出立前夜にプロポーズを


「私、あんたはボーダーなんてすぐに辞めると思ってたのよ」
 
 
 彼女はベッドから出ると、ソファーに腰掛けた。テーブルに置かれた箱からメビウスを一本、それとジッポライターを手に取る。慣れた手付きでシュッとホイールを回すと、ライターに火が点く。彼女は咥えた煙草に火を点すと、深く息を吸った。煙草は吸わないし吸いたいとも思わないけれど、ジッポライターはかっこいいなと憧れる。仕組みは分からないが、蓋を閉じるだけで火が消えるのがなんとなく洒落ている。
 吸ったのと同じくらい深く息を吐きながら、彼女は冒頭の台詞を吐いた。おれは一旦その台詞をスルーして、「服くらい着れば?」と床に落ちていたパーカーを投げ付ける。おれのパーカー。パッと目に付いたからそれにしただけで、特に他意はない。扱いが不満だったのか、片手でパーカーを見事キャッチした後、彼女はキッとおれを睨み付けた。

「怖いこわ〜い」

 煙草を咥えることで両手を空ける。なんだかんだ言われた通り、素直に服は着るらしい。
 ベッドサイドテーブルからミネラルウォーターを取り、乾いた喉にごくりと流し込む。ちらり。視線を遣ると、ぶかぶかのパーカーに着られている彼女が居た。ほう、なかなか可愛い。彼なんとかが男に好かれるのも分かる。

「で、なんの話?」
「あんたが今でもボーダーを続けてるのが不思議って話」

 ベッドのヘッドボードに体重を預け、彼女の話をちゃんと聞く態度を取る。正直まだ体がだるい。眠気もある。だけど今日は、せめて彼女が満足するくらい煙草を吸って、ベッドに戻ってくるまでは起きていよう。彼女は早くも一本目の吸殻を灰皿に押し付け、二本目の煙草を取り出す。一本吸い始めると、煙草に伸びる手が止まらなくなる。いつもこう。所謂ヘビースモーカーというやつだ。ほぼ間違いなく、こいつは早死にする。おれより早く死んでも知らねーぞ。

「私、ボーダーって部活みたいなものだと思ってたの。高校を卒業したら、……遅くとも大学を出る頃には辞めるだろうなって」

 そんな風に考えていたのは初めて知った。彼女はあまりおれに関心がない。おれがボーダーに在籍し続けていることについて、何か思うことがあったというのにまず驚きだ。

「あんたは普通にサラリーマンにでもなって、スーツを着て、そんな、安定した仕事を選ぶんだと思ってた」
「ボーダーの給料は結構安定してるよ」
「生命が安定してない時点で論外よ」

 なかなか手厳しい。しかし正論なので言い返す言葉を失くし、仕方なく「まあそ〜かもね」と肯定した。実はボーダーでもスーツ着てるんだけど、とは言わない。毎日コスプレ紛いのことをしているのはちょっと恥ずかしいので秘密だ。

「でも、生命が危ぶまれるからって理由で辞めるようなら、おれはそもそもボーダーに入隊してないよ」

 彼女が怪訝そうに眉を顰める。どうやらお望みの回答が出来なかったらしい。気難しい割に、分かり易く表情に出るのだから可愛い奴だ。因みに、おれの発言はその七割が彼女のお気に召さない。ので、この顔もあまり気にしていない。嫌な顔してても綺麗だな、とぼんやり考えるくらいのものだ。

「どうしてあんな場所に身を置き続けるのか、私には一切理解出来ないわ」

 悪態を吐きながら咥えられた三本目の煙草。今日はペースが早い。お怒りらしい。さっきまで可愛く鳴いていたくせに、何がどうして急に怒りを向けられているのだろう。……抱かれている間も、彼女はおれを責め続けていたのだろうか。
 彼女の名誉の為に言っておくと、別に彼女はいつもこんな態度を取っている訳ではない。明日おれが遠征に立つという事実が、彼女を寂しがり屋にしているだけだ。

「あんたが居なくたってボーダーは機能するわよ。あんなに大きな組織だもの」
「これはきつい」

 刺々しい物言いに笑うも、真顔で「きついなんて思ってないくせに」と返される。何もかもバレている。実際、おれが居なければ世界が滅ぶだなんて考える程夢見がちではない。おれが居ることで一人でも救われる人が居れば、くらいは思わないこともないが。
 四本目。こりゃいよいよ死ぬなこいつ、と呆れながらミネラルウォーターをまた一口。キャップを閉めながら「なあ」と呼び掛ける。こちらを向いた彼女の顔が、煙草の煙に邪魔されて歪む。

「結婚しよーよ」
「嫌」

 即答だった。一考すらして貰えなかった。

「そっか」

 特段ショックを受けることはない。予想通りの答えだったから。だって、これでもう三度目の拒絶だ。こうして一緒に暮らし始めてから、遠征の度にプロポーズして、遠征の度に断られている。生まれてこの方悪くない容姿のおかげでそこそこモテていたから、まさか自分がフラれるのに慣れる日が来るとは思っていなかった。

「嫌よ、いつ死ぬかも分からないような奴と結婚するのなんて」

 この台詞も三度目。

「ボーダー隊員のおれと、ヘビースモーカーのおまえと、いつ死ぬかも分からないのはどっちもどっちだろ」

 この返事も三度目。おれも彼女も、案外自分の意見を譲らない。互いに互いの生き方があって、信念があって。相手の為にそれを変えることが出来ない。でも多分おれも彼女も、それを簡単に変えてしまうような人は好きになれないだろう。

「結局あんたは、愛しい恋人より街の平和を選ぶ人なのよ」

 煙草を灰皿に押し付け、火を消す。しかし五本目には手を伸ばさなかった。彼女はソファーを立ち、ベッドに戻ってくる。おれは布団を捲って彼女を招いた。

「ねぇ」

 彼女がおれの頬に触れる。ゆっくりとその手が落ちて、おれの胸元のリングネックレスを掴んだ。彼女はそっとリングに口付ける。
 二人で暮らす家を購入したのと同じ年に、おれが買った婚約指輪だ。今日と同じような遠征前夜。値段的な意味でも立地的な意味でも高いレストランで、人生で一番緊張しながらこの指輪を渡して、突き返された。あの時はさすがに凹んだ。だって、まさか断られるとは思っていなかったから。おれと彼女は、当たり前に同じ苗字になるのだと信じて疑わなかったから。

「それでも、あんたが好きよ」

 この指輪が彼女の薬指を飾る日は一生来ないのかもしれない。それでも良いかもな、と最近思い始めた。苗字を同じくしなくても、こうして隣に居てくれるなら。遠征から戻ったおれを、ほっとしたような顔で彼女が迎え入れてくれるなら。

「おやすみ」

 愛してるよ、と囁いて彼女の髪を撫でた。キスをする。手を握る。二人、眠りに就く。

「うん、おやすみ」

 明日、彼女が目覚める前におれは家を出るだろう。君の言う通り、愛しい人を置いて、街を守る為に。





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