※長編『時をかけた少女』の未来のお話。





「隆也はせっかちだね」

そう笑ったのは丁度一年前のこと。
せっかちだと言ったのは、一緒に取りに行こうと思っていた婚姻届を既に隆也が準備していたから。
いつから持ってたの?と尋ねれば、「覚えてねぇよ」なんてぶっきらぼうな返答にまた、笑ったのだ。
隆也らしいと言えば隆也らしく、隆也らしくないと言えば隆也らしくない。
今から取りに行くより効率いいだろ、と少し頬を染めてムスっとする様子を、心底愛おしいと感じたことは鮮明に覚えている。
私はこの人のたったひとりの大切な人にになれるのだと思うと、喜びで体が震えた。
結婚、というものに対してそれほど夢は持っていなかったはずなのになぁなんて思いながら、私は一年前の今日、隆也の奥さんになったのだ。
そして今日、初めての結婚記念日だと言うのに仕事が立て込んで帰りが少し遅くなってしまった。
とりあえず一度家に帰ろうと急ぎ足で帰宅した頃には、部屋一面に美味しそうな香りが漂い、シャツの上から似合わないエプロンを付けた隆也が「おー、遅かったな」と私を見た。

「隆也は早かったんだ?」
「得意先から直帰だったから、いつもよりは早く帰れた」
「ごめんねー、手伝うよ」
「もうほとんどできてっからいーよ。とりあえず荷物置けば?」
「うん、ありがと」

共働き故に、家事は出来る方が出来ることをするというのが暗黙のルールとなっている。
早く帰った方が晩ご飯の準備をする、というのも結婚した時にいつの間にかできた決まりだった。
基本的に私が隆也より遅くなる方が珍しいので私が作ることが多いけれど、休みの日や時々早く帰れる時は大学時代の独り暮らしの賜物を披露してくれることもあった。

「わーおいしそう!お腹空いてたんだよね」
「冷めねぇうちに食うか」
「いただきます」
「いただきます」

両手を合わせてから、お箸を持って準備された品々に手を付ける。
隆也の料理は男飯という名に相応しいざっくりとした大味のものが多いけれど、私には出せない味で素直に美味しいと思う。
いつも通りの食卓に、いつも通りの会話。
記念日だからと言って、特別なことは特にしないでおこうと言ったのは私だった。
結婚記念日だから特別じゃない。
こうして日々ふたりで過ごせることが特別なのだと思っていたい、というただの私のわがままだ。
隆也は少し面食らった表情をしていたけれど、「まぁ平日だし休み前に旨いもんでも食いに行くか」と言って賛成を示してくれたため、今日も何も変わらない食卓で、目の前に広がる品々が半分程度に減った頃、珍しく隆也の方から口を開いた。

「悪いな。家のこと、結局お前に任せっきりで」
「どうしたの、急に」
「帰り遅いから飯もほとんどお前がやってくれてるし。洗濯機回して行くくらいしかしてねぇからさ」
「仕事のウェイト考えたら仕方ないよ。休みの日は色々してくれてるし、負担になんか思ってないよ?」
「なら、いーけど。あんま無理すんなよ。ふたりで生活してんだから」

愛想のない言葉に聞こえても、それは隆也なりの心配と感謝の意であることは十分理解している。
同じ家に帰り、同じ食卓を囲み、同じソファーに座り、同じベッドで眠る。
毎日当たり前に繰り返すそれらが堪らなく幸せだ。
黙々と食事を平らげる様子を微笑ましく眺めながら、後片付けをふたり並んで行う。
これが終わってようやく一息が付けるのだ。
どれだけ忙しくて、身体に心に余裕がなくても心がけていることは、一日に一度は必ず並んで座り、何かを話すこと。
ソファーに腰をかけ、適当にテレビ番組を選んでいる隆也に良く冷えたビールの缶を差し出した。

「お疲れさま」
「サンキュ」

乾杯、と缶を合わせれば鈍い音が指先から伝わる。
炭酸が抜ける音と共にプルトップを開き、それを一気に喉へ流して「うまい!」とテーブルへ缶を置くタイミングまで、最近は同じになってしまった。
あぁ、幸せだなぁ。
そう噛み締めるように何度でも思う。
なかなか気に入る番組がないのかチカチカと変わるテレビの画面に苦笑しながら、ソファーの背もたれに体を預けると、ポストから出されたままテーブルに置かれた郵便物へ手を伸ばした。
ダイレクトメールばかりのそれを適当に仕分けしていると、少し大きめの封筒を引き当てる。
誰からだろう?
宛先は確かに私宛で、差出人を探るために裏返せば母親の名が記されていた。
用事があれば電話かメールが専らで、郵送しなければならないようなものがあれば必ず連絡があるはずなのに。
不思議に思いながら中身を取り出すと、薄いピンク色の便箋が入っていた。
宛先はやはり私で、その便箋の裏面にも私の名前が記されている。
あまりにも不可解なそれに思い当たりがないかを記憶を探ると、ふと思い出が蘇った。

「うわ!これ過去の私からの手紙だ!」
「何だそれ?」

懐かしさのあまり声を上げた私に、缶を口に付けながら眉間に皺を寄せた隆也が覗き込む。

「昔流行らなかった?未来の自分に手紙を書きましょうってやつ」
「あ?あったかな…覚えてねぇや」
「小学校の頃クラスでやったのが届いてたらしくて。お母さんが送ってくれたみたい」
「何て書いてたんだ?」
「えっとね…元気にしてますか?何してますか?どうしてますか?彼氏いますか?だってさ」
「中身のねぇ手紙だな」
「あの頃にはそれが精一杯だったんですぅ。だって10歳くらいの時だったし」

あの頃はこんな丸い字を書いてたんだ。
多分何を書けばいいのか分からなくて、友達の真似して書いたような気がする。
色々な想いが溢れた。
あの頃の私は、今の私の年齢の頃には何の欠点も悩みもなく、当たり前に充実した毎日を過ごす格好良い大人になっていると信じていた。
けれど現実は欠点ばかり、悩んでばかりの思い描いていた『大人』とは程遠い。
けれど思い描いていたもの以上のものがひとつだけある。
ソファーに置かれた自分よりも大きな手を手繰り寄せ、絡めるようにギュッと握った。
無条件に握り返してくれる優しい力加減に、またひとつ大切な想いが募ってゆく。

「今の私なら、過去の自分に手紙を書きたい」
「届ける方法なくね?」
「それが問題だよね。教えてあげたいことがいっぱいあるのに。また飛ばされでもしない限りどうにもなんないもしなぁ」

冗談交じりにそう言うと、拳ひとつ分だけ開いていた距離を隆也が詰める。
私の膝に頭を置いて寝ころんだ隆也は、ムスっと不機嫌さを滲ませた。

「それは困る」
「困るの?」
「今度こそ戻って来れなかったらお前、どう責任取ってくれんだよ」

覗き込んだ顔は険しげで、「隆也?」と声をかければ黒い瞳が強い意志を持って私を映した。

「なんてな。好きにしろよ。お前の良いところは、俺が何言っても結局自分の想い貫くとこだしな」
「いいの?」
「帰って来てくれんだろ?」
「もちろん」
「なら、そんでいいんじゃね?俺はそれを待つだけだし」

呆気なくそう言いきれてしまうのは、隆也の強さと真っ直ぐさがなせることなのだろうか。
事実、隆也はそれができる人だった。
誰よりそれを分かっているからこそ、私は思う。

「ありがとう。でもね、私は行かないと思うんだ」
「…何で?」
「私が未来に飛んじゃったのは、隆也に会いたかったからなんだよ。そして帰って来たのは、今度は隆也と同じものを見て、同じ空気を吸って、同じ時間を生きて、一緒に大人になりたかったから。だから、今過去へ行く理由って実はないんだよね」

握り合った手を解き、今度は頭を抱えるように力いっぱい隆也を抱き締める。
今、私といてくれる隆也は私が深い傷を残した『阿部』ではない。
私が死んだことになっている未来で生きていた『20歳の阿部』でもない。
知るはずはない出来事を信じてくれ、『行って来い』と迷わず言ってくれたことに胸が詰まる。
私は二度も、隆也から離れてしまったのだ。
一度目は不可抗力、二度目は自分から。
だから、もう決して隆也を悲しませないと決めた。
突拍子もない夢物語のような出来事を信じてくれた隆也を、私を待ってくれ送り出してくれた阿部を、今度は私が大切にしたい。
更に力を込めた腕に隆也がそっと手を添える。
隆也の頬をかすめるように落ちた髪に「くすぐってー」と隆也が笑い、一束それを掬い取って引っ張られた。
自然と閉じた瞼に、柔らかな感覚が伝わる。

「今日はいつもより甘えん坊だね」
「特別な日くらい、たまにはいいだろ」
「それだけが理由?」
「…安心させてもらったからな」

不意に絡まった視線に、お互いはにかむ笑顔を浮かべる。
一年前の今日、お嫁さんになった。
隆也の奥さんになった。
私の新しい人生が始まった日。
だからこそ、毎年この日には結婚した時の決意を忘れないように何度も何度も唱えようと思う。

「もう二度と、隆也を置いてどこかに行ったりしないよ。だから、私より長生きしちゃダメだからね」
「何だよ、結局待たせるんじゃねぇか」
「どうして?」
「あの世で俺はひとりだぞ」
「あーそっか。困ったね、ならどうしようかな」
「バーカ、何言ってんだよ。離してなんかやんねぇってずっと言ってんだろ?」

何回も言わせんな、と言った隆也は満足そうに笑って、伸びをしながら起き上がる。
軽くなった膝にはまだ、鮮明に温もりが残っていた。
ここに隆也がいる、私がいる。
その証のように再び握られた手に、滲む視界を懸命に堪えた。
いつだって与えられてばかりの私は、喜びと不安を覚えるのだ。
隆也が私にしてくれるように、私も隆也に何かできているのだろうか。
その答えはまだ出そうにはないけれど、ゆっくりで構わないのかもしれない。
最期を迎えるその時までにはきっと、何かが形になっているだろう。
私の全てを受け止めて、認めてくれた隆也だから、隆也のために、隆也だけに優しく全てを返していきたい。
あの頃思い描いた『大人』にはなれなかったけれど、確かに私は思い描いていた以上の幸福の中で生きているのだ。

「死がふたりを分かつまで、じゃ足りないね」

そしてこれからも、隆也とふたりで。


エピローグは永遠の先



10歳の頃の私へ

楽しい手紙をありがとう。元気にしてますか?と聞いてくれていたので返事をします。私は、元気に過ごしています。大人になって働いています。それと、彼氏どころか今は旦那さんがいます。ビックリした?いまだに私もビックリです。夢なのかもしれない、と恐くなるほどに。けれど同じ家に帰り、同じ食卓を囲み、同じソファーに座り、同じベッドで眠る幸せを噛み締めています。
時々は、お風呂も一緒に入ったりしちゃって、このまま変わらず仲良くいられたらもっと幸せです。あなたがしてくれた質問にはこれで全て答えられましたか?

そして高校生になったばかりの私へ

これからあなたに起こることは、本当に思いもよらないことばかりです。
痛い思いもします。ビックリどころじゃない出来事が起きます。そこであなたは、誰かを特別に想う大切さを学びます。誰かを大切に想うことで切なくなることを知ります。辛くなったり、苦しくなったり、泣いてしまったり、大忙しな日々があなたを待っているけれど、心のままに進んでください。
もしこの言葉をあなたに伝えられる方法があって、あなたに届いていたのならひとつだけ、お願いがあります。
これからあなたが出会う人がいます。その人はこの世界の誰よりも大切に想える人です。その人に伝えてほしい。私が、元気に生きていることを。年齢もとっくに追い越してしまったことを。失敗も多いし、落ち込むことも多いけれど、一生懸命仕事をしていることを。そして、目が眩むような幸せの中で毎日笑って過ごしてることを。それを、伝えてほしいです。
私はその人に恋をしました。
あなたがこれから過ごすであろう日々は、私の生涯の宝物です。短い時間だったけれど、今私が幸せでいられるのはその人を想い続けて生きてこられたからです。
今の私には、大好きな旦那さんがいます。けれどこの心には、あなたがこの先出会うであろう人もいるのです。あなたには何のことかさっぱりで、それって浮気じゃないの?って私を軽蔑しているかもしれないけれど、雨の季節が終わる頃に全ての意味が分かるはずです。
だからこれは全てを知ったあなたと私だけの秘密。
そして最後に、私が好きで好きでたまらない人は今も昔もたったひとりだということを覚えていてください。変わらないつもりでいても、生きていれば必ず失うものや変わってしまうものがあります。だけどこれだけは一生失うことなく、変わることなく私の中で根付いていくことでしょう。
約束します。あなたは必ず幸せになれる。私が保証します。だって、今の私がこんなにも満たされているから。何度も繰り返しになるけれど、私はとても幸せです。だから、あなたもこの幸せを掴むためにこれから起こる全てのことを全力で駆け抜けてください。
あなたが思い描いているよりもずっと素晴らしい未来が訪れることを信じて、駆け抜けてください。
私は一足先に、未来で待っています。

言い忘れていたことがひとつ。
結局胸が大きくならなかったことは割と心残りなので、できれば巨乳運動を頑張ってくれると嬉しいです。

阿部隆也の奥さんより



(L様より頂いたフリーリクエストにお応えして)
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