなかったコイツが、俺のたった一言で泣いている。継子なんて作らなかったし、弟子だっていなかった。俺はな、人一倍臆病なんだよ。懐に入れちまえば失うのが怖い。だから人となるべく関わらないようにしていた。
正直に言えば凛のことは気に入っていた。根性があって泣き言も言わねェ。柱稽古の時だってお前だけはちゃんと弟子として目を向けてたさ。それを認めてしまうのが嫌だっただけで。……でも最期くらいは、自分の心に素直になりたいんだよ俺だって。

「玄弥と仲良くしてくれてありがとなァ」
「…はい、こちらこそ……玄弥は最高の弟でしたね」
「当たり前だろォ。俺の弟だぞ?」

ぽんぽん、と凛の頭を撫でると凛はぼろぼろと大粒の涙を流す。大袈裟な奴、と言いたいところだがまァ、仕方ないだろう。何せ俺と凛は今日、これを最後に二度と会うことはないのだから。お互い口にはしなかったけどそれくらい分かっている。

「達者でな」

叶うのなら、玄弥のために怒ってくれた竈門。俺に玄弥と向き合うよう背中を押してくれた凛。お前らには爺や婆になるまで幸せに長生きしてほしかった。いや、もしかしたらお前らなら出来るかもしれねェな。ただ、俺はそれを見届けることは出来ないが。

「実弥さん」

凛が目元をごしごしと腕で拭って俺の目を真っ直ぐと見据える。凛はまたしても悪戯っぽく笑って小首を傾げた。

「玄弥と仲直りしてくださいね」

凛の言葉に呆気に取られたあと、俺は吹き出した。なんだそれは。凛は俺が玄弥と同じところに逝けると思ってるのか?それに玄弥が俺を待ってると──お前は本気で思っているんだなァ。

「…あァ。約束する」

俺の返事に凛は満足そうに笑顔を浮かべた。
馬鹿兄貴と殴られ罵られてもいい。向こうにいったら恥も外聞も捨てて玄弥に謝ろう。それから沢山話もしたいなァ。それこそお節介な玄弥の同期達の話なんて面白そうじゃねェか。

「さようなら、実弥さん。実弥さんに出会えて私は幸せでした」

それは凛から俺への嘘偽りのない最期の言葉。

「凛、お前に出会えて良かった。玄弥と出会ってくれてありがとう。お前のことは忘れない」

不死川実弥と不死川玄弥。両方に寄り添い、両方の想いを尊重してくれた友であり愛弟子。
お前に出会えたことを、不死川実弥は最期の時まで感謝しよう。


唯一の愛弟子




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