彼女の名残がない部屋


 ──その日、作戦室に居たのはおれと隊長の二人だけだった。おれは家ではどうにも進まなかった大学のレポートと向き合っていた。作戦室は程良い緊張感があって作業が捗る。隊長はおれより後に来た。個人ソロランク戦を数戦こなしてきたらしかった。報告書を作成する為にここに来たのだと言うが、結局彼の目的が達成されることはなかった。
 おれと一言二言交わした後、ソファに座るなり、彼はスマートフォンを操作し始めた。ボーダーから支給されたものではなく、彼のプライベート用のものだった。二、三分程黙ってスクロールしていたかと思うと、おれの方を向く。隊長を見ていたのがバレたのかもしれない、と焦ってノートパソコンに向き直ったが、彼は立ち上がっておれが居るテーブルの方に来た。普段は特別な地位を示唆するお誕生日席に座る彼が、何故かおれの隣に座る。そこは、いつもなら苗字さんが座っている席だ。

「これ」

 彼がおれに見せてきたのはとあるニュース記事だった。『悲劇のボーダー隊員、同級生を殺害か』というインパクトのあるタイトル。嫌な予感がした。彼からスマートフォンを受け取り、スクロールして記事を読み進める。これまで、事故に遭って目を覚まさない悲劇のヒロインだと報道されていた苗字さんに、大学の同級生を殺害した容疑がかかっている、という内容だった。逮捕前に実名報道されるなんて、よっぽどなことがない限りはあり得ないはずだ。おそらく、容疑と言いつつ確定できるような証拠が出ていて、このビックニュースにマスコミが飛び付いたのだろう。

「ランク戦ブースで、何か変な視線を感じるような気はしてたんだ。今まで向けられてたような、『仲間を失っているのに平気な顔をしているのを責める目』とも違った。で、調べてみたらこれだよ」

 あまりの展開にキャパオーバーしてしまって、言葉が出ない。隊長が隣で深い溜め息を吐く。勘弁してくれ、と。ふと、鳩原未来を思い出した。隊務規定違反を犯してボーダーを辞めた彼女は、二宮隊の狙撃手スナイパーだった。その後、二宮隊はB級降格処分を受けた。具体的にどんな違反をしたのかは知らないけれど、人殺しと比べればちっぽけな違反だろう。二宮隊で降格処分なら、おれ達なんてどうなるのだろう。……こんな時まで、苗字さんのことではなく残された自分達のことを考えている自分に呆れる。

「いつかやると思ってました」

 記事を読み終え、隊長にスマートフォンを返す。彼の手元に戻ったそれをスリープモードにして、隊長はズボンのポケットに収めた。

「とか言ったら、大バッシングだろうな」

 彼は乾いた笑いを零す。おれはやっぱり何も言えないままだった。
 おれ達は、記事の内容を疑うことすら出来なかった。あの人はそんなことしない、なんて言えなかった。仲間ってなんだろう。きっと仲間ならば、この記事に憤るべきなのだ。しかしおれ達は一度だって、互いを親愛の情を込めて『仲間』と呼んだことがなかった。形式的に共に戦うだけの同僚、それ以上の何ものにもなれなかった。
 何かを考えているのか、隊長はじっと天井を仰いでいる。その隣でおれがどうしたものか、と途方に暮れていると、作戦室の扉をノックする音が響いた。

「嵐山だ。誰か居るか?」

 嵐山隊長の声だった。隊長は小さく舌打ちを落として、席を立つ。パネルを操作して扉を開けた。

「良かった、いらっしゃったんですね」
「呼び出しか?」
「そうです。もうご存知でしたか」

 こちらを振り返った隊長が、キリの良いところで帰れよ、とおれに言った。「はい!」返事をして、頭を下げる。隊長が部屋から出ると、扉が閉まった。隊長はおそらく今日、遅くまで帰れないのだろう。

「苗字さん……」

 一人になった部屋の中で頭を抱えた。長い長い溜め息を吐いて、椅子に凭れ掛かる。無機質な天井は、なんとなく彼女と似ている気がした。この天井みたいに真っ白だったあの人も、実際は普通の人間のように、笑ったり泣いたり怒ったりする人だったのだろうか。おれが何も知らなかっただけで。
 ふと見回してみて、苗字さんのものが無い部屋だ、と思った。本当に何も無い。まるで、最初から彼女の存在なんてなかったみたいだ。いつ消えても良いように図られていたのかも、なんて。あの人ならそういうことをやりかねない。
 これなら掃除は必要ないな、と考えている自分に嫌気が差した。隊員が一人居なくなっても、悲しみの一つたりとて湧いてこないことが、悲しかった。




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -