それを好意と言わずして、


「よろしくね」

 差し出された手は握らなかった。それなのに、梓喜叶は無理矢理ぼくの手を取って握手させた。彼女の小さな両手で包まれたぼくの右手を見ながら、ぼくが不機嫌なのを顔に出しても、彼女は気にも留めずにただ微笑んでいた。
 やけに穏やかな声だ、と思った。穏やかというのは、トーンの話ではなく、大きさの話だ。ぼそぼそ、と形容するのともまた違う。ぼくでなくともちゃんと耳には届くけれど、やや抑えられた声量。風間さんと居るところを今まで度々見掛けたが、こんな人だったろうか。決して大声ではないが、人並みのボリュームで話す人だった気がするのだけれど。
 初日だけなら緊張とか、警戒心とか、そういう言葉で片付けられたけれど、梓喜叶はずっとそうだった。それがぼくへの気遣いだと──彼女が小さい声で話すのはぼくが傍に居る時だけだと気付くのに、そう時間は掛からなかった。ある日、遠くに見付けた彼女は、ぼくに聞かれていることを知らず、普通の声量で話していた。

「……何あれ」

 僕の呟きを拾った歌川が、視線を辿って彼女を見付ける。「あ」とどこか嬉しそうな声を漏らし、彼女に近付こうとした歌川の腕を掴んだ。くるりと方向転換し、今来た道を戻る。「おい菊地原!」抗議の意味が込められた歌川の言葉は、勿論耳に届いているけれど無視をする。

「なんだよ、そんなに苦手なのか?」
「苦手じゃない、嫌いなんだよ」 
「より悪いな」

 ぼくより後に風間隊に来たくせに、同い年だから、付き合いが長いから、ってだけで、風間さんは僕には見せない顔をあの人に見せる。そんなのずるいじゃないか。


*


「そういう気遣い、要らないんだけど」

 持ち込んだノートパソコンのキーボードをかたかたと叩いていた彼女は、ぼくの言葉にはた、と手を止めた。作業しながらも絶え間なく動いていたお喋りな口は閉じられたけれど、すぐにまた言葉を紡ぐ。「なんの話?」だからそれだって。

「ぼくと居る時だけ小声になるの、別に要らないよ。優しい先輩アピール?」

 彼女は酷く不思議そうな顔をして、何か考えるように視線を彷徨わせた後、ぼくと真っ直ぐ視線を合わせて「ほんとに?」と問うた。ほんとにって、なんだ。

「本当。知ってるよ、ぼく以外と居る時は普通に喋ってるの」
「えぇ〜そっか……」

 困ったように頬を掻いて、「ごめんね、無意識だった」と彼女は言う。

「はあ?」

 そんなの絶対に嘘だ、と指摘してやりたかったが、嘘を吐いているような動揺は見られない。顔にも、声にも。他ならぬぼくの耳が、それは本音だと証明している。あるいは、この人がよっぽど嘘を吐き慣れているか。

「気に障るようなことしちゃって申し訳ない……。これから気を付けるね」

 ぼくの嫌味なんて諸共せず、心底申し訳なさそうに眉を下げられたものだから、ぼくはどう返せば良いか分からずに黙り込んだ。


 ──結局彼女は今でも、ぼくと話す時だけ声量を抑える。本当に無意識下の行為らしく、彼女が『気を付け』ようとも一向に治る気配がない。彼女の声は穏やかに、優しくぼくの耳に届く。ぼくはそれが、なんだか無性に腹立たしい。
 ぼくのそんな愚痴を聞いて、「自分の感情に名前を付けるのが下手だな」とかなんとか、意味不明なことを言いながら歌川は笑う。



【お題:生意気】






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