「お、シャンプー替えた?」

通りすがりに不意にそう声をかけられれば、誰でも思わずギョッとするだろう。
しかもそれが、本当にシャンプーを替えた次の日だったなら余計に、だ。

「外してる?」
「や、替えたけど…」

何でそんなこと分かるのよ。
そう瞳で訴えかければ、「やっぱな」と得意げな笑みが返ってきた。
自分でも忘れていたくらい、些細な変化だ。
むしろ注意深く探っていないと分からないほどの、普通は他人が気付かないことでもある。
どうして私が気恥ずかしく思わなければならないのか、勝手に赤くなる頬を見られないよう、咄嗟に顔を俯けた。

「何なの。あんたストーカー?」
「ひっでー言われようだな」
「普通そんなの気付かないでしょ」
「何となくだから自信なさげだっただろ」
「でも当たったじゃん」
「まーな」

ってことは俺、ストーカーってこと?
なんて思ってもいないくせにお腹を抱えながら島崎が笑った。
知らないよ、と首を横へ振ると甘い匂いが鼻を突く。
やっぱり、私には似合わない匂いだ。

「で、呼び止めた理由ってそれだけ?」
「おー」
「あんたねぇ…」

私も暇じゃないんだけど、と心の内で悪態を吐きつつ、「じゃぁね」と体を翻した時、ピンとこめかみあたりが張り詰め、痛みを伴う。
思わず抑えたそこには、引っ張られる髪の束。
そしてその先には、島崎の上着のボタンが佇んでいた。

「引っ掛かった?」
「うん、結構絡まってる」

指先で何度か引っ張ってみても、するりと抜けてくれる気配はない。
長い髪が絡めれば、取ることが難しいことは何度も経験していた。
休み時間という限りある時間の中で起こってしまったなら、自然と焦りで指先がうまく動かない。
ひとり悪戦苦闘している中、私の髪を放さないボタンの主は断りもなく人の髪を一束掬い上げ、スンと鼻を鳴らした。
再びギョっと瞳を丸くすると、「あぁ、悪い」とまた思ってもいないくせに礼儀上の謝罪が届いた。

「人が必死に取ろうとしてるのに、何してんの」
「いや、甘い匂いすんなぁって」
「だからシャンプーの匂いだってば」
「シャンプーって結構柑橘系っぽい爽やかな匂いじゃん?珍しいよな」
「…女子のシャンプー事情にお詳しいことで」

精一杯の意地の悪い嫌味でさえ、島崎は笑って流してしまう。
ただの個人的な感想だろ、と触れていた髪をスルっと指先から放した。
絡まった髪は、まだ取れそうにはない。

「私には似合ってないでしょ」
「そんなこと言ってねーけど」
「甘すぎて、私には合わない匂いだなぁって」

たるいほどの甘い香りが、自分に合っているとは思えない。
可愛くない性格なんて、嫌と言うほど承知済みだ。
それだけに余計、この香りは自分が皮肉屋で素直でないことを思い知らされ、複雑な気分になる。
自然と、髪を外そうとしていた指が止まった。

「取れそうにないな」
「うん」
「さぁて、どうするかねぇ」
「髪、千切るわ。ボタンに絡まったままのやつは悪いけど自分で取って」

島崎の顔のすぐ下に私の頭がある配置では、どうしてもこの髪の香りを匂われてしまう構図だ。
不可抗力と言えど、いつまでも匂われるのは流石に居心地が悪い。
ただでさえ、合っていないと思っているものを匂われるなら余計だろう。
すぐにここから離れたい。
そんな想いで髪を千切るために指先に力を込めると、先に島崎の手が伸びた。
遠慮なくボタンに手をかける男の手は、ブチっといっそ小気味いい音を立てながらそれを引き千切る。

「女だろ?髪千切るって発想はどうかと思うぞ」
「おかげでボタンが大変なことになった人に言われたくないよ」
「また付けりゃ済む」
「ちょっと悪いことした気分じゃん」
「じゃぁお前がボタン付けてくれたらいいよ。そんでチャラな」

それじゃよろしくー、と千切ったボタンが掌に置かれる。
引き千切らせた、という後ろめたさもあり、何も言わずにそれを引き取った。
今度、とはいつだろう。
そんなことを思いながら、転がるボタンをギュっと握った。

「ありがと」
「ん?」
「外れなかったから、助かった」
「おー」

島崎相手に素直にお礼を言うのは、どうにも照れくさい。
それをかき消すかのように、チャイムが良いタイミングで鳴り響いた。
廊下に出ていた生徒は、慌しく授業のために教室へ入って行く。
もちろん私たちも例に漏れず、「じゃぁ」と再び二手に分かれようとした時、「あ、そうだ」と島崎が忘れていたことを思い出したかのように呟いた。

「似合ってると思うけどな」
「え?」
「俺は好きだよ」

じゃぁな、と今度こそ私に背を向けた男にギョっとしたのは、これで本日三度目となった。


匂へど、いと麗し


甘い、甘い、ハニーラベンダーの香り。
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