教室の隅っこでラブソングを


 朝、登校してからしばらくは、自分の席でぼんやりと音楽を聴きながら過ごすことが多い。この時間に特有の眠たげな喧騒を遠くに聞き流しながら、自分の好きな曲に浸っている時の幸福感と言ったらない。
 両耳を塞いだイヤホンから流れてくるのは、インディーズ時代からずっと追ってるバンドの新曲。動画サイトのMVの再生数が四桁の時から好きだったけれど、気付けばオリコンチャートの上位に名を連ねるような有名アーティストになってしまった。自分の好きなものが世界に知られてしまうのは、少し、寂しい。
 昨日発売したシングルは、表題曲が放送中のドラマの主題歌で、他に二曲のカップリング曲が収録されている(因みに、ドラマはびっくりする程つまらなかったので一話しか観なかった)。昨日の学校帰りにCDを買って、すぐにインポートした。最近は配信が主流だし、どうせスマートフォンで聴くのだから手間が掛かるだけなのだけど、それでも私はCDの方が好き。歌詞カードが付いてくるから。私は、CDの為でも、ジャケットの為でもなく、歌詞カードの為にCDを買っているのかもしれない。歌詞カードって芸術だ。写真やイラスト、使われているフォント。小さい紙面と少ないページ数の中にもこだわりが詰まっている。
 今回の新譜はカップリングの二曲目が一番好き。なんとなく、インディーズ時代の彼らを感じられる曲だから。前を向いている人に対して「昔の方が良かった」って他人が難癖付けること程ださいことはないけれど、それでもそう思ってしまうんだよなあ。わざわざ口に出しこそしないけれど、心の中で思うことくらいは許されたい。
 頬杖をついて、ぼーっと窓の外を眺める。登校してくる人の群れを見ているのが好きだ。知人を探してみたり、仲睦まじげな男女を見付けて無粋な想像をしたりするのは、結構良い暇潰しになる。だから窓際の席になったのは嬉しかった。でも、最前列で先生に狙われ易いから、プラマイだとマイナス。
 ──右耳のイヤホンが抜き取られて、喧騒が一気に近付く。突然の出来事にびくりと肩を上げる。振り向くと、歌川くんが居た。私のイヤホンを手にした彼は、「おはよ」と朝の挨拶を寄越す。隣の席の彼が登校してきたことにも気付いていなかった。大袈裟に驚いた私の姿が面白かったのか、彼は手の甲で口元を押さえて笑っている。

「……びっ、くりしたぁ」
「はは、ごめんごめん」
「こっちこそ、反応大きくてごめんね。おはよう」

 先の自分を思うと、さすがに驚き過ぎでしょ、と可笑しくなって、私も笑ってしまう。友達と笑い合う朝は、なかなかに心地が良い。
 歌川くんはイヤホンを私に返す。それを受け取ってから、スマートフォンを操作して音楽を止めた。鞄からノートを取り出して歌川くんに渡す。「どうぞ、昨日の」「ごめん、いつもありがとう」数学のノートだ。昨日、ボーダーの任務があるからと早退した彼が受けられなかった授業の分。歌川くんは早速私のと自分のノートを並べて開いて、書き写し始める。ボーダーって大変そうだなあ。私は彼の姿を見詰めながら、いつもそんなことを思う。

「何聴いてたんだ?」

 歌川くんが登校してから始業までの約十分は、彼と雑談をして過ごすことが多い。私は一つのことしか出来ないタイプの人間だから、手を動かしながら話せる歌川くんには感心せざるを得ない。凄い。
 私が答えるよりも先に、一瞬手を止めた歌川くんが、私の机の上にあった歌詞カードに視線を遣った。「あ、昨日出たやつか」そう、と私は大きく頷く。途端にテンションが高くなった私に、歌川くんはまた笑う。二度目はさすがに少し恥ずかしい。
 歌川くんと仲良くなったきっかけは、まさにこのバンドだった。今日みたいに歌詞カードを見ながら曲を聴いていた私に、「オレもそのバンド好きなんだ」と彼が話し掛けてくれたのが始まり。

「歌川くんももう聴いた?」
「聴いた。オレはカップリングの二曲目が一番好きだった」
「私も……!」

 思わず声量が上がる。歌川くんは「だと思った」と、やけに優しく微笑んだ。どうやらお見通しらしい。

「一緒に聴く?」

 イヤホンを歌川くんに差し出す。さっきとは逆の、左耳用のイヤホン。ちょっとだけ、ほんの一瞬だけ間があって、歌川くんは頷く。
 椅子ごと彼に近付いた。右耳にイヤホンを挿す。歌川くんが受け取ったイヤホンを左耳に挿したのを確認して、スマートフォンの再生ボタンをタップした。
 片耳は無防備にあいているのに、喧騒は遠い。まるで二人だけが隔絶されているかのように、歌川くんを近くに感じる。シャープペンシルがノートの上を走る音、どちらとも分からぬ呼吸音、幸せなラブソング。私はそっと歌詞カードを手に取って、言葉達を目で追う。

 君が隣に居ると 君以外の世界が静かだ

 サビの終わり、身に覚えがあり過ぎる文章に心臓がどきりと高鳴る。思わず隣の彼を見遣る。「オレ、ここ好き」ノートに視線を落としたまま彼が言う。緩く弧を描く彼の口角を、綺麗だなあ、と思いながら見ている。

「……私も」

 だと思った、と歌川くんが言った。





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