私には、足がない。
自分で歩き出せないのはそのせいだ。
そんな馬鹿馬鹿しい言い訳を盾に、膝を抱えて閉じこもっていた私にたかちゃんはいつも傍にいてくれた。
いつだって、手を差し伸べてくれていた。
だけどそれを受け入れられなかったのは、その手を取れば私は本当の意味でもう二度と自分の足で立てなくなることを本能で察していたからだろう。
いつまでもたかちゃんが私を見てくれるなんて保証は、この世界のどこを探したって見つかるはずがない。
だからずっと、このままでい続けることしかできなかった。
それ以外の方法が何も見当たらなかったから。
いつか自分で立ち上がれる時が来る、なんて自分のことをまるで他人行儀に構えてはいても、時間は無常にも淡々と過ぎて行くばかり。
私はとうとう、歩き方を忘れてしまった。
足は、あるのに。
確かに私の身体に付属しているのに。
歩けない、もう自分だけじゃどうにもならない。
だからと言ってたかちゃんの手を取る勇気すら持てなかった私は、散々心を砕き続けてくれていたたかちゃんを突き放すことでまた、私を守った。
人でなしのすることを、他ならないたかちゃんにしてしまった。
それからは目を見張るほど私とたかちゃんの距離はみるみる離れ、季節が移ろっても離れ続けていく。
そんな時に、偶然見てしまった。
たかちゃんと知らない女の子の秘密の逢瀬のような、その光景を。
それからのことはあまり覚えていなくて、鈍器で頭を殴られたような痛みだけがずっと身体中のあちこちから響いてくるだけだったように思う。
結局、いつの間にか大きくなっていたその手を取ろうが取るまいが、その時はいつか訪れるのだ。
そんな当たり前のことを忘れていた私に、自分勝手な己の行い全てが一度に降りかかって来たのだろう。
私が最も恐れ、最も怯え、ずっと見て見ぬ振りをしてきたこと。
たかちゃんが、私を置いて知らないところへ行ってしまうこと。



「ったく、薄着でうろうろする癖は治らないのな」

薄っすらと笑みを携えて、ぼろぼろになっているであろう私の顔を覗き込んだたかちゃんは、自分の首に巻いているマフラーをそっと私へかけた。
じわりと温もりを宿すそれは、ひどく温かい。

「でも、たかちゃんが寒くなる」
「今のお前が人の心配してどうすんの」

苦笑いを交えながら、たかちゃんはそう言って私のちっぽけな手を握り締めた。
この掌にたかちゃんの体温を直接感じるのはいつぶりだろうか。
逃げないように、とでも言うようにしっかりと繋がれたそれは、ゆっくりとした歩調に合せて肌寒い空気を切るように揺れる。
溢れ出た私の数年分の恐怖を、たかちゃんがどう受け止め何を思ったのかは分からないまま、色のない景色の中ただ差し出された手を、意地を張り続けていたことも忘れてすぐに縋りつくように手繰り寄せた。
そしてそれは、いとも簡単に私を立ち上がらせこの頼りない足を地面に落とす。
その逞しい手に支えながらも、私は確かに立っていた。
この世界に、たかちゃんの隣りに。
もう歩けないと思っていたはずのそれは、引かれる手と共に随分久しぶりの一歩を踏み出す。
これが進むということだ、と垂れ目がちな瞳が雄弁に語っていた。

「名前」

たかちゃんが、私を呼ぶ。

「俺が今まで、お前を見つけられなかった時があったか?」
「ないね」
「俺が今まで、お前を迎えに行かなかった時があったか?」
「…それもなかったね」
「俺が今まで、お前をひとりにした時があったか?」

ないよ、そんなこと一度だってなかった。
私が突き放しただけで、たかちゃんは一度も私を遠巻きにしたことなんて、なかった。
それが余計に恐かったと言えば、呆れられるだろう。
どれだけ自分が恵まれていたのか、ほしいと願い続けていたものに守られていたのか、今更になって気付くなんて、愚かにもほどがある。
だから本当は、こうしてマフラーを巻いてくれることも手を握って歩いてくれることも、たかちゃんには何ひとつ得をすることなんてないのだ。
それでもたかちゃんは見つけてくれた。
私自身を、私の心を。
それならこれ以上言い訳をしていたって、私の捻じれた心に微かに残った素直で真っ直ぐなただひとつの想いの形をどうにもできるはずもなかった。
ぎゅっと一層強く握られた手に、前へ進んでいた足が止まる。

「お前が感じるものは全部、お前だけがが喜んだり悲しんだりできることなんだよ」
「うん」
「だからお前が、それを受け止めないと俺はお前に何もしてやれない」
「うん」
「でもお前が受け止めて、受け入れて、笑ったり泣いたりするなら俺はそれを全部、見てるから」
「うん」
「迎えに行くから。だから、もう強がんな」
「…うん」

収まったはずの涙は、どこにそれだけ溜め込んでいたのかという勢いでぽろぽろとアスファルトに着地してゆく。
深い色で染みを広げるそれに、また姿を見せ始めた雪が重なっては溶けて滲んだ。
掠れる声も、しゃくり上げる呼吸も、何もかも構わずに「たかちゃん」と呼び、そして振り返る大切なその人は、一歩私へと身体を近付ける。
迎えに、来てくれる。

「ずっと言いたくて、でも言えなくて、たかちゃんを連れて行かないでってずっと恐かった。私、たかちゃんしかいらない。他に何もいらないから、だからお願い、ひとりにしないで」

断片的にしか零せなかった本音を、今度は全て曝け出しすように吐露する。
例えここでたかちゃんから何を言われても、今ならきっと受け止められる気がしたから。
長い間ずっと、私は自分だけが傷付いて恐くて仕方なかったのだと、随分たかちゃんを振り回していたのだ。
どんな言葉を向けられたって、構わなかった。
それがたかちゃんの答えなら、私は何もかもをようやく終わらせることができるのだ。
今度は私が待つ番。
私を待っていてくれたたかちゃんの時間には足元にも及ばないけれど、ただ静かなその表情を見つめながら唇から紡がれる言葉を待っていると、強く引かれた手に傾いた身体はすっぽりと閉じ込められてしまった。
外気に触れていた服が私の火照る身体を冷ますように、そして後から追いかけて来るじわりと広がる温もりを伝えるように。

「及川が、俺とお前は多分離れられないふたりなんだろうって」
「え?」
「それを今、俺も体感してるとこ」

お前が何言ったってどこにもいかない、ここにいる。
そう続けられた声に、投げっぱなしになっていた両手を広い背中に回して、大きなコートをぎゅっと握りしめた。
私はきっと、忘れずにいられるだろう。
例えこの先どれだけ心を折られたって、もう閉じこもったりはしない。
二度と、『もう、いいんだよ』なんて言わない。
言えない。
言いたくない。
だってこの人は、私が諦めていた“私”を諦めないでいてくれた人だから。
ずっと私に、幸せを教え続けてくれていた人だから。
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -