カレーとビールと失恋と


 メッセージアプリのグループの中に、俺、梓喜叶、木崎レイジ、諏訪洸太郎、寺島雷蔵の五人が入っているグループがある。同い歳のボーダー隊員(一人は元ボーダー隊員、現エンジニアだが)を集めたもので、梓喜が言うには『仲良しグループ』だ。俺も他のメンバーも、言葉にして肯定しはしないものの、否定もしない。仲良しの基準にもよるとは思うが、まあ良くつるむ仲ではある。あれこれ気を回さなくても良いし、一緒に居て楽だとは思う。それを『仲良し』とするなら、そうなのだろう。
 グループでやり取りするメッセージのおよそ半分が、梓喜から話題を振られたものだ。文字でも対面でも、とにかく梓喜は良く喋る。有意義な会話が繰り広げられることなど一割あるかないかで、ほとんどは雑談だ。もしくは飲みの誘い。たまにボーダーの話もするが、所属も立場も違う俺達がわざわざメッセージ上で真面目な仕事の話をすることはあまりない(そもそも、そういう話に関しては直接会って話した方が都合が良い)。
 今日の飲みを提案したのは諏訪で、梓喜だけが断りを入れた。『その日はデートだから無理』と。良くある話だ。梓喜は恋人が居ない時の方が少ない。だからと言って友人と恋人のどちらかを優先するような奴でもなく、ただ単に先約を取るタイプだった。メンバーが揃わないと遊ばない、なんて気を遣うような関係ではないから、今日は四人で諏訪の家に集まっていた。

「今誰と付き合ってんだっけ? あいつ」

 箱から煙草を取り出しながら諏訪が訊く。既に灰皿には数本、吸い殻が捨てられている。

「大学の同級生だな」

 疑問に答えてやると、訊いた割には興味なさげにふーん、と煙草を咥えた。火を灯す。

「何ヶ月だ? 二週間くらい?」
「もう一ヶ月だね」

 スマートフォンを操作しながら、今度は寺島が諏訪の疑問に答える。寺島はどうやら例のグループの履歴で『彼氏』というワードが含まれるメッセージを検索し、梓喜の『彼氏出来た!』報告がいつだったかをわざわざ探したらしい。梓喜は毎回嬉々としてこのメッセージを送ってくる。横から寺島のスマートフォンに手を伸ばして勝手にスクロールする。今回の梓喜の報告に対する俺達の返信は、木崎が『おめでとう』、俺が『そうか』、諏訪が『別れるに二千円』、寺島が『別れるに三千円』だった。最初は諏訪も寺島も、もう少し優しい祝福の言葉を送っていたような気がする(因みに木崎は昔からずっと『おめでとう』の五文字だ)。友人の交際期間で賭け事、なんていう趣味の悪いことをするようになったのは、何度も何度も交際宣言を聞かされてきたからだ。当の梓喜はと言えば『別れないに五千円!』と怒りマークを添えて返している。さすがにおまえは咎めろ。乗るな。

「出来たから、食器運ぶの手伝ってくれ」

 キッチンでせっせと夕食を作っていた木崎が、炬燵を囲んでだらけていた俺達に声を掛ける。今日は俺のリクエストでカツカレーだ。写真を撮って梓喜に送り付けてやるつもりでいる。

「一ヶ月なら、そろそろ別れる頃だな」

 山盛りの白米にカレーを掛けながら木崎は言う。木崎は友人の失恋を笑うような奴ではないが、そんな彼でもあいつの交際が続くとは思っていないらしい。無論俺も同じだ。どうせすぐ俺達に泣き付いてくるだろう。これは意地悪を言っているのではなく、勿論迅のように未来を見ている訳でもなく、ただこれまでの経験から予測されることを述べているだけだ。
 梓喜叶はそういう奴なのだ。


*


『すぐ』は、本当にすぐにやってきた。具体的に言うと二時間後だった。
 十一時という遅い時間に、インターホンの音が鳴り響いた。「よっしゃ二千円」と言いながら諏訪が腰を上げ、玄関に出向く。こんな時間に訪ねてくるのなんてあいつしか居ないだろうし、諏訪が決め付けるのも当然だ。
 それほど待たせてもいないのに、二回目のチャイム音が鳴る。とことん急かしてくる。はいはい、と呆れたように言いながら諏訪がドアを開けると、顔をぐっちゃぐちゃにした梓喜が立っていた。十数本の缶ビールが入ったレジ袋を手にして。

「フラれたぁー」

 抱き着いてくる梓喜の頭を、諏訪はまた「はいはい」と言いながらぽんぽん撫でる。見慣れた光景を横目に、木崎が腰を上げた。キッチンに立ち、この状況を想定して少しだけ残していたカレーに火をかける。誰も「梓喜に残しておこう」などとは言わなかったが、自然とそうなっていた。梓喜が来なかったら来ないで、明日にでも諏訪辺りが食べるだけだ。

「うわ、冷えてんな。取り敢えず中入れ」

 梓喜の頬に触れて体温を確認した諏訪が、開いていたドアを閉めて、梓喜を暖かい部屋の中に入れる。二月上旬、まだ冬の真っ只中だ。夜は良く冷える。
 炬燵の上に無造作にレジ袋を置いた梓喜は、定位置である俺の隣に座った(机の辺は四人で埋まってしまうから、体格的に俺と梓喜が隣り合って座るのが習慣付いていた)。ぐずぐずと鼻を啜りながら。炬燵の中で触れた梓喜の足が想定していたよりも冷たくて、思わず眉を顰めた。

「カレー、食べるか?」

 木崎の言葉に対して、嗚咽の隙間に、食べるぅ、と梓喜は返す。諏訪の部屋にはすっかりカレーの匂いが充満している。おそらく梓喜は最悪な気分なのだろうが、俺はそこそこ酒が回っているので気分が良い。
 遅れて戻ってきた諏訪が、梓喜が着ていたコートを脱がせる。梓喜は何も文句を言わず、されるがままになっていた。回収したコートを、諏訪は衣装ラックのハンガーに掛ける。その後、机の上のビールを持ってキッチンに向かった。冷蔵庫に梓喜が持ってきたビールを収め、代わりに冷えた缶ビールを一本と、グラスを持って炬燵に入る。プルタブを開けてグラスにビールを注ぐ。綺麗に二体八の割合で泡と琥珀色の液体が注がれたそのグラスを、梓喜の前に置いた。梓喜は「ありがと」とこんな状況でもちゃんと感謝の言葉を口にしてから、ぐっとビールを仰ぐ。一気に飲み切ってしまった。良い飲みっぷりだ。

「今度は何したの?」

 寺島が机上のあたりめに手を伸ばしながら梓喜に問う。諏訪が注いだ二杯目のビールを少しだけ喉に流し込んでから、「刺したの」と梓喜は答えた。思っていたより過激な返答が飛んできて、諏訪はうげ、と嫌そうな顔をする。

「どこを?」
「首を」

 諏訪の顔にやや不安が滲む。同じような話を何度も聞かされてきたというのに、諏訪は毎回ちゃんと怯えてやるから良い奴だ。片や寺島はと言えば、酒の肴くらいにしか思っていない。

「何で?」
「爪で」

 包丁やらカッターやらではなかったことに安心したのか、険しかった諏訪の表情はやや柔らかくなった。「殺してなくて良かったよ」と寺島はあっさり言ってのける。勿論、恋人を殺したのかと本気で疑ってはいないだろう。そういう、正直俺達には良く分からない『ライン』が梓喜の中にはある。

「この皮膚を傷付けたら血、出るかなって思っちゃったの」
「出たの?」
「出た」

 自分が傷付けられた訳でもないのに、諏訪は痛そうに顔を歪める。入ったばかりの炬燵から出て、箪笥に何かを探しにいった。
 諏訪と入れ替わるように、カレーの乗った皿を持って木崎がキッチンから帰ってくる。

「これ食べて元気出せ」
「うぅーありがとう、レイジくん」

 いただきます、と手を合わせて、梓喜はカレーを食べ始めた。「美味しいー」感想を伝えながら泣く。美味いならもっと幸せそうな顔をすれば良いのに。

「おい梓喜、ちょっと手出せ」

 炬燵に戻ってきた諏訪は、爪切りを手にしていた。見れば、梓喜の爪は結構伸びている。確かに、これだけ長ければ人の皮膚にも傷を付けられるだろう。

「え、何?」
「爪切るから、貸せ」
「でも今手貸したら、カレー食べれないじゃん」
「風間に食わせて貰え」

「なるほど、名案だねぇ」と何故か納得して、梓喜はスプーンを皿に置いた。大人しく諏訪に自分の手を差し出す。諏訪は親が幼子にしてやるように、梓喜の爪を切り始めた。

「何がどう名案なんだ」

 彼らの言い分の正当性は全く理解できないが、話が固まってしまったようなので仕方なく俺はスプーンを手に取る。米とルーを掬い取り、梓喜の口まで運んでやる。雛鳥に餌付けする親鳥のような気分だ。

「何これ」

 梓喜は器用に、泣きながら笑った。「まるで介護だね」寺島の言葉に「若若介護じゃん」と梓喜はまたずびずび鼻を啜りながら笑う。ツボが浅い。

「夜に爪切ると蛇が出るんだったか」

 木崎の言葉に、俺が口まで運んでやった二口目を咀嚼し切ってから、「親の死に目に会えない、じゃなかったっけ?」と梓喜は小首を傾げる。幼くして親の死に目に会ったこいつが言うと場が凍りそうなものだが、ボーダーにはそういう過去を持つ者が他にも多く居るし、過剰反応してしまう方が気まずいというものだ。特に引っ掛かることなく話は進んでいく。

「どちらも聞いたことがある気がするな」

 俺の言葉に皆同意してくれる。

「そういう迷信ってなんで生まれるんだろうね」
「梓喜、次右手貸して」
「あ、うん」

 パチン、パチン、と音が鳴る。梓喜はずっと泣いている。これだけ泣いても、涙ってのは枯れないのだろうか。
 俺は自分が梓喜の口まで運んだカレーを咀嚼する彼女を見ながら、ビールを飲む。あれ、そういえばさっきまでは梅酒を飲んでいたような気がする。机上を見遣って、自分の酒ではなく梓喜の酒を飲んでいたことに気付いた。まあ一口くらい良いだろう。

 ──蛇はやってこないまま、夜が更けていく。友人の何度目かの失恋を連れて。






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