「ごめんね、遅くなっちゃって。だいぶ待たせたよね」

慌てて来たのか、それとも部活終わりはいつもそうなのか、緩められたネクタイに着崩された制服姿で私が座っているベンチに影を落とした彼は、「とりあえず行こっか」と立ち上がることを促した。

「岩ちゃんからここで待ってるって聞いてさ」
「待ち合わせ場所、決めてなかったと思って」
「だよねぇ。俺もあの時慌ててたからうっかりしてたよ」
「慌ててたの?あれで?」
「うん、結構びっくりしてたよ」

そうか、驚いていたのか。
私と同じように、慌てていたのか。
途端に尖らせていた神経がゆっくりと丸みを帯び始め、親近感にも似た近しさを感じるのだから現金な話だと思う。

「さぁて、どこで話そうか」

そう言って私の少し前を歩く彼は意外なほど普通の男の子で、岩泉が言っていたことを思い出す。
そもそも岩泉という最強の駒(と言ったら岩泉から怒鳴られた)が身近にあったことを、どうして私は失念していたのか。
ひとつのことにのめり込むと、相変わらず周りが見えなくなるらしい。
自分の不甲斐なさにうんうんと唸っていると、早速出回っている噂を聞いてのことだろう。
見兼ねた岩泉が、珍しく気遣いの言葉をかけてくれた。


「ああ見えて結構普通だぞ、あいつ」


まぁチャラいしウザいしメンドクセーけどな。
そう言って笑うから、気張っていたものが何だか馬鹿らしくなってしまったのだ。
決して詳しく踏み込もうとはしない岩泉に結局甘えてしまい、待ち合わせの時間も場所も決めていないと言うと大体部活が終わる時間と、自販機前のベンチにいればすぐ分かるだろうと教えてくれた。
教えてもらったとおりにしていると、これがきちんと合流できたのだから流石最強の駒と言わざるを得ない(「次言ったら承知しねーぞ!」と言われてしまったので、二度と口には出せないけれど)。
岩泉の抜かりない仕事っぷりに、どうして真っ先に岩泉経由で話を持っていくことを思い付かなかったのかとやはり後悔が巡る。
そうすれば少なくともこんなにも大事にはならなかった。
とは言え、なってしまったことに愚痴を吐いても後悔先に立たず、そもそも結果的に及川をも巻き込んでしまった私がどうこう言える権利を持てるはずもない。

「今朝はごめんねー。乱暴なことしちゃったでしょ」
「まぁ、びっくりはしたけど…それは大丈夫」
「俺もホントびっくりしたよー、まさかじいちゃんの名前が飛び出して来るなんて思わないじゃん?」
「あーそれはびっくりするね」
「自分でもあそこまで気にすることなかったなぁって今なら思うんだけど、じいちゃんの名前まで流出してんのかと思ってさ。びっくりしてつい肩掴んじゃったんだよね」
「…さっきからびっくりするしか言ってないね」
「あはは、ホントだ!」

お互いよっぽどびっくりしたんだよ、きっと。
そう言ってケラケラと笑う横顔をちらりと見上げ思うのは、やっぱりどこをどう見たってそっくりだということ。
『とーっても美形でね、そこらの女の人より綺麗な顔をしていて、鼻筋の通った横顔なんてまるで作り物みたいに整った顔立ちの人だった』と少女のように楽しげに語った祖母の言葉がそのまま当てはまる見栄えの良さを目の当たりにすると、独り占めしたいと思う女の子が溢れるのも頷ける。
無造作に乱れた髪型も、だらしなく垂れたネクタイも、数個ボタンの開けられた襟口も何もかも、偶然の産物とは思えないほどここまで嫌味ったらしく絵になる人間を少なくとも他に知らない。
そんな男と並んで歩いているのか、と思うと私ですら若干の優越感を覚えるのだから、好意を抱いている子たちにとってこの立ち位置はひどく焦がれるものなのだろう。
校門を抜けてちらほらと帰宅する生徒たちは、不恰好に並ぶ私たちを物言いたげに見ているのがその証拠だ。

「どこで話す?人に聞かれたくない話なんだよね?」
「学校じゃ人目があるからってだけで、本当はどこでも良かったんだけど」
「あ、そうなの?だったらファミレスでもいっか」

慣れた足取りで道を辿る長い脚が向かう先は、何となく察しが付いた。
駅近くのファミレスはうちの生徒なら誰もがお世話になるところで、この時間帯なら間違いなく同じ制服を見かけることになる。
思わず「駅のところはちょっと、」と待ったをかけた私に、彼はゆっくり振り返って柔らかに微笑みかけた。

「大丈夫大丈夫、ちゃんと分かってるよ」

それでも彼の足は、私が想像しているファミレスの方へ迷わず進んで行く。
ただこれ以上何かを言えそうな空気でもなく恐る恐る付いて行けば、曲がるべきところではない曲がり角を進み、来たことのない道へと入って行った。
大通りから一本道を外れると、途端に閑静な雰囲気が広がる。
賑やかしい音に背を向けたまま黙々と歩き続けて数分、街並みの雰囲気には似つかわしくない煌々とした看板が頭上に佇んでいた。

「大体駅周辺に揃ってるからさ、こっち方面ってなかなか来ないよね」
「うん、私も初めて知った」
「でっしょー。うちの生徒も全然来ないから、結構穴場スポットだよ」

随分通い慣れた口振りで店内に進むと、確かに同じ制服はひとりとして見当たらない。

「部活終わりに割と来るんだよ」
「ちょっと遠回りにならない?」
「まぁね。でもみんなとご飯食べる時くらい、ゆっくり食べたいじゃん」

人気者故の小さな不満を垣間見て、ますます岩泉の言い分に信憑性が増し始める。

「何か食べる?」
「ううん、お腹は空いてないから」
「だったらドリンクバーでいい?」
「うん」
「じゃ、ドリンクバーふたつで」

テキパキと整えられる会合の舞台は、テーブルの上にお互いの飲み物が揃うと同時に完成した。
どこから、何から、まず話せばいいのだろう。
散らかったままの頭でとりあえず取り出した手帳から、例の写真を抜き取る。
スーハーと深呼吸をひとつ漏らし、意を決して向かいに座る彼を視界に入れると、「まずは自己紹介からしとこっか」と拍子抜けな声に一気に肩の力が抜けた。

「及川徹です。バレー部の主将やってます」
「うん、知ってます」
「あ、そう?じゃぁ話は早かったねー。とりあえずよろしくね、名前ちゃん」
「え?」
「ん?」
「…もしかして全ての女子を把握しておく義務でも課してるの?」

そう言えば私のクラスも知ってたよね、とつい今まで忘れていた不思議を眼差しと共に向ければ、一瞬瞳を丸くしてから「ブッ!」と盛大に吹き出しお腹を抱えてゲラゲラと笑い始めた。

「その発想はなかった!まぁ、名前知ったのは今日なんだけどね。岩ちゃんから聞いたから」
「あー…そっか、岩泉が」
「でも顔はちゃーんと知ってました。岩ちゃんのお隣さんでしょ。ってか俺もそこそこ遊びに行ってんの知らない?」
「興味ないことには果てしなく疎くて」
「はっきり言っちゃったよ!」

ひっどいなぁ、と嘯きながら唇を尖らせる彼を尻目に、ストローから甘くて酸っぱいオレンジジュースを吸い上げる。
顔にかかる髪を耳にかけ、喉にしみる柑橘独特の感覚をごくんとひとつ飲み込んでから、焦げ茶色の瞳を見上げた。

「でも今は、興味あるよ」
「俺に?」
「うん」
「それ、今から話すことに関係してたりする?」
「うん」

じっと視界の中で頷けば、おチャラけていた雰囲気が水を打ったように静まる。

「じゃ、真面目に聞かなきゃね」

組まれた指の上に顎を預けあざとく傾げられた顔に、さっき抜き取った一枚の写真を突き付けた。


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