最終章 肆


……真っ暗だ。
体の痛みもない。何も聞こえない。…俺は死んだのだろうか。
皆はどうなった?無惨は倒せたのだろうか。

「──竈門炭治郎」

名前を呼ばれて振り返るとそこには、

「鬼舞辻、無惨」

先ほどまで死闘を繰り広げていた鬼が立っていた。
何が起こっている?刀は?俺の刀はどこにある!?
まだ無惨が生きているのなら頚を斬らなければ!ここには俺しかいない。俺がやるしかない…!

「お前はほとんど死んでいた。しかし、私の血を全て注ぎ込み鬼として蘇っている」
「な、に……?」

無惨の言っていることが全く理解出来ない。
すぐに自分の体を確認しても俺は鬼になんてなっていない。でまかせだ。だけど、ならここはどこで、何故俺は無惨と会話が出来ているんだ?
それにここは何かがおかしい。何の匂いもしない。目の前の無惨からも、暗闇からも全く匂いを感じられない。こんなことは初めてだ。

「ここは、お前の体内の中。とでも言うのが正しいのだろうな」
「…どういうことだ?」
「お前が人間の細胞だというのなら、私はお前の中に巣食った鬼の細胞だ。私の全てをお前に注ぎ込んだ際、私の意識もまたお前の中に流れ込んだのだろう」

俺は、本当に鬼になってしまっているのか?
無惨が適当なことを言って俺を揺さぶってるだけではないのか?
……だけど、さっきまで痛かった体がどこも痛くないんだ。ここが死後の世界ではないというのなら、無惨が言ってることは恐らく…

「…鬼舞辻無惨!お前はどこまで俺を苦しめれば…!」
「竈門炭治郎。生きたいと願うことはそんなにも間違いなのだろうか」
「なっ……」

そして俺はようやく気付いた。
先刻まではあれほど敵意と殺意に満ちていた無惨から、全くそのような気配が感じられないことに。
驚くほど穏やかに、無惨は言葉を続ける。

「私には生まれた時からいつも死の影が張りついていた。鬼になりたいと願ったことはない。ただ、生きていたかった。それだけだった」

俺は今、鼻が効かない。
それでも目の前の無惨が嘘を吐いているとは思えない。無惨は俺に話しかけている、というよりは自分の人生を振り返っているようで…

「日の下を歩けば死ぬ。それは私とっては許し難く、克服する鬼が生まれればその鬼を吸収すれば良いと思っていた」
「…お前に吸収された鬼は、死んでしまうのにか?」
「そうかもしれない。だが私はそれでも良かった。病弱な体で日の下も満足に歩くことが出来なかった私はただ、太陽に憧れ焦がれていた」

そのために多くの人を犠牲にして、沢山の人に悲しい思いをさせた。
鬼舞辻無惨。この鬼がいなければ哀しい鬼はあんなにも生まれなかった。家族を鬼にされて苦しむ人だっていなかったんだ。

でも俺は……

「鬼舞辻無惨。俺は、お前を許さない」
「そうだろうな。私も許しを乞うつもりはない」
「だけど、生きていたかったという思いが間違っていたとは思わない」

俺の言葉に無惨が目を見開く。そんなことを言われるなんて思ってもいなかったと言わんばかりに初めて無惨は表情を変えた。

「誰だって、生きていたいんだ。無惨、お前は沢山の人のその思いを踏み躙ってしまった。それは決して許されることじゃない。だけど、生きていたかったと願うお前の気持ちを否定することは誰にも出来ない」
「…何を言っている?私はお前達人間を大勢殺した。それこそ数えきれないほどの人間をだ。そんな私が生きたいと願うのはお前達にとっては間違いなのだろう?」

ああ、それは許されることではない。
例え心を入れ替えたとしても殺されてしまった人は帰ってこない。お前はその罪を贖わなければいけないだろう。だけど、

「違うよ無惨。生きたいと願うことは間違いじゃない。お前が間違えたのは自分の願いのために他の人を犠牲にする道を選んだことだ」


***


その言葉に、いつ言われたのかも思い出せない記憶が蘇る。
私の側にはいつも、病弱な頃から私の面倒を見ていた下女が一人いた。
癇癪を起こし意のままに他者に当たり散らす私の側にはいつしかその下女と私を鬼にした医者しか寄り付かなくなった。
そいつは器量も悪く何をやっても愚図だったが私のことをただの一度も見下げたことはなく、私もまた、その女だけは側にいても癪に触ることがなくなっていった。

そして私が鬼にされてから、世界は一変した。
人間は愚かで脆い。私のことを陰で悪態を吐いていた輩は皆、殺した。誰であろうと私の癪に障れば即座に殺し、その度に私は鬼としての力を増していった。

そんな私に下女はこう言った。

「若様。そのような生き方は間違いです」と。

この女だけは私のことを一度も否定したことがなかったというのに。私は女の言葉に酷く動揺して、あの時初めて自分の意思とは反して女を殺してしまった。

私は証明したかったのかもしれない。
私の生き方は決して間違いではなかったのだと。だが……

「そうか…私は、間違えたのか…」

鬼になりたかったわけでも、人を殺したかったわけでもない。
私はただ生きていたかった。日の下をお前と歩きたかっただけだ。
そんな些細な願いを、ずっと忘れていた…

間違い





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