花霞 | ナノ




教師の急用、などという体の良い理由で選択科目が自習になった。
一応出された課題に取り組んでいる間は、授業風景らしい静けさを保っているものの、終わる五分前にもなれば誰もが休み時間に備えて帰る支度を整え始める。
俺も苗字も例に漏れずというやつで、授業終わりのチャイムが鳴ると同時にその教室を後にした。
いつもより数分早い帰還は、教科書とノートを閉じている白石と遭遇することとなった。



≪After one more week:Monday 14:11≫

「…早くね?」
「自習だったからなー」

さっさと戻って来た俺たちに気付いたのか、顔を上げた白石は些か不思議そうな表情でそう尋ねた。
投げられた疑問に応えれば、「へぇ」と大して興味もなさそうな返事が届く。
相変わらず無愛想なこって、と一言くれてやろうと思った時、俺の後ろに隠れていた苗字がひょっこり顔を出し、「急がなくていいよ。早く戻って来ちゃってごめんね」と申し訳なさそうにしていた。

「良く見ろよ。こいつのどこが急いでんだ?」
「ヤックはまたそういうこと言う」
「まぁ、ヤックだしな」
「ヤックだしね」
「あ?」

窓から見える桜の木はとっくに青々と茂っているのに、この場に満ちる空気はとんだ桜色だ。
痒くなるぜ、と呆れつつもコソコソと何かに怯えるように逃げ回る姿を見るよりはマシだと思うあたり、俺も相当人が良いらしい。

「あ、そうだ。白石くん甘いもの平気?」
「あんま食わねーけど」
「甘いっていうより酸っぱい方だから大丈夫かなぁ。はい、良かったらカロリーチャージにどうぞ」

人の厚意も何のその、桜色を振り撒きながら見せ続けられる光景に、「オイ」と思わず待ったをかけた。
苗字の差し出した手から落ちたものは、白石の掌にころりと転がっている。
『梅』と大々的に銘打たれたそれは、苗字が好んで良く口にしている飴だった。

「俺はスルーですか、コラ」

今日初めて顔を合わせたやつには迷いなく差し入れ、今日何度となく会話している俺には全くそれに触れないとは、良い度胸じゃないか。
そんな気持ちでやりとりをぶった切れば、苗字はむっとした顔で俺を見た。

「だってヤックにあげたら、こんなババアみてーなもん買うやつ初めて見たってバカにしたじゃん」
「いつの話だ!いつの!」
「一年と八カ月前」
「細かすぎんだろ!」
「ちなみにさっきのは一言一句そのままです」
「いい加減根に持ちすぎだっつの!」

やいやいとお互い手持ちの札を用いて攻防を繰り広げれば、じっと手の中のものを眺めていた白石が、ふと目尻を下げたのを俺は見逃さなかった。
無表情ではないけれど、基本的にいつも無愛想で淡々としている。
穏やかとも言えるその面持ちは、チームメイト三年目にして初めて見ると言っても過言ではなく、「ちょっとヤック聞いてんの!?」と声を荒げる苗字を尻目に、思わず呆けてしまった。

「お前、そんな顔できたのな」
「…は?」

いまだ噛み付いている苗字の顔面にアイアンクローをかましながら、余りある余裕が口を突いた。
もちろん白石は“何言ってんだ、こいつ”、とばかりに俺を訝しんでいる。
恐らくここに他のチームメイトがいたとしても、間違いなく俺と同じ反応をしていただろう。
賭けても良い。
どんな顔だよ、と眉間に皺を寄せている本人すら、もしかしたらその些細で大きな変化に気付いていないのかもしれないけれど。



≪Last week:Monday 13:20≫

ちょっと頭冷やしてくる。
確かにそう言って教室を後にしたはずなのに、昼休みが終わるギリギリに戻って来た苗字は、冷えるどころか頬を紅潮させていた。

「どした?白石とタイマンでも張って来たか?」

冗談でそう軽口を並べれば、ぎょっと目を見張った苗字に「…マジか」と全てを悟った一言が零れた。
ひどく落ち着かない様子を滲ませながら、手でパタパタと顔を仰いで見せるけれど、色付きは増す一方。
たった30分ばっかしで、一体何が起こったんだよ。
怪しみながらそう尋ねれば、「白石くんと、話せた」なんて言うので、“だからどうした!”と突っ込みたい気持ちをぐっと堪えた。

「お前は誰かと話しただけで顔真っ赤にすんのか」
「ヤックにはならないよ、大丈夫」
「…時々さらっとヒデーこと言うよな」
「今ね、ちょっと、いっぱいいっぱい」

そうは言いつつも、へにゃりと緩まされた顔はただ話せた喜びだけではないことを物語っており、気まずいだの居たたまれないだの散々ウジウジしていた様子は欠片ほども残ってはいない。
とりあえず、「良かったな」と今考えてみてもそれってどうよ、と思わずにはいられない脈絡のない言葉を投げかけたにも関わらず、苗字は小さく頷いた。

「で、初エンカウントの感想は?」
「思ったより面白い人だったよ」
「は?面白い?白石が?」
「うん」

面白かった、と瞳を輝かせるので、それは本当に白石だったのか?と首を捻る。

「俺の活路を塞ぐなよ、とか言っちゃうやつだぜ?」
「愉快な人だよね」

またもやへらり、と顔を緩めるので、俺に真面目な顔でそう吐き捨てた白石をこの時初めて、ほんの少し可哀想に思ってしまった。
苗字の感覚は時々おかしい。
別に常識が欠如しているわけでも、協調性がないわけでもないけれど、ツボに入るところが奇抜なのだ。
クラスメイト三年目、そこそこ親しい間柄を続けている身となれば、そんなエピソードは両手の数では足りなくなる。
今まさに白石を愉快だと言い退けた様は、今までの付き合いの中で飛びぬけておかいしと言わざるを得ないし、それはきっと愉快という一言で片付けて良い感覚ではないとも思う。
けれどいまだそわそわしている姿を見れば、何を言ったところで適当な言葉しか返ってこないのは目に見えていた。

「お前さ、それ大事なとこ見落としてね?」

それでもあえて尋ねてしまったのは、98%の好奇心と2%の白石への同情だ。
俺って良いやつすぎる、と自画自賛しながら答えを待っていると、「やだなぁ、真面目な人ってことくらい分かってるよ」と斜め上の回答が舞い込んだ。
あ、やばい。
白石、マジで可哀想。

「そーじゃなくてだな、ほら、もっとこうお前ら女が好きなアレだ」

よもやここまで言わされることになろうとは。
ふーん、あっそー良かったねー。
そう言って流してしまえば済むものを、他人の、ましてや白石なんぞに俺がここまでお膳立てしてやる義理はないのだけれど。
この時の俺は、好奇心と同情が見事に逆転していた。

「ヤック何言ってんの?大丈夫?保健室行く?」

もう知らねー。
俺は知らねー。
できる限りはやってやったぞ、もう知らねー。
早い話がお手上げ状態というやつで、これ以上突っ込んで痛い目を見るのは流石にごめんだ。
もう一度、「良かったな」と今考えてみてもそれってどうよ、と思わずにはいられない脈絡のない言葉を投げかけたにも関わらず、苗字は再び小さく頷いた。
心底、嬉しそうに。



≪Monday 14:15≫

「仕方ないなぁ、じゃぁヤックにもあげるよ」

本当に仕方なさそうにポケットから飴を取り出し、苗字は俺に差し出した。
仕方ねーからもらってやるよ、という態度で俺もそれを受け取れば、着席したままだった白石が立ち上がる。

「これ、ありがとな」

指先で持たれたそれを掲げてそう言うと、苗字は満足そうに笑っている。
目に見えている何もかもを、雁首揃えてどうして気付かないものか。
そしてどうして俺が、そんなことにやきもきさせられなくてはならないのか。
謎は深まる一方で、解決の糸口は一向に見えやしない。
もうさっさと纏まってくれませんかねぇ、なんてこれ見よがしに溜息を吐き出せば、白石とぱちりと目が合った。

「返せるもん何も持ってねーんだけど」
「いいよいいよ。私が勝手にあげただけだもん」
「でも悪ぃし、情報提供で手ぇ打ってくれるか?」
「うん?」
「人にあれこれ配るようになったらババア、らしいぜ。ヤックが言ってた」

ふと、嫌味ったらしい勝気な表情を貼り付けて、「じゃーな」と白石はさっさと教室を出て行った。
あんにゃろー!と急いで追いかけようとした俺を阻んだのは、がっちりと掴まれた俺の制服で。
嫌な予感だけをひしひし感じていれば、「八熊くん、ちょっと話そうか」とさっきまでの和やかな笑みは消え失せ、淡々とした真顔が迫った。
俺は知っている。
クラスメイト三年目にもなれば、分かってしまう。
苗字が“八熊くん”と呼ぶ時は、最高潮にキレている時だということを。
そしてこいつの真顔が、シャレで済まないほどに恐ろしいということを。

「別にお前のことじゃ…や、やめろ!落ち着け!っつーか何で俺だけなんだよっ!?」

腹の底から叫び上げた不平不満は、恐らく隣りのクラスにまで轟いていることだろう。
可哀想とか思ってた先週の心優しい俺が泣いている。
こんな性質の悪い嫌がらせをするくらいなら、とっととくっ付いてくれませんかね?(俺のために!)
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