「名前ちゃんも無茶するよね」
「何とかなるかなぁって」
「いやいや。女の子ひとりで何とかなる量じゃないでしょ。岩ちゃん使えば良かったのに」
「そんなこと言ってるからいつも怒られるんだよ」

両手に荷物を抱え、前方確認もままならない中、私を呼び止めたのは及川だった。
名前ちゃん、と呼ぶ声に荷物の合間から覗き見た及川は、呆れたように肩をひそめ「どうしたの、その大荷物」と私を見下ろしていた。
係の仕事だと言えば、不意に軽くなる腕に思わずバランスを崩してしまう。
つんのめった私を荷物越しに軽々と支えながらひょいとそれを取り上げて、当然のように及川が肩を並べた。
それが何を意味しているのか分からないほど、鈍くはないつもりだ。
ありがとう、と視線も合わせずに呟く。
どういたしまして、と広い背中が一歩先へ足を進めた。

「どこまで運ぶの?」
「準備室」
「遠っ」
「だから何とかなるかなって思ったんだってば」
「結構考えなしだね」
「でも何とかなった」
「それはちょっとズルくない?」

言葉とは裏腹にけらけらと笑みを零し、私の歩幅に合わされた歩調で廊下を進む。
わざわざ声をかけなければ、貴重な休み時間をこんなことに費やすハメにもならなかっただろうに。
なんて、厚意に対してそんな風に斜に構えてしまうところが悪い癖だという自覚はある。
それでも、何かあるのだろうと勘繰ってしまうのは及川が及川たる所以だろう。
おおよそ企んでいることは想像できた。
ズルいのはどっちだか、と諦めを含んだ溜息を吐き出しながら見上げた横顔が、ゆっくりと振り向く。

「ふたりで話すのって結構久しぶりだよね」
「そう?」
「そうだよ。名前ちゃん、岩ちゃんとばっかいるしさ」
「席が隣りなんだから仕方ないでしょ」
「いつの間にかマッキーと松っつんとも仲良くなってるし」
「あれは絡まれてるの間違いだと思う」
「なーんか納得できないんだけど」
「何が言いたいの」
「気にしないって言ってくれた割には、ちょっと避けられてるなぁって」

遠回りなようで明け透けに、随分言い辛いことさらりと言うものだ。
普通なら、聞くにしてもそれなりに気を遣うものだろう。
相手のためにも、もちろん自分のためにも。
それをしないあたりがやはり、及川が及川たる所以なのだ。
自信の表れ、向けられる様々な感情への慣れ。
あの話をするかどうかを迷ったあの夜も、結局この調子で私が折れてしまったのだから到底適当にやりすごせるはずもない。
何しろ、少し距離を計りかねていると分かった上で言い逃れのできない状況へ追い込んできたのだから、私のなけなしの抵抗などこの男には所詮簡単に手折れる程度の足掻きなのだろう。

「及川って、カレーうどん好き?」
「それ今する話?」
「私は結構好きなんだけど」
「あのさ、もしかして俺はぐらかされてる?」

顔に散らばる全てのパーツを歪ませても、損なわれないのは何とも不思議だ。
それが整っているという証なのだろうか。
はぐらかすにしてももっと上手くやりなよ、と言葉より雄弁に語る眉間の皺は、ひどくつまらなさそうに、不服そうに、深く深く刻まれている。
言葉はひとつも飾り気を帯びてはいないけれど、ふたりでいるこの状況は彼なりの心遣いだった。
それさらりと流ししたのだから、及川の言いたいことはもっともだ。
恐らくこの話題を口にするタイミングを伺ってくれていたのだろう。
わざわざふたりで話せるチャンスを、及川が自身の時間と肉体動労を差し出してまで作ってくれた今を鑑みても、誠意は十分に感じた。
それをなかったことに、あまつさえ強引に話題を反らされたとなると誰だって物申したくなって当然だ。
でもそれは、私が本当に話をはぐらかした場合の話。

「いつも思うことがあるんだけど、思いっきりすすって食べれたらもっと美味しいんだろうね」

丁度階段に差し掛かる頃、そう零した私に及川が足を止めた。
私が言わんとすることが分かったのか、それとも呆れてしまったのか。
どちらとも読める眼差しで、三段早く先に進む私を及川が見上げている。

「なかなかできないよ。熱いし」
「飛び散るしね」
「かなり思い切らないとじゃない?」
「でも、それができる人はいるでしょ」
「まぁねぇ」
「私は火傷したくないし、服も汚したくないから結局できないけど」

一段、及川が脚を上げて距離を縮める。
それを確認してから私も、一段ずつ階段を登る。
不愉快そうに寄せられていた皺はすっかりなだらかになり、いつもの何食わぬ表情を浮かべて身長差を取り戻した及川はきっと、私が何を言っているのかを確実に理解したのだろう。
視線だけを私に向け、続ける言葉を選んでいるようだった。

「つまりあれだ。後悔するのは分かってるからやーめたってこと?」
「正直に言うのはちょっと憚られたというか…一応、話聞いてもらうのに時間割いてもらったから」
「それでいつも以上にここんとこ余所余所しかったんだ」
「ごめん」
「いや、何となくだけど分かるよ。デリケートなことだって気にしてたのは知ってたし」
「うん。でもやっぱり及川にはちゃんと言うべきだったと思うから」
「堅いなぁ、名前ちゃんは」
「そういう性格なの」
「だよねぇ」
「だから多分、これで良いの」
「名前ちゃんがそう言うなら、俺から言えることは何もないよ」
「ちょっと意外」
「何が?」
「及川は“しない後悔”の方が嫌そうだから」
「俺だって火傷も服汚れんのもごめんだよ」

小さな笑い声を含ませて、及川は肩を竦ませる。
意外と言えば意外で、らしいと言えばらしいその言い分はまだ続くらしい。
だから、とはっきりと響いた言葉に、ゆっくりと合わせられる瞳が数回瞬きで消えたかと思えば、今度は力強い眼差しが注がれた。

「俺なら黒い服着て挑むかな」

してしまった後悔、しなかった後悔。
天秤にかけた時に私は、しなかった後悔を選ぼうとしている。
その方が幾らか自分を納得させられる、非の打ちどころのない言い訳を用意できると踏んだからだ。
引き返せる今だからこそ選択できるカードを今まさに引こうとしていたこの手に、及川の『待った』がかかったような気がした。

「それ、ちょっとズルくない?」
「そう?後悔はしないに越したことはないじゃん」

ふたつしかなかったはずの選択肢に、ひとつのカードが付け加えられる。
それは決して美しい理論ではなかった。
むしろ、無理矢理にこじつけた随分と身勝手な言い分だ。
見て見ぬ振り、臭い物には蓋。
それでも後悔を前提に考えていた私の手札よりもずっと、潔さがあった。

「まぁ、それもそうだね」
「でしょでしょ。及川さん良いこと言うよねー。ちょっとは見直してくれた?」

少し得意気に瞼を細め顔を覗き込む及川に、私はそっと顔を反らした。

「関わるようになってから見損なったことなんてないよ」
「まーたそういうことい…って、えっ!?」

タンタンタン、と軽い身体を勢い付かせて階段を駆け上がった。
すぐに息が上がる。
片手に提げる荷物を振り被って、不恰好でも構わなかった。
とにかく足を動かす。
どうしても、振り向きたくはなかったから。
それなのに誰かさんのおかげで軽くなったはずの荷物が再び、重みを増す。
踏み出したはずの足は前へ進むことはなかった。
引かれる力に負けたのだ。

「今度一緒に食べに行こうよ。カレーうどん。黒い服着てさ」

気を遣っているのか、社交辞令なのか。

「冷たい水もらってたら火傷もちょっとはマシだろうし」

冗談なのか、本気なのか。

「せっかくだから食べたいように食べたらいいじゃん」

気ままなのか、勝手なのか。

「そりゃーちょっとは後悔するかもしんないけど」

強気なのか、強引なのか。

「でもさ、火傷はいつか治るよ」

きっと、優しいのだろう。


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