ぼくらに名前を付けるなら


 セックスするだけの関係に『セックスフレンド』なんて名前を付けたのはどこのどいつだろうか。あまりにも安直で、捻りも品もない。和製英語っぽいなと思って調べてみれば、なるほどやはりその通りで、英語では『ファックバディ』と言うらしかった。更に品がなくて、ここまで来ると逆に笑ってしまう。

「一彰は『セックスフレンド』と『ファックバディ』ならどっちが良い?」

 うつ伏せになって枕の上でスマートフォンを弄る私の隣で、一彰は座って水を飲んでいる。つい先程まで冷蔵庫で冷やされていたペットボトルは急に室温に戻されたせいで水滴まみれで、シーツにぽたぽたと落ちて染みを作っていた。どうせ洗うから良いけど。

「名前さんは、ぼくと貴方の関係に名前を付けたいんですか?」

 私を見下ろして、薄く微笑む。さっきまでの行為のせいで汗だくになった私と違って、一彰は汗の一滴たりとてかきやしない。いつだって涼しい顔をしているものだから、こういう関係になるまでこいつには焦りとか体液とか、そんな人間らしいものが備わっていないんじゃないかと疑っていた。実際は快感に耐えられなくなれば焦った顔もするし、精液だって出る普通の人間だったけれど。一つ余計なことを付け加えておくと、まさにその精液を飲み込んだばかりなので、早くあの水を私に回して欲しい。

「別にそういう訳じゃないけど」

 はいどうぞ、と冷えたペットボトルが頬に当てられた。冷たくて気持ち良い。高まった熱がゆっくりと下がっていくのを感じる。受け取って、水を喉に流し込んだ。横着して寝たまま飲んだせいで口端から零れ落ちた液体を、一彰がそっと親指で拭う。蓋を閉めたペットボトルを返すと、彼はそれをベッドサイドのテーブルに置いた。
『セックスフレンド』が和製英語か否かを調べたいが為に検索したページには、『セックスフレンドと恋人になる方法』だとか『セックスフレンドの作り方』だとか、まともに生きていられたならば目にすることもなかったであろう記事へのリンクが幾つも表示されていた。一彰の横顔を見遣る。彼と恋人になりたいだなんて思ったこともない。セフレってそういうものじゃないのか。それとも抱いたり抱かれたりする内に情が湧いてしまうのだろうか。自分はそうならなくて良かった、としみじみ思う。だって恋心なんてものを抱いてしまった暁には、私達の関係は破綻する。それが目に見えている。私はこの、抱いたり抱かれたりするだけでそれ以外に何もない、ただ快楽があるだけのぬるま湯みたいな関係が好きだ。そこでは愛情も嫉妬も遠慮も幸福も生まれやしない。それが心地良い。

「セックスだけの二人に、フレンドだとかバディだとか、そういう綺麗な言葉を無理矢理当て嵌めて美化しようとするのは少し面白いですけどね」

 一彰が私に覆い被さるように体勢を落としたかと思うと、なんの前置きもなく後ろ首に舌を這わせる。くすぐったさを感じて身を捩るけれど止めてくれない。湿った感触は首から背中に落ちていく。執拗に舐められると、くすぐったさが徐々に快感に変化し始める。「ちょっと、」声が甘くなるのが自分でも分かった。さすがに耐えられなくなってパシパシと一彰の腰辺りを叩くと動きが止まる。やっと終わった、と息を吐けたのは一時だけで、両腕を頭の上でホールドされた。華奢に見えてもやっぱり男の子だ、手だって私よりずっと大きい。片手で私の両の手首が掴めてしまう。

「ねぇ、なんかスイッチ入ったの?」

 再び舌の感触が背中を走る。後ろを上手く振り返ることも出来ず、私は仕方なく枕の横に落ちたスマートフォンに視線を遣る。先程誤ってタップしたのか、『セックスフレンドと恋人になる方法』のページが開かれていた。「都合の良い時にだけ呼び出されるのは寂しい……」なんて書き出しの記事だ。だからそういうものだろう、と鼻で笑いたくなる。それが嫌ならセフレになんてならなければ良いのに。フレンドに収まろうとする狡猾さがその寂しさを生んでいるのだと気付くべきだ。そもそも、寂しいってなんだ。一人が寂しいから相手をして貰うのがセフレってもんじゃないのか。互いにとって都合が良いの極みみたいな関係のはずだろう。

「ね、一彰、もう良いって。するならちゃんとしよ?」

 一彰とのセックスが好きだ。今まで誰とも長く続かなかったというのに、彼とこの関係を始めてからかれこれ半年が経とうとしている。最長記録はとっくの昔に更新した。自分の飽きっぽさにも呆れてしまうけれど。
 一彰はセックスが上手い。優しいだけのセックスしかしなさそうな顔して、実際は結構強引だ。王子は昔尖ってたんだよ、なんて噂を聞いたことがある。いつもの涼しげで穏やかな彼より、こっちの方が本性に近いのだろうか、と抱かれながら度々思う。

「してるじゃないですか、ちゃんと」

 出っ張った肩甲骨を、まるで犬みたいに、一彰はがじがじと甘噛みする。柔い痛みも快楽にしか感じなくなっている。セックスは人間の感覚器官を狂わせる。セックスのせいで人は馬鹿になる。

「意地が悪い……」
「悪くないですよ」

 それを評価するのは自身ではなく他者だろう。なのに有無を言わさず、一彰は私の言葉を上書きする。参ったなあ、まあバックも嫌いではないけれど。諦めて抵抗を止めると、それを察したのか一彰は私の手をふわりと解放した。「名前さん」頬を優しくさすられて、彼の方を向く。唇が、私のそれに重ねられる。角度が辛くて仰向けになると、待ってましたとでも言いたげに、口の中に舌が侵入してきた。視界の端で、長らく操作されていなかったスマートフォンがスリープモードになる。

「名前なんて」糸を引きながら離れると、一彰は目を眇めた。

「名前なんて要らないじゃないですか。ぼくたちは苗字名前と王子一彰、それだけだし、それで充分だ」

 そうでしょう? と同意を求められたら、そうだね、としか言えなかった。別に、そんな深い話をしたかった訳ではないのだけど。英語って日本語より品がなくて直接的な言葉が多いよね、みたいな、ただの雑談がしたかっただけで。ピロートークにはとても似つかわしくない、彼とだからこそ出来る話を。
 だけど、ここまで来てしまったらもう止まれない。私も、彼も。明日の一限の授業にはちゃんと出席できるだろうか。時計の針はとうに天辺を超えている。……寝坊した時のことは、寝坊した時に考えよう。今は気持ちの良いことだけ考えていたい。

「大体、名前を付けることを免罪符にしなければならない程、ぼくは貴方との関係を」

 すっかり臨戦態勢に入ってしまった私は、悠長に話している彼の首に腕を回し、再び唇を繋げる。

「……何?」

 今、何か言葉を遮ってしまった気がする。続きを促してみたものの、一彰は「いえ、なんでも」と微笑むだけだった。改めて話さなければならない程、重要な話ではなかったのだろう。
 また舌が絡め取られる。今度は無駄口を叩く隙もない。
 一彰の髪を掻き混ぜる。目を細めた彼の、美しく弧を描く口元を見ていたら、セックスフレンドだとかファックバディだとか、そんなつまらない話を全て忘れられるような気がした。





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