もう、いいんだよ。

表情の柔らかさと反比例する言葉の鋭さに、深く深く何かが抉り取られる感覚だけが鮮明に、強烈に刻み込まれた。
“たかちゃん”と随分懐かしい呼び方をしておいて、続いた言葉には今まで一度も聞いたことのない冷淡さを含ませて。
それは名前からはっきりと示された拒絶の形。
少しの歩み寄りも許さないという、最後通告のようなものだろうか。
何を考え、何を思って、その言葉を突き付けたのかは知らない。
知りたいとも思わなかった。
その選択をしたからには名前にもそれなりの言い分があったのだろう、とお利口な言い訳を並べるしか納得する余地もないまま、宙ぶらりんの何かが違和感を訴えながらもどうすることもできない状況だけがただ目の前の壁として聳えていた。
そんな俺を、今のお前ならどう思うだろうか。
返って来るはずのない答えもまた、ずっと着地する場所を探すように彷徨い続けている。

だから俺は、お前が嫌いだよ。

その一言さえも言えずに呆気なく過ぎ去った二度目の拒絶を突き付けられた日から、名前は一度も行方を眩ませることも、夜の闇に溶けてしまいそうな姿を見せることもなく、唯一に等しかった俺と名前の接点は綺麗さっぱり消えてしまったのだ。
何気ない毎日、当たり前の日常、ささやかな日々、その繰り返しは思いがけずあっと言う間で、制服はすっかり冬服へと姿を変え窓の外にはちらほらと初雪が舞う季節へと移ろいでいた。



「さむっ!」
「本格的に冬になってきやがったな」
「毎年のことだけどこの寒さ、どうにかなんないもんかなぁ」
「さっき雪降ってたぞ」
「そりゃ寒いわけだよ」

鼻先を赤くした及川と岩泉の会話を何となくで聞き流しながら、ポケットに両手を突っ込み無言で歩いている松川のその先にある景色を眺める。
何てことはない、見慣れているありふれたこの光景が冬の色に染まって行く様を見られるのもこれが最後なのだと思うと、毎年億劫な寒さも少しばかりは悪くないものに映った。
そんな感覚を、俺はきっと名前と共有していたかったのだと思う。
些細でどこにでも転がっているようなことを、ふたりで。
ただそれだけのことが、俺たちにはとてつもなく困難で果てしなく遠い願いだったけれど。

「花巻くん」

歩調に合せてゆっくりと流れる視界の端に、突然映り込むチェックのスカートが揺れた。
呼ばれればその声の方へ意識が向くのは、人間の擦り込まれた本能だろう。
まさか、と重なる面影に勢いよく声をかけられた方へ視線をずらした。
俯き加減の伺うような表情は、もちろんとっさに思い浮かんだ相手ではなくて、何となく顔を知っている程度の女子だった。

「あの、ちょっといいかな」

頬をほんのりと染めているのは寒いからか、それとも、
他の3人がそろそろ振り返りそうなところで、「悪い。先行っててくれ」と言い残して目的地へ背中を向ける。
この時期になると呼び出しが増えるんだよねぇ、と自慢にしか聞こえない及川の言葉が鮮明に蘇り、岩泉の青筋がピクリと浮かび上がっていたついさっき刻まれた記憶にまたもや、まさか、と斜め上へ視線を流した。
自分より随分と小さな身体が導くままに、渡り廊下から少し離れた場所でその子はゆっくりと俺を見上げる。
もともと染められていた頬が更に赤みを増してゆく様子を目の当たりにしながら、向けられるであろう言葉の重みに胸が閊える感覚に襲われた。
あぁ、これが、好意と呼ばれるものなのか。
真っ直ぐに向けられる気持ちの行く先を、きちんと見つめられる強さを秘めた大きな瞳にどうして、どうしてお前が、瞼の裏に張り付いて離れない?



「で、告白だったんでしょ」
「そういうのは聞かないってのが暗黙の了解ってやつじゃねぇの?」
「いやー、目の前で攫われたらそりゃ気になっちゃうよね」

悪びれる様子もなく堂々とそう言い放った及川は「で、どうするの?」と珍しく食い付く様子に溜息を吐き出す。
呆れや諦めのこもったそれは、真っ白に形を作っては空気に溶けていった。

「そういうのを野暮って言うんじゃないですかね?」
「まぁね」
「それとも主将としてそれも知っとかないとってか」
「まさか、これは俺個人のちょっとした好奇心だよ」
「余計タチ悪いわ」
「知ってる」

こういう時は、この男が非常に厄介極まりない。
面白半分か、はたまた何か深い読みがあるのか、その辺りを外すことなく察することができるのは精々岩泉くらいだろう。
言い渋っている方が何か間違えているようにすら感じる物言いをするすると交わしながら、そう言えば少し前にもこんな帰り道があったなと思った。
あの頃はまだ少し肌寒い程度の季節の変わり目で、及川は相変わらず普通なら聞き辛いであろうことをズバズバと投げかけて来た。
思いがけず晒してしまった心の内、そして思いがけず知ってしまった及川の過去。
そして、


『多分、離れらんないふたりなんだろうなって思ったよ』


他人の戯言だと思ってくれと前置きされた及川の勝手な言い分がずっと、リフレインされている。

珍しくカンを外したな、及川。
簡単に離れてったよ、俺も、名前も。

時折強く吹く風に、巻いていたマフラーが攫われる。
すっかり暗くなった帰り道には、空から零れ落ちた雪がアスファルトに着地し始めた。

「及川さぁ、こういうこと考えたことある?」
「うん?」
「こう、何つーか、コンセントみたいな?そういうのがあって、それを差し込んで相手のこと何でも分かれば便利だなって」

ドラえもんの道具か何か?とキョトンとした表情を浮かべる及川に、「いや、ただの思い付きだけど」と言えば、腕を組んだ及川が斜め上を見上げた。

「便利かどうかって言われれば便利なんだろうけど、そんなの面白くないよ」
「そうか?」
「話さなくても分かる、なんてそんなのはただの傲慢だしね」
「お前がそれを言うのかよ」
「俺だから言うんだって」

だから俺はよく話しかけてるでしょ、と同じ高さにある瞳が些か得意気に光を宿す。
それはただお前がお喋りなだけじゃないのか。
随分良く聞こえるような言い分に「何だそれ」と笑う。
及川もまた笑いながらトンと俺の肩に手を置いた。

「声で聞く言葉だから意味のあることって結構多いと思うんだよね。だから探り合ったっていいじゃん。そこから知れる気持ちだって色々あるんじゃない?」

まったくもってこの男の底知れなさには恐れ入る。
人が何回も繰り返し考えてきたことに、遠慮なく虚を突いてくるのだから。
知りたくて、何度も問いかけた。
何があった?と。
けれど「何でもないよ。ただ何となく」と笑って首を振る名前に、それ以上何も聞けないと思っていたのは俺の勝手な思い込みだったのかもしれない。
それ以上問いかける言葉を、俺が見つけられなかっただけなのだ。
幾度となく鳴らされていた音のないサイレンを、俺は本当に気付けていただろうか。
何度も、何度も、繰り返し名前へ伸ばせたはずの手を、始めから諦めていたのではないだろうか。
振り向いてくれなくても良かった。
俺がずっとここにいることを、その華奢な背中を見ていることを、いつか自分からその胸の中に閉じ込めていたものを吐露してくれる瞬間を、ただ待っていることを伝え続けてさえいればそれで、良かった。

「話さなくても分かるってのは傲慢、だっけか?」
「どれだけ話したって結局は他人のことだからね。分かることもあれば分からないこともあるよ」
「じゃぁ話す意味って何だ?」
「話すことに意味があるんじゃなくて、話し合おうとすることに意味があるんじゃない?」
「わりぃ、もうちょい噛み砕いて」
「だからそんな難しいことじゃないってば。話し合うってのはさ、ひとりじゃできないんだよ、マッキー」
「あー…」
「自分の話を聞いてくれてるって思うだけで安心できることもあるでしょ」
「お前はいつも無視されてるけどな。主に岩泉に」
「それを今言う!?俺すっごい良いこと言ったんだけど!」
「こんなアホみたいな会話でも、何かしら意味があんのかねぇ」
「あるよ、きっと。こういう積み重ねがあるから、俺たちがチームとして上手くやってけてるって自信を持って言えるからね」

例え今の俺が届かなくても、選ばれなくても、明日の俺なら届くかもしれない、選ばれるかもしれない。
明日の俺が届かなくても、選ばれなくても、明後日の俺なら届くかもしれない、選ばれるかもしれない。
それでも、その“いつか”をずっと待っていたのは他でもない俺だ。
知りたいとか、分かりたいとか、そういうことじゃなかった。
お前に、教えてほしかったんだ。
お前自身に、お前自身のことを。
そしてお前に、教えたかったんだ。
俺の声で、俺自身のことを。
それが及川の言うところの“話し合い”とやらになるのかどうかは分からないけれど、俺たちは長い付き合いの中でそんな簡単なことを、見落としていたのだろう。
風に解かれたマフラーを巻き直して、雪の雫が染みこんだ地面を蹴る。
少しだけ急ぎ足になった俺に笑った及川の声は、知らない振りをした。
まだ弱々しい振り方の雪が、地面に落ちては溶けてゆく。
この雪が積もることはないのだろう、と急く心の片隅でぼんやりそんなことを思った。
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