探しもの編 弐
なんなんだこの鬼は…!
上弦と目には刻まれていないのに、動きは速く一撃は重い。愉しそうに振るう拳はなにか血鬼術で強化されているのか生半可な一撃では刃すら通らなかった。
「ヒノカミ神楽 円舞!」
ヒノカミ神楽によって鬼の腕が斬り落とされる。だというのにその鬼は愉しそうに笑って傷口を舐め上げた。
「ああ、あの子がやられるわけだ。強いなあお前」
あの子…?以前戦った上弦の陸のことだろうか。
…余裕のある動きに、速さ。どれをとってもこの鬼が強いことが肌で分かる。だけど俺は負けるわけにはいかない。一刻も早く凛に加勢したいのに…!
「良い目だ」
そう言われた瞬間、体が一切動かなくなった。
なんだ!?何が起こっている!?
鬼が腕を再生させて俺に迫ってくるのに、体が動かない!そして、鬼が俺に一撃を食らわせようとした瞬間、俺の背負ってる箱から禰豆子が飛び出して鬼は禰豆子の一撃を避けるために後ろへと遠ざかると俺の体は動くようになった。
「血鬼術…!」
間違いない。これは奴の血鬼術だ。
効果は相手の体の自由を奪うこと、だが発動条件は?あまりにも強すぎる血鬼術に集中して鬼を凝視しているとその鬼はやはり愉しそうに笑う。
「本当に鬼を飼ってるんだなあ。お前も鬼のくせに人になんて飼われてるんじゃないよお」
「禰豆子は俺の妹だ!俺の妹を侮辱するな!」
そう叫ぶと鬼はこれはこれは、と手を叩いて笑い続ける。巫山戯た鬼だ、人のことを馬鹿にしている。…怒るな、冷静になれ。今はこの鬼に構ってる暇はないというのに──!
「ははっ、やっぱり良い目だなあ」
鬼がそう言うのと同時に、俺はまた体の自由を奪われた。
***
「血鬼術 絲風操」
美琴がそう口にすると、突然私の周りの空気が纏わりついて私の体に負荷をかける。これが美琴の血鬼術…!?
動きが鈍くなった私を美琴は楽しそうに見つめて腕を上から下へと振り下ろすと、刃のようなものが私に襲いかかってくる。
「風の呼吸 参の型 晴嵐風樹!」
それを呼吸で斬り伏せ、纏わりついている空気に抵抗するように思い切り踏み込めば突然周りの風に押され、勢いを殺せずに私は地面へと転がった。
美琴の血鬼術は…!
「ふふ、風があれば何でも出来るのよ」
「…美琴!」
立ち上がり、一気に距離を詰めると美琴は口元に手を置いて頬を膨らませる。
ぞくり、と背中に悪寒が走り私は咄嗟に着ていた羽織を脱いで美琴へと投げつける。
「怨霧吹!」
美琴が息を吹き出すと、投げつけた羽織がぼろぼろに溶けていく。あれは強力な血鬼術だ!隊服もきっと溶かされてしまうだろう。あの血鬼術は絶対に受けれない、距離を詰めたら一気に叩かなければ──
「っぐ──!?」
腕に痛みが走る。どこから襲われたのか、いや、違う。美琴は風があれば何でも出来ると言った。私に息を吹きかけた時、空いていたほうの手で風の刃を作り出し私を襲わせたのだろう。
美琴の血鬼術は「風」を操る。風を対象者に纏わりつかせたり、風で後押しして転ばせたり。そして時には酸のように対象を溶かし、刃となり牙を剥く。
「……強いね、美琴の血鬼術は」
そう言うと美琴は嬉しそうに頬を綻ばす。…ああ、やめてほしい。褒められたら嬉しそうにする顔は昔と何も変わってないなんてあんまりじゃないか。
だけど少し分かってきたことがある。美琴はあの場から殆ど動いていない。動作も腕を振り下ろすか口に手を当てるか。そして、羽織を投げつけられた時の反応はあまりにも鈍かった。
「!?」
美琴が私の周りの「風」を操る前に私は全集中の呼吸で足に全ての意識を注ぎ、一気に美琴へと距離を詰めた。すぐに口に手を当てて先程の溶ける息を吐こうとするけれどそれよりも速く美琴の腹部に思い切り蹴りを入れる。
「かっ、は……!」
やっぱり、美琴はこの四年間鍛えてはこなかったんだ。強い血鬼術とあの鬼と共に人を食い続けたのだろう。
だから、四年間鍛え上げた私に「喧嘩」で勝てるはずがないんだよ。
「っ、風刺!」
美琴が懐から刀の柄の部分のようなものを取り出す。視認は出来ないけど、察するに柄の先には風の刀が出来上がっているのだろう。それで私を返り討ちにするつもりなんだ。
だけど、遅すぎる。美琴が風の刀を私に突き出す前に私の刀が美琴の頚に届くだろう。
美琴と目が合う。怯えた目。そして、記憶のままの美琴の姿。
『妹さんが今どうなってるかは分からない。だけどやっぱり、一緒に生きる道を探そう』
刹那、私の脳裏に過ったのは、
『お姉ちゃん、私のこと好き?』
在りし日の記憶──
***
ああ、死ぬんだと思った。
お姉ちゃんが私を殺そうとしてる。なんで?私はこんなにお姉ちゃんのことが好きなのに、お姉ちゃんは私のことが嫌いなの?
…ずっと会いたかった。人を食べるようになってから色々なことを忘れてしまったけどお姉ちゃんのことだけは覚えていたんだよ。
でもそうか。これが走馬灯ってやつなのかな。
私は物心がついた時から人の好意の色がよく分かった。そして驚いたんだよ。父さんも母さんも、好きなのは自分だけで私のこともお姉ちゃんのことも見てくれてないって分かってしまったから。
だから私はあの人達が嫌いだった。私達のことを好きでいてくれないなら、私だって好きにならない。だけど、お姉ちゃんだけはいつも。暖かくて優しくて、幸せの色を私に向けてくれた。お姉ちゃんがいたから、これが好意の色なんだと私は初めて知れたんだ。
だけど、モモとカズヒコとトウジが来てからお姉ちゃんはその色を他の人にもどんどんあげるようになっちゃって。
寂しかった。また世界で私一人が取り残されたような気さえしたの。…私の世界にはお姉ちゃんだけだったから。
「ならば、いらないものは殺してしまえばいい」
「え…?」
そんな時、私は無惨様に出会った。無惨様は言ってくれた。この世は人で溢れている。お前を愛さない者達など全員殺してしまえと。
だから私は、皆殺した。最初に私を一度も愛さなかった両親を。殺して、死んでからも食べて、塵みたいな味だったけどお腹だけは満たされて。
次に三人が纏っていたから全員殴り飛ばしてやった。トウジはモモとカズヒコをずっと庇うから気持ち悪くて何度もズタズタに引き裂いたら動かなくなった。モモは死んでたみたいだから、最後にカズヒコの首をゆっくり締めてやったの。カズヒコは特に私のことが嫌いだったみたいだから。
「全部……お前が…悪い……っ!」
カズヒコの爪が私の腕に食い込む。不快だ。全てが不快だ。思い切り手に力を入れるとバキッという音がしてカズヒコは何も喋らなくなった。
そして私のことを迎えに来てくれたお姉ちゃんは私に対して恐怖と嫌悪の色を滲ませていて、
「ねえ、お姉ちゃん。私のこと、好き?」
お姉ちゃんは答えてくれなかった。今思うと、私が首を絞めていたせいなのかもしれないけど、お姉ちゃんに嫌いって言われたら生きていけないと思ったから。
そんなことを言われるなら殺したほうがいいと思ったの。
だって私は、本当にお姉ちゃんのことが──
「………え?」
ぼたぼたぼた、と血が足元に落ちる。
だというのに私の頚は繋がったままだ。どうして?お姉ちゃんの刀は確かに私の頚に届いていたはずなのに。
いつの間にか私はお姉ちゃんに抱きしめられていて、私の風で作りだした風の刀…風刺はお姉ちゃんの腹部を貫いていた。
「なんで…?」
「美琴」
優しい、暖かい声が聞こえる。
お姉ちゃんだ。お姉ちゃんの声だ。
「…やっぱり……殺せない…なぁ…」
それは、私がずっと聞きたくてずっと夢見ていたお姉ちゃんの声。恐怖も嫌悪もない。お姉ちゃんの声には優しさと愛情が確かに溢れていて、
「…大好きだよ、美琴……嫌いになんて……絶対にならない…」
私は好意の色が分かる。お姉ちゃんは、本当に、私のことが好きだよって……
意識を失ったお姉ちゃんがその場に崩れ落ちた。風刺をお腹に刺したまま、ぴくりとも、動かない。
「お姉ちゃん…?」
血に塗れるお姉ちゃんに縋るようにしゃがみ込んで首に手を当てる。まだ、脈がある。生きてる。
どうしよう、お姉ちゃんが、お姉ちゃんが死んじゃう。嫌だ、それだけは絶対に嫌だ。誰か、どうしよう…!
「凛!!」
「ううーーっ!」
楽兒と戦っていたはずの男の子と鬼の女の子がお姉ちゃんの元へ駆けつけてお姉ちゃんを抱き上げて私から距離を取る。
楽兒はそれを愉しそうに眺めながら私の元へとやってきた。
「ああ、殺しちゃったんだねえ」
「楽兒……」
「最後のお別れくらいはさせてあげたいと思ってさぁ?俺の優しさだよ」
男の子も鬼の女の子も必死でお姉ちゃんに声をかけるけどお姉ちゃんは目を開けない。そして腹部に刺さったままの風刺を男の子が抜こうと柄に手をかけ──
「抜かないで!!」
それを私が制すると男の子と鬼の女の子は驚いたような顔で私を見つめ、楽兒はほう?と私の顔を愉しげに覗き込んだ。
「今抜けば失血死する。刺さってる間は私の血鬼術で止血が出来るから、応急処置が出来るようになるまでは絶対に抜かないで」
「……それで君は、凛を生かしたままどうするつもりなんだ…!?」
男の子がお姉ちゃんを地面へと下ろし、鬼の女の子と共にお姉ちゃんを背に守るように立ち塞がる。
……馬鹿みたい。本当に、馬鹿だ。
私はただ、お姉ちゃんに笑っていてほしかった。美琴、と名前を呼んでほしくて、私のことを見てほしかっただけなんだ。
──お姉ちゃんが死んでしまったら、私が生きてる意味なんてないのに。
「早く、手当てしてあげてほしい」
「…え?」
「お姉ちゃんを、死なせないで。助けてあげて、お願い、お願いだから…!」
「ははっ、それを俺が許すと思ってんの?」
楽兒が私の横で凄まじい殺気を放つ。
分かっていた、楽兒が何故私と行動をしているのか。きっと私が裏切った時にすぐに始末出来るように無惨様が嗾けていたのだろう。
だって私は、無惨様の煩い「呪い」を最初の頃にほとんど外してしまっていたから。
「そうね、楽兒。貴方が邪魔よ」
怨霧吹!
楽兒に向かって血鬼術を放つと楽兒は今までに見たことがないほど喜んだような表情を見せる。そしてそれと同時に僅かに残った呪いが私を襲った。
「がはっ…!」
内部から壊されていく。臓器がいくつか潰された。やっぱりこの呪いは裏切り者を始末するためのものだったのだろう。
だけど、まだ死ねない。いや、死んでも成さなければならない。
「鬼狩り…っ!」
私の叫び声に男の子が顔をあげる。
「お姉ちゃんを、助けたいの…!力を貸して!楽兒を……殺す!」
私の言葉に男の子は信頼の色を見せて、鬼の女の子と一緒に楽兒へと敵意を向ける。
「ははっ!いいねえ、紀悲ちゃん!喜んでお相手をしようじゃないか!」
「私は…私は斎藤美琴!お姉ちゃんの妹だ!」
お姉ちゃんを助けて
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