※ それを私は と呼ぶことにしたの続きです。


彼女のことを生徒としてではなく一人の女性として見るようになったのは、二年前のあの日。彼女が泣きながら俺にこの箱を投げつけてきた時からだった。


俺は教師というこの仕事が好きだ。生徒達と共に自分も日々成長していけるこの職はまさに天職で一日一日を大切に生きようと思える。生徒達は一人一人が毎日違う顔を見せていて、その数だけ彼らの葛藤があり人生がある。そのほんの一部に自分が関わることができ、影響を与えることが出来るのならば教師としてこれほど嬉しいことはない。

斎藤凛はその中でも特に可愛らしい生徒だった。俺の授業をいつも楽しそうに、そして真面目に受けてくれた斎藤。歴史の授業は生徒によっては退屈なもので特に斎藤のクラスは俺の授業の前に体育の授業があるせいか寝ている生徒も少なくはなかった。そんな中、いつも楽しそうに授業を受けてくれる斎藤の姿が俺の目に止まるのは自然の流れだった。
そして、いつからか登校の時間が毎朝のように被るようになったのだ。俺の朝は早い。職員室の鍵を預かっているのは俺であるため職員の誰よりも俺は朝早く学校へやってくる。そんな俺と毎朝のように出会う斎藤に早いな、と尋ねると電車が混むのが嫌なんです。と斎藤は可愛らしく笑っていた。今思えば、あれも俺に会いたいがためだったのかもしれない。


可愛らしい生徒、斎藤。そんな彼女は二年前のあの日。俺のことを好きだと言ったのだ。頬を染め、目には本気の色を灯していて。誰がどう見ても斎藤は俺に恋心を抱いていた。
俺は、困惑した。斎藤のことは好きだ。だが、それは一教師として。彼女のことを女として見たことは一度もない。俺の中で彼女は可愛い生徒だったのだから。

「君のそれは、憧れだ」

そう言った時の斎藤の顔は今でも鮮明に覚えている。信じられないと、どうしてそんなことを言うんだと。彼女の目は俺に訴えかけていた。あの時の彼女の泣き顔は今でも忘れられない。結果として彼女は俺に分かりました。と捨て台詞を吐きこの箱を投げつけて走り去ってしまい、その日から斎藤凛は普通の生徒に戻ったのだった。


毎朝交わされていた挨拶も、彼女が登校時間を変えたため無くなり。授業中に何回も合っていた目も合わなくなった。意図しているのだろう。俺が生徒の方を向いている時、斎藤は一度も顔を上げることはなくなったのだから。だからと言って避けられている訳でもなく、廊下ですれ違えばきちんと挨拶をしてきてくれるし、ノートを集めてほしいと言えばちゃんとノートを集めて職員室まで持ってきてくれる。そしてそれで終わり。
何もおかしくはない。むしろ以前の方がおかしかったのだ。仲良く話していたのも、俺に懐いていてくれていたのも。今覚えば以前の方が異常だったのだ。それを寂しいと思う権利は俺にはなかった。


「最近斎藤可愛くなったのよな」

なんてことない、ただの噂話に足を止めてしまう。
下校時間はとっくに過ぎているため早く帰るように、と教室を見回りしていた時にふとそんな声が聞こえてきた。あれからニ年の歳月を巡っていて斎藤達はあと一月もしないうちに卒業となる。今教室に残っている生徒も進路が決まっていて最後の高校生活を満喫しているのだろう。だから、そう言った話題が出るのは思春期の彼らにとっては当然のことなのだ。

「分かる!彼氏出来たんじゃねーか?」
「あーあいつだろ?四組の時透。最近よく一緒に帰ってるって」
「マジかよ!うわー俺告っておけば良かったなぁ」
「お前じゃ無理だろ」

ははは!と楽しそうな声が響いてくるのに俺はその内容に何故か胸が締め付けられる。斎藤に、彼氏が出来ていたのか。ならば喜ぶべきだろう。俺に好きだという憧れを抱いて、その思いから脱することが出来たのだから。なのに、何故俺は喜べない?生徒の幸せを祝えないほど俺は狭心だったのか?
一つ深呼吸をした後、俺は教室に残っていた生徒達に早く帰るよう促してその場を後にした。


そして卒業式の日。
入学した時よりも確実に大人びた斎藤を目で追ってしまう。あの日彼らが話していたように側には常に時透の姿があって、噂は本当だったのだろうと何故か苦い気持ちになった。
声を、かけてもいいのだろうか。あの日から二年間。斎藤との接点はそれこそ授業以外ではほとんどなくなってしまった。そんな俺が斎藤に声をかけてもいいものだろうか。笑顔や泣き顔が広がる生徒達の合間を縫ってゆっくりと斎藤に近付こうとすれば斎藤は他の生徒に話をかけられ俺には気付く素振りもない。

…このまま、何も言わずに見送るのが正解かもしれんな。

そう思って来た道を戻ろうとするとぐい、と服を引っ張られる。振り返ればそこには先程まで俺のことなど眼中にもなさそうだった斎藤の姿であった。

「斎藤!…卒業おめでとう」
「煉獄先生、私。卒業しますよ」

斎藤はよく分からないことを言う。卒業する、と。当然だ。今日は斎藤達が卒業する日なのだから。だけど斎藤は目をキラキラとさせて、こんな目で俺を見てくれるのはあの日以来でつい嬉しくなってしまう。

「? あ、ああ!そうだな!立派になったものだ…卒業、本当におめでとう!」
「違いますよ先生。私、この気持ちから卒業します!」

その言葉に目を見開く。まさか斎藤は──

「私、やっぱり駄目だったんです。煉獄先生に憧れようって。ただの憧れの対象として見守ろうってこの二年間頑張ったんです。だけど、無理でした。でも、今日この日から私は──」
「ま、待ってくれ!」

斎藤が何かを言おうとするのを彼女の両肩を持って制する。突然の俺の行動に斎藤が驚いたように言葉を止める。だって、その言葉は言ってほしくないんだ。俺から卒業すると、斎藤は言うつもりなのだろう。だけど、俺はそれが嫌だ。

そうか。俺は嫌だったんだ。斎藤と毎朝会えないことも、授業中に目が合わないことも。斎藤が誰かと付き合っているかもと知ったあの日、生徒の幸せを祝うどころか嫌な気持ちにしかならなかった。そうか、俺はこの気持ちは罪悪感からくるものだと思っていた。だけど違う。この気持ちは……

「れ、煉獄先生?」
「斎藤。俺はまだ、チャンスをもらえるだろうか?」
「え?」
「君に抱いている気持ちが俺は分からなかった。仲良くしていた生徒が遠ざかってしまい寂しくなったと。それだけだと思っていたんだ。だが、この気持ちはそれだけでは納まらない。もっと、俺を見てほしい。俺だけを見てほしい。…俺から、卒業しないでほしいと思っている。斎藤、この気持ちはただ寂しさからくるものなのだろうか…?」

その言葉に斎藤は数秒ぽかん、とした後あはは!と楽しそうに笑った。

「先生、その気持ちは好きっていうんですよ」

斎藤は涙を流しながらとても嬉しそうに俺に教えてくれる。

「……そうか、君は物知りだな」

そう言って思い切り抱きしめれば、斎藤も俺のことを思い切り抱きしめ返してくれた。


俺はその日から、この気持ちに「好き」と名付けた。







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