魔法にかけたい


 朝は苦手だと言っていた。目が覚めてから、頭が起きるまで時間が掛かるらしい。同じ建物で寝起きしているのにぼんやりした姿なんて見たことがないが、本来起きるべき時間よりずっと早くアラームを鳴らして、しばらくただぼーっとしているらしかった。部屋から出てくるのは、頭がしっかり覚醒してから。叶さんはカッコつけだ。おれも──多分他のみんなも、叶さんの格好悪いところだって見たいと思っているけれど、叶さんは後輩にそういう姿は見せまいとしている。
 だからその日は、正直結構わくわくした。

 ──ふっと夢から覚めた。部屋はまだ真っ暗。枕元の時計を確認したら、午前四時を差している。早朝。むしろまだ夜。寝直そうと目を瞑って数分待ってみたが、どうにも寝付けない。う〜ん、どうしよう。一旦眠ることを諦めて、水でも飲もうかと部屋から出た。ちょっと冷え付いている四月の廊下を歩き、ダイニングに向かう。

「……あれ?」

 明かりをつけた部屋の中、ソファの上に人影を認めた。足音を潜めて正面に回ると、そこで眠っていたのは叶さんだった。意外だ、こんな所で寝るなんて。その場に胡座を掻いて、珍しい寝顔を覗き込む。口の端から、規則正しい吐息が漏れている。
 なんとなく赤みを帯びた頬に、そっと触れてみる。病的な熱はないが、アルコールを摂取した人間らしいあたたかさがあった。そういえば、友人と呑みにいくからと昨夜は夕食の場に居なかった。酔って、帰ってきてくれたんだ、ここに。その事実に気付いて、喜びに口角が上がる。酔っ払った時に帰る場所として、本部ではなく鈴鳴を選んで貰えたことが、どうしようもなく嬉しい。
 頬から手を離して、じっと彼女の顔を眺める。ずっとここに居てくれれば良いのに、と思う。おれだけじゃなくて、多分きっと、鈴鳴第一のみんながそう思っている。

「叶さん」

 もしもおれが、催眠術とか使えたら。

「ずっとここに居てくれて良いんですよ〜」

 眠っている叶さんに術をかけて、ここに居たい、って言わせることができるのに。
 悔しいな。魔法みたいな銃は撃てるようになったくせに、たった一人の気持ちを変えることすらできない。無力でもどかしくて、少し、さみしい。

 ──五分くらい、ただぼうっとそこに居た。不意に、外からバイクのエンジン音が聞こえてきて我に返る。新聞配達だろうか。こんな時間からお疲れ様です。
 さて、どうしよう。起こした方が良いだろうか。このままここで眠っていると、風邪でも引いてしまいそうだ。毛布を持ってくる? どうすべきか悩んでぐるぐる頭を回していると、初めて叶さんが身を捩った。おれは驚きにびくりと肩を揺らす。起きた……?

「んんっ……」ゆっくりと、叶さんが目を開けた。眠たげな黒い瞳に、おれの姿が映る。ぱちり、ぱちり、スローモーションがかかったみたいに二回瞬きをした叶さんは、唐突にその白い腕をこちらに伸ばした。

「大きくなったねぇ」柔らかい口調で言いながら、頭を撫でられる。犬か何かと間違えてる? 止めようか迷うけれど、ふわふわと髪を掻き混ぜられるのが気持ち良くて抗えない。

「叶さ〜〜ん、俺ですよ〜」

 しばらくされるがままになっていたけれど、じわじわと恥ずかしさが込み上げてきた。そろそろ気付いてくれ、と自己主張する。

「……?」

 ぴたり、ようやく叶さんの動きが止まった。

「……あ、え、太一くん?」
「はい、太一くんです」
「えぇ〜、あ〜…………ご、ごめんね……」

 のそのそと重そうに体を起こす。途端に目が合わなくなったのは恥ずかしがっているからだろうか。先輩にこんなことを言うのは失礼かもしれないけれど、可愛い。ここまで焦っている叶さんは初めて見た。さっきは色付いていなかった耳が、ほんのりと赤くなっている。

「叶さん」
「?」
「まだ四時ですけど、寝直しますか?」
「え? う、うん……そうしようかな」
「じゃあおれも二度寝しよっと」

 叶さんの手を取って立ち上がる。一瞬だけ握ってすぐに離した手の平は、柔くてあたたかかった。



【お題:催眠術】






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