最終章 陸



生きたい。日の下を歩きたい。仇を討ちたい。愛するものを救いたい。そんな思いが人間を突き動かし、そして思わぬ力を発揮するのを私は目の当たりにした。



「竈門炭治郎。思いは永遠だ」
「え…?」
「決して折れない心、諦めない想い。それがお前達人間の強さで、美しさだ」

無惨が穏やかな表情で俺に話す。
俺は目の前にいる鬼舞辻無惨のことがただ、憎かった。こんな奴は生きていてはいけないと本気で思ったほどに。
だけど生きていてはいけない人なんてこの世には一人もいない。味方であろうと敵であろうと皆、それぞれの想いがあって、一日を大切に生きている。

『だからさ、一日一日を大切に生きようよ』

その時、凛の匂いを感じた。


「……なんだ、これは?」

無惨の胸に刀が刺さっている。
俺が刺したのではない。突然その刀は現れて、無惨の胸を貫き暗闇が徐々に晴れていく。
どうしてそう思ったのかは分からない。だけど、その刀から感じる暖かさと凛の匂いに俺はある型の名前を思い出した。

「……鬼滅の、刃…」

俺がそう呟くと無惨は少し目を見開いた後、納得するようにその目を細めた。

「そうか…鬼の細胞を殺す技……鬼を滅する刃か…」

無惨の体が崩れていく。
目前に死が迫っているというのに、無惨はどこまでも穏やかに言葉を紡ぐ。

「鬼の視覚を通した時、殆どの鬼狩りが憎しみや快楽で鬼を殺していた。だがそいつは隙を見つけては共に人間に戻る方法を探さないかと鬼達に尋ねていた」

無惨の言葉に、諦めないと誓った凛の表情が思い浮かぶ。

「貴様の勝ちだと伝えろ。竈門炭治郎」

そして無惨は最後まで穏やかな表情をしたまま消滅した。
鬼であった鬼舞辻無惨。だが彼も最初はただ生きたいと願った被害者だった。
…無惨、俺は約束するよ。今もまだ鬼として苦しんでいる人達を必ず救い出してみせると。無惨や、今まで亡くなった哀しい鬼のような鬼をもう二度と生み出さないために。
俺はどんどん眩しくなる光に飲み込まれ、目を閉じ、次に目を開けるとそこには──


「お兄ちゃん!!」

両目からぼろぼろと涙を流す禰豆子が俺を痛いほど抱き締める。うわああぁと泣き続ける禰豆子を撫でようとすると左腕が全く動かない。視界も狭く右目が見えないことにも気付いた。
俺は動く右腕で禰豆子のことを抱きしめると禰豆子は泣きながら俺の顔をぺちぺちと触ってくる。

「本当にお兄ちゃん?鬼になってない?戻ってる…?」
「禰豆子…禰豆子こそ、人間に、戻れたんだな…!」

俺の言葉に禰豆子が涙を流しながらうん。と言ってくれれば次は俺が大泣きする番だった。
善逸も伊之助も、そんな俺達を見て大泣きしているし凛も涙を流しながら

「おかえり」

と優しく笑ってくれるのだった。


***


私の体から刃が生え、意識が昏倒としていく。
鬼としての私が死んだのだ。私は地獄に落ちるのだろう。地獄すら生温い。ただ、最期に。あの女と私は……

「若様」

信じられない声に、目を向けるとそこにはあの日一つの過ちによって失ってしまった唯一の存在が最初の頃のように笑顔を浮かべていた。

「……どういう、ことだ」
「若様。お待ちしていました。一緒に逝きましょう」

そう言って女は手を差し出してくる。
夢か幻か。何でも良かった。
女の手を握ると辺り一面に光が差す。これは──

「私の願いです。私は、若様と太陽の下を歩ければそれだけで良かったんです。だから、天国行きをやめて一つだけ願いを叶えてもらいました」

信じられないことを女が言う。
天国や地獄。そんなものがあるなんて馬鹿らしく信じたことなどない。しかし、もしも本当にあるとするならば。この女は間違いなく天国へ行き、私は地獄へ落ちるだろう。それを、この女はやめたと言ったのか?

「馬鹿が!今すぐこの手を離せ!私は一人で逝く!」
「若様」

女はどこまでも穏やかだ。最期の時、私のことを否定した女はどこにもいない。

「お日様の下じゃなくても本当は良かったんです」

ぎゅ、と女が私の手を握り直す。

「若様の隣を歩けるなら、私はどこでも良かったんです」

この女に私は罵詈雑言を投げ、時には暴力を振るい、最後はそれこそ殺してしまった。そんな私の隣を、この女は歩きたいと言う。
思えばこの女は初めて会ったあの時から、他の奴等とは違っていた。この女が側にいる時私はいつも……

「ああ…」

その眩しさに焦がれた。
届かないからこそ、手を伸ばし続けた。
だが、私の欲しいものは気付けばすぐ側にあったのだ。


「……お前が私の太陽だったのか」


夢でも幻でもいい。
人の思いは永遠なのだ。

「そのお顔がずっと見たかった」

私が最期に見たユメは、確かに私達の願いを叶えていた。


***


鬼滅の刃
ヒノカミ神楽 終ノ型であるその型は舞の終わりに父さんがいつも祈るように捧げていた型だ。
他の舞と比べて十二の神楽と繋げることもなく、最後にゆっくりと繰り出されるそれを父さんは「一番大切な神楽だよ」と言っていた。
だから俺も鍛錬の最後には必ずその構えをするようにしていたのだ。
そして無惨は言った。「鬼を滅する刃」だと。
鬼になった俺に、凛はこの鬼滅の刃を放ち俺は人間として生還することが出来た。凛はヒノカミ神楽を技として使ったことはなかったため、まさに祈るような気持ちでこの型を繰り出したのだという。

俺は凛に夢でも見ていたかのような無惨との会話を語り、無惨が最期に「凛の勝ちだ」と言っていたこと伝えると凛は「私達の、でしょ」と優しく笑ってくれた。
そして、もしかしたら鬼滅の刃を放てるのはヒノカミ神楽を理解し、尚且つ舞えることが条件なのかもしれないと考えが至り、俺の稽古を凛と同じく見学していた善逸と伊之助にもこの型を伝授することになり、結果として凛も含めて三人とも「痣」が発現している状態でのみ鬼滅の刃を放つことを取得したのだった。


「じゃあ、俺も今日から行くよ。禰豆子」
「お兄ちゃん気をつけてね。凛さん、お兄ちゃんをよろしくお願いします」
「まかせて、禰豆子ちゃん!」

俺は人として生還したものの、右目と左腕の機能は失っていた。どうやら人間の頃に失った機能は元に戻らないようで、この体で刀を振るえるようになるまで半年を費やしてしまった。
その間に善逸と伊之助が俺の代わりにあることを実行してくれていて、今日から俺と俺の面倒を付きっきりで診ていた凛も二人に続いてそのあることを実行するために刀を握る。

俺達が成し遂げたいのは、鬼にされてしまった人を人間に戻すこと。
皆、元は人間だったのだ。ならば、俺達は彼らをもう一度人間に戻す。それが世の理だろう。
善逸と伊之助は既に何人もの鬼を人間に戻していて、ほとんどの人が鬼の間に人間を殺めてしまったことを覚えていて後悔の念に苛まれている。
俺達は彼らに輝利哉くんを通して、多くの人の助けになるような仕事や手伝いを紹介し、奪った命よりも多くの命を救うように背中を押していた。


そして今日から俺と凛も鬼になった人を人間に戻す旅へと歩み出す。


「ふふ」
「どうしたんだ?」
「こうやって二人で歩いてると、最初に同じ任務に向かった時のことを思い出すね」
「ああ、あの後すぐに善逸にも会ったんだよな」
「そうそう。もう君でも良いからさぁ!結婚してくれよぉ!って善逸に抱きつかれちゃって。…今なら妬いてくれる?」
「そうだなぁ…」

悪戯っぽく笑う凛を愛おしげに見つめると凛もいつものように甘い匂いをさせながら俺を愛おしげに見つめてくる。

俺も凛も、始まりは家族を殺され妹を鬼にされた悲惨な生い立ちだった。何回も絶望して挫けそうになって。でも、いつも俺の側には凛がいてくれた。そしてそれは、きっとこれからも。
足を止めて凛と向かい合って、俺は心からの笑顔を浮かべる。

「俺は凛が良いんだ。凛以外なんて考えられない。だから…俺と結婚してください!」


これは遠い昔。
まだ鬼が存在し、人知れず苦しんでいた彼らを最期まで見捨てずに刀を握り続けた少年少女の話。


人と鬼の物語





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