先日、祖母が亡くなった。
戦争も経験していたらしくかなりの高齢だったこともあり、体調を崩したと聞いてからその時が来るまで時間はかからなかった。
心ここにあらずの状態は、別れの儀式が終わった後からずっと続いている。
初めて身近な人の死を目の当たりにしたのだから仕方がない、と母は言っていたけれど、実のところそれだけが理由でない。
慕っていた祖母の死より頭をもたげていることがあるなんて、自分で思うより私は相当薄情者だったらしい。
気になる理由が最後に祖母と交わした会話だからこそか、それとも、と忌引きが明けてからもずっと未消化な“何か”が頭をぐるぐると駆け巡っていた。


『誰にも話したことのない、大事な大事な思い出さ』


そう言って朗らかに微笑んだ祖母が、鮮明に蘇る。
まるで初恋をしている少女ように頬を赤く染め、恥じらいながら一言一言を宝物のように紡いだ声も、言葉も、空気も何もかもが、初めて見た可愛らしい祖母の姿であり最後に見た元気な祖母の姿だった。
そうして託された古びた一枚の白黒写真を眺めて思うのは、激動を生きた女には誰にも言えない秘密がひとつはあるということ。
そして、祖母が生涯隠すように大事に持ち続けた家族以外が映る写真の人物が、私の知っている男に良く似ているということだろうか。
写真の裏側に記された名前は、その相手とは苗字が異なっている。
そうそう上手い話があるはずがない、そう言い聞かせてみるものの見れば見るほど似ているのも事実だった。
どうしても気になるなら、手っ取り早く本人に尋ねてみればいい。
それが一番の近道だということを分かっていても、一方的に知っているだけでろくに話したこともない相手となるとこれが妙に厄介なのだ。
しかもその相手が、この学校で知らない者はいないほど有名人なら尚のこと。
奇妙な話をネタに近付いたとなれば、平々凡々つつがなくを信条に貫いてきた平穏な学校生活に波風が立つのは必須だろう。
そもそも祖母からはこの写真と束になった手紙、そしてそれにまつわる昔話だけを預かった。
凛々しい表情で映っているこの人に関して何かをしてほしいということは結局一度も言うことなく祖母は亡くなってしまったけれど、処分できずにずっと大事に仕舞いこんでいた理由はいくつか考えられる。
きっと祖母は、この人が今どうしているのかを知りたかったのではないか。
例えもう亡くなっていたとしても、この人が生きた軌跡を辿りたかったのではないか。
いつかそうしたいと、願っていたのではないか。
そのささやかな願いをついぞ叶えることなく旅立ってしまうからこそ、決してなかったことにしないために私に託したのではないか。
そう思わずにはいられないほど、保管されている思い出の品はとても丁寧な扱いを受けていた。
どれも私の勝手な推測の外ならないとしても、恐らく墓場まで持っていくつもりだったであろう思い出話を私だけに話した理由が、どうしてもそれ以外に見つからないのだ。
私の中で今、天秤が大いに揺らいでいる。
平穏な学校生活か、祖母から託された思い出の欠片か。
思案に疲れた頭でぼんやり窓の外を眺めていると、勝手にお家騒動の中心に引きずり込まれる可能性を秘めた男はグラウンドで部活に励んでいた。
掛け声と共にランニングをする小さく覗く横顔をもう一度、その写真と照らし合わせてみる。
似ていると思うから似ているだけかもしれない、というわずかな期待はこれまで幾度となく敗れたように今回もまた、同じことの繰り返しだった。
盛大な溜息と共にぐらりぐらりと揺れる天秤は今日もまた、結局どっち付かずのままに揺れ続けるばかり。
せめて苗字が同じなら、まだどうにかなったかもしれない。
それなら話しようもあっただろう。
そもそもこの写真の人物と似ているあの男がいけない。
似てさえいなければ何の手がかりらしきものもないのだから、私がこんなにも頭を悩ませる必要などなかった。
祖母の大切な思い出として、ひっそりと私だけが胸の内に仕舞い込んでいれば済む話だった。
余計な詮索も思案もすることなく、その男とも全く関わる必要もなく、私は平々凡々つつがなくを信条に貫いている学校生活を無事に過ごし、卒業し、次の進路へ後ろ髪引かれることなく進めるはずだった。
いや、それを言うなら祖母が私にだけあんな話をしたのがいけない。
大元の原因は間違いなく、それだ。
都合よく責任を擦り付けながらも、結局私は祖母から話を聞いてしまっているし、この写真の人物に良く似た男を知っている。
その事実が変わらない以上、どんなに『もしも』を繰り広げたところでそれこそ時間の無駄になる。
深呼吸とも溜息ともつかない息を吐き出し、どんどんと濁り始める思考を正すよう背筋を伸ばした。

「あなたはどう思う?勝手に人の思い出に踏み込むって、やっぱり野暮ってやつですか?」

ずっと同じ表情、同じ姿勢を崩さない写真の人物に問いかけをしてみるものの、当然返事があるはずもなく。
独り言の虚しさに勝手な居たたまれなさを覚えてはそっと、手帳の中に写真を仕舞い込んだ。


「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -