柱稽古編 弐


蛇柱である伊黒さんには会ったことがなかったけれど蜜璃ちゃんから柱稽古の休憩時間に沢山話を聞いていたのでなんとなくどんな人かは分かっているつもりだった。
そして実際目の前にしてみると──

「斎藤凛。俺はお前に好印象を抱いている」
「……はい?」

なんだかとても歓迎されている。
どうやら伊黒さんと蜜璃ちゃんは仲が良いらしく、蜜璃ちゃんから私のことをよく聞いていたそうだ。
これなら稽古の方も円滑に進むかもしれないな、と道場へと足を踏み入れると、

「俺の稽古はこの障害物を避けつつ太刀を振るってもらう」

……人が括られているんですけど?
しかも皆顔を真っ青にして涙目の人までいる。一体ここは何?趣味?

「心配するな。お前は括らない」
「え、あ、はい……?」

いやそういう事ではないのですが、という言葉はなんとか飲み込んで稽古を開始するとこれは私にとっては物凄く辛い稽古となった。
そもそも私は空気や風の揺らぎで相手の行動を読むのを得意としている。だというのに私や伊黒さんが木刀を振るうと至る所から怯えているせいか空気の揺れが伝わってきて伊黒さんだけに集中がし辛い。

「ぁぐっ!」
「攻撃の先だけではなく、元も辿れ!」
「っ、はい!」

これは今まで以上に集中力が必要だし、伊黒さんの太刀筋は予期せぬ方向に曲がるのでまさしく蛇柱と言うに相応しいと思う。

「あぁー!ごめんなさい…!」

初日はそれこそ障害物と呼ばれる人に当ててしまい、何度も頭を下げながら終了し、五日後からは伊黒さん…もとい単体の敵に集中することに慣れ、打ち込むことも避けることも出来るようになっていき、七日目に伊黒さんの羽織の裾を切ることに成功した。

「悪くない。が、まだまだ伸び代はある。これからも鍛錬に励むんだな」
「伊黒さん、本当にありがとうございました!鏑丸君もまたね」

そう言って伊黒さんの首にずっと巻きついている鏑丸君の頭を指先で撫でると嬉しかったのか暫く私の手に擦り寄ってきて可愛らしかったし、そんな鏑丸君を見つめる伊黒さんの表情はとても優しく、蜜璃ちゃんが伊黒さんはとっても優しいのよ!と言っていた意味が分かった気がした。


***


「お前は俺の稽古はいらねえだろォ」
「え、酷くないですか!?愛弟子に向かって!」
「誰が愛弟子だァ!」

次の稽古場であり、そして懐かしの実弥さんの元へと向かうと開口一番そんなことを言われる。
いや、そんな!私は実弥さんとの稽古をそれはもう楽しみにしていたというのに私の姿を見た瞬間実弥さんはそんなことを言ってくる。

「やることは前と対して変わらねえぞ。俺に斬りかかるか斬りかかられるか。お前はニ月丸々やっただろうがァ」
「でも、この前は六割しか力を出してなかったんですよね?」

そう言うと実弥さんの空気が少し変わるのが分かる。あ、ちょっと楽しそうにしている時の空気だ。でもそれは逆に言えば私にとってはまずいのでは?

「ほォ?じゃあお前は何割をご所望なんだァ?」
「馬鹿!凛!余計なことを言うんじゃないよぉ!」
「あ、善逸」

私よりも先に柱稽古に参加していた善逸にどうやら追いついたらしい私は善逸に馬鹿馬鹿!と涙目でぽこぽこと叩かれる。痛い痛い!
どうやら善逸は実弥さんにたっぷりと絞られているらしくこれ以上実弥さんを刺激するなとのことだ。

「で?どうするんだァ凛?」
「えーっと、…七割からお願いします!」
「うわぁん!凛の馬鹿ー!!」

実弥さんの六割とか七割とかは信じないようにしようとこの後の稽古で私は確信をするのだった。
前回よりも確実に力は強いし、速さだって比べものにならない。空気や風の揺らぎで察知しても、頭で理解してる頃には実弥さんに吹っ飛ばされているのだ。ああ…なんだか懐かしいな……強くなっても上には上がいるもんなんだね…
そんなことを考えながら失神を繰り返す毎日を送っていたある日──

「あ、炭治郎!追いついたんだね」
「凛!凛も不死川さんの稽古を受けていたんだな」
「うん、そうなんだけど……えっと、善逸はどうしたの?」
「多分…逃げようとしたのかな?」

逃げようとしていたらしい善逸は目が覚めるなり炭治郎に「バカヤロー!」と泣きながら怒っていたし、実弥さんは驚くくらい炭治郎に当たりが強くて炭治郎の怪我が心配になるけどなんとか炭治郎が合流してからの一日目も終わりを迎えようとしていた。


「もうやだよぉ…おうち帰りたい……」
「まあまあ。今日は実弥さんも機嫌が悪かったから…」
「炭治郎がいる限りずっと悪そうなんですけど!?」

そんな泣き言を善逸に聞かされながら休憩していると、突然襖がドゴっと外れて実弥さんが戻ってきたと思った善逸達はまだ稽古を再開したくないのか失神したふりをする。
だけど、出てきたのは炭治郎と……玄弥?

「どういうつもりですか!玄弥を殺す気か!」

何があったのかは分からないけれど、炭治郎も実弥さんも本気で怒っている。びりびりと空気が震える中、実弥さんが炭治郎に殴りかかり、炭治郎は反撃をして善逸に玄弥を逃がせと叫ぶ。いや、一体何が起こってるのか全く分からないのに最後は皆まで巻き込まれて大乱闘騒ぎとなったのだった。


「実弥さん。今日までの稽古の人を皆次の稽古に行かせるのって本当ですか?」
「あァ?本当だ。テメェもさっさと行け」
「もう、何があったかは知らないですけど…」

脳裏に蘇るのは玄弥の寂しそうな表情。
私から実弥さんの話を聞くと、嬉しそうなのに悲しそうな顔をしていた。だけど、たまに実弥さんの話をしてくれる時の玄弥はやっぱり嬉しそうで、実弥さんのことが好きなのが伝わってきて微笑ましかった。
実弥さんだって私を通して玄弥を見ていたはずなのに。…近くにいることが必ずしも大切にしてるわけではないのかもしれない。だとしても。

「実弥さん。詮索されるのは嫌いだと思うので何も聞きません。ただ、喧嘩も仲直りも生きている人しか出来ないんですよ」
「……あァ?」
「私からしたら弟が生きてるだけで羨ましいです。突き放すにしてもちゃんと玄弥と向き合ってくださいね」

そう言って最後に「ありがとうございました!また稽古つけてくださいね!」と言って私は実弥さんの稽古場を後にした。

「……これが俺のやり方なんだよ」

実弥さんがそんな風にぼやいていたのを私は知らなかった。


***


炭治郎と善逸と共に岩柱である悲鳴嶼さんの元へと向かうことになった私達だが、まず遠い。どれだけ山奥にあるの?ってくらい悲鳴嶼さんの稽古場は遠く善逸がぐずるほどだ。
そしてやっとの思いで稽古場に到着すると、滝に打たれている隊士達の中に伊之助の姿もあった。

悲鳴嶼さんの訓練は足腰を鍛えるもので、滝に打たれる修行。丸太を三本担ぐ修行。そして岩を一町先まで押して運ぶ修行の三つを行うと言う。
ただ、確実に出来ない者は時間を無駄にするため私は滝行と丸太を一本だけ担ぎ、そして岩も炭治郎達のものより二回りほど小さいものが用意されていた。…不甲斐ない。だけど筋力はどうしようもないことも分かっている。
まずは滝行のために悲鳴嶼さんが行衣を渡してくれる。男隊士は半裸で構わないが女隊士はそうもいかない。行衣を身に纏いいざ、川に足を踏み入れて──

「あぁあ!?冷た!?」

さっき善逸の叫び声が聞こえた気がしたけどこ、これは!?確かに叫びたくなるほど冷たいな!?
滝に打たれるどころか、まずは水の冷たさに慣れるしかない。…いや、寒い!寒いよ!
結局私が滝修行を出来るようになったのは夕方からだったが、夕方になると日が落ちてきて気温が下がるので寒すぎてどうしようもない。ここでの修行は今までとは打って変わって純粋に「肉体強化」のために行われるものばかりで私は少し不安になるのだった。


「うううう…寒い…」
「大丈夫か凛?ほら、火の近くに寄るんだ」
「あ、ありがとう炭治郎……はっ、炭治郎って、暖かいね…!?」
「そ、そうか…?」

皆の分の魚を焼いている炭治郎の背中にくっつくと炭治郎の体温の暖かさに驚く。いや、私の体温が下がりすぎているのか?
どちらでも構わない。私は炭治郎で暖を取るようにぴたりと背中にくっついていると善逸でもないのに炭治郎の心音がどっどっとどんどん大きくなるのが分かる。ふと、炭治郎の顔を見上げるように覗き込むと炭治郎は下唇を噛むようにして頬を真っ赤に染めていた。

(あっ。そういえば私炭治郎に好きって伝えてたな…!?)

そう思い出すと途端に恥ずかしくなり私は弾かれるように炭治郎から離れると、炭治郎は振り返って真っ赤な顔で私を直視してくる。

「ご、ごめん!」
「いや!俺で暖を取ってくれ!むしろ、俺以外では暖を取らないでくれ!」
「ひ、ひえぇ……」

さっきまであんなにも寒かったのに一気に熱くなる。いや、私達は隊士で修行中でこんな、ふわふわした気持ちでいるわけには…!


「だーーー!!お祭りみたいな音させてんじゃないよ!!」
「ガハハハ!俺ももう寒くねーぞ!!」

そんな私達の元に善逸と伊之助がやってきて、私達は皆炭治郎の焼いた魚を食べるのだった。

柱の稽古は総じて辛い




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