迅悠一は他人だったのか


 防衛任務を終え、隊のメンバーとは作戦室で解散になる。全員が出るのを見届けてから部屋を出た俺は、本部に来ていた迅と会い、彼を捕まえた。どうせ見えていた未来だろうに、「まさか貴方に誘われるとは」だなんて、白々しい。

「どこまで見えてたんだ、お前」

 騒々しい居酒屋で、乾杯のすぐ後に問い掛ける。迅と俺は、それほど親しくない。用がなければサシ飲みになど誘わない。その『用』がこれだった。

「あの頃色んな人に訊かれたその質問を、今更貴方にされるなんて」

 迅は驚きに目を丸める。何に対する問いなのかは、わざわざ言葉にせずとも伝わっているようだった。

「直後に聞いても、どうせお前は口を割らないだろうからな。もう時効だろう」
「時効と言うには、三年は短いんじゃないですか?」

 彼にとって、三年は仲間の失踪を過去のものとして扱うには短いらしい。長いだろ、と返しはするが、別に俺は迅と、その感覚の擦り合わせをしたい訳じゃない。

「というか、『どうして今』というよりは『どうして貴方が』ですよ。苗字のこと、大して気に留めてなさそうだったのに」

 それどころか、苗字が居なくなってからたった一ヶ月で新しい隊員を見付けるんですもん。そう言って迅はケラケラと笑う。

「本当は一週間も経たない頃に声を掛けていた。ほとぼりが冷めるまでは正式に俺の隊に入るのを見送っていただけだ」
「なんていうか、本当に個人主義ですね、貴方の隊は。メンバーの絆が全く存在しない隊を、おれは貴方達以外に知りません」
「で、どこまで見えてたんだ」

 巧妙に話を逸らそうとしているのが見え見えだった。そうはさせまいと、無理矢理話題を元に戻す。これが訊けないのならば金と時間の無駄だ。ビールを口にした迅は苦い顔をした。苦かったのはきっと、ビールではなく俺の追及だろう。
 観念したように苦笑して、「全部ですよ」と迅は言った。

「苗字が人を殺すのも、嵐山があいつを連れ出すのも、全部見えてましたよ」

 粘った割には、迅は存外素直に白状した。あまりに他人事のように語るものだから、こいつにとってあいつらはここまで『赤の他人』だったのか、とやや面食らう。苗字はともかく、嵐山とはそこそこ仲が良さげに見えたのに。こいつには、嵐山の前でしか見せない気安さ、みたいのがあるようにはたから見て思っていた。気のせいだったのだろうか。

「結構顔に出ますね」
「……」
「何が言いたいか、大体分かりますよ」

 迅は焼き鳥を口に運ぶ。言葉を探すようにもぐもぐと咀嚼した後、「嵐山は大事な友達ですよ」と言った。でしたよ、ではない。現在形だった。

「でも『嵐山と苗字』ってセットになっちゃうと、途端にただの他人になっちゃうんです。不思議ですよね」

 泡が消えた琥珀色の水面を眺めながら、迅はいつかを懐かしむように目を眇める。なんとなく、言わんとしていることが分からんでもない。と同時に、可哀想な奴だ、と思った。こいつは大事な友達とやらを、あの女に連れ去られてしまったのだ。みんなの嵐山を、三門市の希望を、あいつは独り占めしやがった。

「あいつが知り合いを殺したのは、嵐山の為だろう」

 グラスに口を付けた迅は、まあそうでしょうね、と肯定する。ごくごくと一気にビールを呷ってグラスを空にした。「嵐山の為って言うか、嵐山のせいって言うか」メニュー表を渡してやると、迅は次に頼む酒を考えるように視線を走らせながら言う。

「人殺しが嵐山の為になるはずがないんですよ。あいつはそれを分かってて、それでも嵐山を理由に人を害するからタチが悪い」

 何か頼みます? と訊かれて、コークハイ、と答える。迅は近くに居た店員を呼び止め、酒と追加の料理を注文した。俺もグラスを空ける。

「お前、なんで止めなかった」

 宗教は身を滅ぼすぞ。そう、忠告してやったはずだ。それでもあいつは信仰をやめず、本当に身を滅ぼしやがった。にしてもまさか、神の為に人を殺すとは。俺が二十数年の人生で出会ってきた人間の中でも、苗字名前は飛び抜けて愚かな奴だった。俺の母も相当だが、それでもあの人はまだ、神の為に人を殺してなどいない。苗字よりずっとマシだ。
 やっぱり俺は宗教が嫌いだ。どれだけ傍に居たって、ただの人間には信者を回心させることが出来ない。母の祈る背中を見る度に、俺は苗字を思い出す。それがどうにも癪だった。

「あいつらの選択におれがとやかく言う資格なんてないでしょう?」
「行く先が地獄でも、お前は止めてやらないのか。友達なんだろ」
「地獄だってきっと、二人で居れば天国ですよ」

 迅はからからと笑う。あの二人のことならお見通しだとでも言いたげな口振りだった。

「それに、あいつらが幸せそうに笑ってたもんだから、邪魔なんて出来なかったんですよ」

 卵焼きを咀嚼する。いつかの笑顔を思い出す。たった一度だけ、あいつが笑っているのを見た。嵐山と共に居た、あの時だけ。

「確かに嵐山と居る時だけは、人間らしい笑い方をしてたな、あいつも」
「……え。見たことあるんですか、苗字が笑ってるとこ」

 迅は驚いたように俺を見る。箸からぽとりと落ちた塩だれキャベツが、こいつの心情を表しているようで滑稽だった。「一度だけな」と返す。

「あいつら、隊室をラブホにしようとしてやがった」
「隊室をラブホにしようと……」

 何故か俺の言葉を反芻する迅。信じられない、とでも言いたげな顔をしている。それから、黙ってキャベツを咀嚼していたかと思うと、「あいつらってするんですかね」と呟くように言った。目的語など聞かずとも分かる。無視しようかと思ったが、迅の目が真っ直ぐに俺に向けられるせいでそうもいかない。

「するだろう」
「だって嵐山と苗字ですよ?」
「苗字はともかく、嵐山は普通の男だろうが」
「えぇ〜……」

 どうしても納得いかないというか、納得したくないらしい。そんな迅の表情に、俺はげんなりとする。こいつもか。

「お前も割と、あいつらのことを神聖視してる節があるな」
「神聖視……はは、そんなまさか」
「まっさらで純白で綺麗なものだと思ってるだろ」
「人殺しとその恋人ですよ? 真っ黒だ。あるいは真っ赤」

 口答えをする割に、図星です、みたいに迅は口元を隠して視線を落とす。今まさに自覚したくせに、認めたくないのが態度に出ている。こいつも大概面倒臭い。三年が時効には短いと言うのは、こいつがあいつらをそれだけ大切にしていたということの現れじゃないのか。置いていかれてしまったから、あいつらが大切だったと認めたくないだけだろう。……それをわざわざ指摘する程、俺と迅の関係は深くない。心の中に留めておく。

「お前の代はろくでもない奴しか居ないのか」
「心外です。うちには柿崎っていう『まとも』の権化みたいな男が居ますよ」
「あいつ一人で背負うには『まともじゃない』割合が大き過ぎる」
「辛辣だなあ」
「お待たせしましたー」

 苦笑いしながら、迅は店員から酒を受け取る。どうぞ、とグラスを片方渡された。グラスの中で、しゅわしゅわと炭酸が主張していた。

「行かせて良かったのか、お前は」

 カクテルをマドラーでぐるぐると掻き混ぜる迅の姿を眺めながら、俺はグラスを傾ける。もう十分混ざっただろうに尚ぐるぐる、ぐるぐると回している迅は、答えを探しているようだった。

「良かった、でしょう。そりゃあ」
「即答出来ない時点で嫌だったんだろう、お前は。俺は今、あいつらの話じゃなくてお前の話をしてるんだ」
「…………」
「寂しかったんだろ」
「追い詰めないでくださいよ……」

 グラスに額をつけ、迅が俯く。苦々しい声を零して。らしくもなく、弱音を吐いて。
 とっくに成人した大人のくせして、迅は遊園地で一人置いていかれた子供のようだった。苦しむ迅を横目に、俺は刺身を食べ進める。不器用で哀れな男だ、と嘆息を一つ。こいつらの代には生きるのが下手な奴が多過ぎる。
「止めろ」と一言言ってやれば良かったのに。縋ってでもあいつらを自分の元に繋ぎ止めておけば良かったのに。それすら出来ないような優しさは、あいつらにとっては優しさでも、お前自身にとっては優しくもなんともないだろうが、迅。

「次に会ったら一発くらいぶん殴ってやれ」
「はは、もうあいつらに会う未来は見えないですよ」
「なんでもかんでもお前の見る通りに進むと思うなよ」

 ずず、と鼻を啜る音が聞こえた。「良い歳して泣くな」と言えば、「泣いてないですよ」と返ってきた。顔を上げた迅は、なるほど確かに泣いてはいなくて、へらりと笑っていた。

「嵐山のこと殴ったりしたら、きっと苗字に殺されます」
「なら苗字のことを殴れ」
「それはそれで嵐山にキレられますよ」

 換装しとけば大丈夫だろ、と言えば、不平等だなあ、と迅は口角を上げた。人殺しと神様相手にまだ平等で居ようとするただの人間は、ポテトフライを口にすると「これ美味いですよ」と言ってまた笑った。




×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -