幕間 弐ノ参


「凛!」

自分を呼ぶ声に意識が覚醒する。
今まで寝ていたとは思えないほどの疲労にはぁはぁ、と息を整えようと大きく呼吸をすると炭治郎が優しく私の背中を摩ってくれる。

「凛…酷く魘されていたぞ……」

炭治郎が心配そうに私の顔を覗き込む。
まただ、またあの日の夢を見てしまった。あの日からこの悪夢から逃れられない。一度掘り起こされた記憶が私を苦しめる。忘れるつもりなんてないし、忘れることなんて出来ない。
それでも、毎晩夢に出てくるのは勘弁してほしかった。

「ごめん炭治郎、迷惑かけちゃって…」
「迷惑なんかじゃないよ。ただ…」

炭治郎が気まずそうに目を伏せて、それから意を決したように顔を上げる。

「凛、少しだけ夜風に辺りに行かないか?」

炭治郎に誘われて、私達はいつも休憩をする中庭へと移動することにした。



深夜の中庭は静まり返っていて、月明かりだけが俺達を照らしていた。
凛は酷く魘され、ずっとある言葉を口にしていた。もう知らないフリは出来ない。
あの日からずっと聞こうと思っていた言葉を俺はついに凛に向けて発した。

「凛。凛にずっと聞きたいことがあったんだ」
「何?」
「俺達が汽車で戦った鬼は、俺達に夢を見せる血鬼術を使っていた。その血鬼術を破る方法は夢の中で自死をすることだったんだ。…凛は俺よりも早く目が覚めていたけれど、それは技を破っていたから…なんだよな?」

俺の言葉に凛が目を伏せて「やっぱり」と小さく呟く。技は見破っていたと。俺よりも早く気付いて自死をしたと言ってほしい。祈るような気持ちで待っていると凛は

「あれが敵の技だって気付いてすらいなかったよ」

寂しそうに笑ってそう答えた。
……それはつまり、凛は技を破るためではなく正真正銘死ぬために自死したということ。

「……どうしてだ?」
「………」

凛は答えない。
だけど俺は、狡い方法で凛の過去を知ってしまっている。
男の人が言っていた。「妹の首を斬って自分の首も斬った」と。鬼が言っていた。「妹は鬼になってしまってる」と。そして、凛は魘されながらずっと口にしていた。「美琴」と……。

「凛。凛は…」

これは、口にしてもいいことなのだろうか。
…いや、しなければならない。だってそうしなければ凛は…

「鬼になった妹を殺して自分も死ぬつもりなのか…?」

それしか思いつかなかった。
何故凛が鬼の術を破れたのか。
何故幸せな夢の中で妹の首を斬ったのか。
その答えは、これしかない。

俺の言葉に凛は少しだけ驚いた顔をして、そして

「うん」

慈しい笑顔を浮かべて答えてくれた。


「駄目だ!」

俺は凛に歩み寄って両手を握る。少し冷えてしまっているけど、ちゃんと生きている人間の手だ。死ぬなんて、そんなのは絶対に駄目だ。

「凛、駄目だ。死ぬなんて言わないでくれ、お願いだ…!」
「誰にも言うつもりはなかったんだけどなぁ」
「妹さんは一緒に探そう!凛、言ってくれたじゃないか。鬼を人間に戻す方法を探してるって…諦めないで、一緒に探そう!」
「炭治郎」

凛が優しく俺の名前を呼ぶ。
諦めたような表情で、凛は本当に優しい笑顔と匂いをさせて俺を見る。

「私、炭治郎と禰豆子ちゃんが羨ましかった」
「え…?」
「鬼になっても、炭治郎の妹であり続ける禰豆子ちゃんも。妹が鬼になっても禰豆子ちゃんの兄であり続ける炭治郎も。羨ましくて眩しくて、…自分が美琴の手を離したのだと気付かされたの」

凛は俺と視線を合わせない。まるで自分に語りかけているように言葉を続ける。

「だからせめて、一緒に死んであげたい。寂しがり屋のあの子を一人で死なせるのは可哀想なの。炭治郎は、禰豆子ちゃんが一緒に死んでって言ったら断れる?」
「それは……一緒に生きようって、禰豆子を説得する…!」
「ふふ。炭治郎と禰豆子ちゃんならそれでもいいかもしれないね」

嫌だ。凛から諦めてる匂いがする。
死なないでほしい、もっと生きていてほしい。
どうして生きることを諦めるんだ?

「美琴は私以外の家族を全員殺した」
「……!」
「きっと今も、多くの人の命を奪っている。もう後戻りは出来ない。…せめて、最後に人間に戻してあげることが出来たらって。そう思ったから鬼から人間に戻す方法を探してたんだけど…なかなか見つからないね」

凛の手がどんどん暖かくなっていく。いや、俺の手が冷えてしまってるんだ。悲しすぎる事実が飲み込めない。俺は……

「炭治郎はさ、ちゃんと禰豆子ちゃんを人間に戻して一緒に生きなきゃ駄目だよ」
「凛、俺は諦めない」
「うん。そうだよ。お兄ちゃんなんだから、絶対に諦めちゃ駄目」
「違うよ凛。俺は禰豆子のことも、鬼を人に戻す方法を探すことも。…凛のことも絶対に諦めない」
「え?」

握ったままの手を再び強く握る。この手には血が通っていて、凛は今こうして生きているんだ。それを自ら手放すなんて許されない。

「凛の言い分は分かった。だけど、凛の家族は絶対に凛が死ぬことを望んでいない」
「…!」
「俺達は鬼殺隊士で、いつ命を落とすか分からない。俺達の家族だってもっと生きていたかったはずだ。…生きていることは当たり前のようで、当たり前じゃない。…今こうしてここに在れるのは奇跡なんだ」

母さんも竹雄も茂も花子も六太も。もっと生きていたかったはずだ。きっとそれは凛の家族も同じだろう。だけど凛の家族は凛に一緒に死んでほしいなんて思っていないと思う。せめて自分達の分まで生きてほしいと。…俺が母さん達の立場だったらそう願うと思うから。だから──

「自分から命を断つことなんて、誰が許そうと俺は絶対に許さない」
「炭治郎……」
「妹さんが今どうなってるかは分からない。だけどやっぱり、一緒に生きる道を探そう。……妹さんは凛の最後の家族なんだから」

ぽろ、と。凛の目から一筋の涙が溢れた。

「………美琴…」
「…うん」
「……一緒に…生きれるかなぁ……」
「諦めたら駄目だ、凛。一緒に探そう。俺も絶対に諦めないから」

凛が俺に縋り付くように抱きついて、そのまま嗚咽を漏らすから俺は凛のことをそのまま優しく抱き締めた。
俺よりも全然細くて、普通の女の子の凛。
一人残った妹を探し出すために血反吐を吐くような努力をしたに違いない。
分かるよ。俺も凛と境遇が似ているから。
ただ、俺には禰豆子がいた。でも、凛にも美琴さんがいる。側に居るか居ないか。それだけなんだ。

「炭治郎……」
「ん?」
「……眠い」

泣き疲れたのか、凛が眠そうな声でそう言うから俺は少しだけ笑ってしまい、そのまま凛を横抱きにして部屋まで戻ることにした。

「炭治郎」
「なんだ?」
「………ありがとう」

消え入るような声で、凛が言う。
今日俺は凛の心に強引に踏み込んだ。それが正解だったのかは今は分からない。
だけど、凛の安心そうな匂いとその言葉が聞けただけで俺は満足だった。


部屋に着く頃には凛はすっかり眠りに落ちていて、最近いつもさせていた恐怖の匂いもすっかりなくなっていた。

諦めないで




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