≪Friday 13:00≫ 色々なものに移り気をしながら、ぼやぼやと歩いてようやく辿り着いた目的地。 既に新しい息吹を宿した木は、少しずつ身を削るように花びらを散らしていた。 ここに来ようと思ったのは、この桜もそろそろ文字通り見納めだと思ったからだ。 来年の今頃は、よっぽどヘマをしでかさない限り私はここにいない。 最後だなぁ、と思うと自然をここへ向かっていた。 着いてすぐ、目の前に落ちて来たその一枚をまるで某トトロの某メイちゃんが某まっくろくろすけを捕獲した時のように、両手を勢いよく合わせる しかしながら、狙っていた花びらは私を嘲笑うようにこの手の守備範囲をふわりと越えて地面に着地した。 勢いを余らせた両手が、パンッと乾いた音を鳴らす。 ひどく空々しく響いたそれに、虚しさが募った。 いっそ誰かに思いきりバカにされ、大笑いされた方が幾分心の持ちようもあるというものだ。 こんなにもヤックの存在の大きさを目の当たりにする日が来るとは、思いもしなかった。 もはやひとりでいることが恥ずかしいほど、見かけ倒しに終わった捕獲計画に自分のドジっぷりを認めざるを得ない。 仕方なく落ちたそれをしゃがんで拾い、掌の中に囲ってみるといつかヤックと交わした会話を思い出した。 「やっぱり色が濃い」 座り込んだままぽつりと、そう独り言を漏らせばカンカン、と金属を叩く音が鼓膜を震わせた。 ≪Friday 13:06≫ 一部始終を背後から目撃してしまい、初めて苗字に対し“気まずい”と感じた気がする。 そもそもこんな所で遭遇するなど、思ってもみなかった。 どうする、と思案しつつもわざわざ睡眠時間を削って訪れたという手前勝手な想いが、恐らくそうさせたのだろう。 オイと気軽に声をかけられる間柄でもなく、ましてや名前で呼び止めるのも違和感ばかりが伴う。 しゃがみ込んだままの背中に向け、渡り廊下の鉄柱を二回拳で叩いた。 カンカン やけに軽い音を響かせたそれに、恭しく振り返る横顔は面白いほどころころと表情を変える。 慌てて立ち上がった苗字は、居たたまれなさそうに俯いた。 「この間のノート」 「え?」 「サンキュな」 「あ、ううん、全然。こちらこそわざわざ返事、ありがとう」 嬉しかった。 少しばかり上ずった声で、だけど確かにそう言ってはにかむ様子は、余所余所しさの中に照れ臭さを滲ませる。 会話をするには離れすぎている距離を詰めるよう、ゆっくりと歩みを進めた。 今まで散々逃げ回っていたようだけれど、流石にこの状況では苗字もそうはしなかった。 一歩一歩近付く度に落ち着きを手放しつつ、それでもじっとその場に佇み掌を握り締めている。 「色、やっぱ違うよな」 唐突にそう告げれば、握っていたそれを開いて見せた。 「うん、こっちの方が少し濃くて鮮やか。教室の方は淡くて優しい色だよね」 求めていた以上の答えを示されると、「ヤックは分かんないって言ってたけど」と眉を下げる。 ヤックだしな、と返した俺に、苗字はきょとんと大きく瞼を開いてから、声を上げて笑った。 綺麗に晴れた青と透明感のある緑、そして点在する桜色が映える景色の中、決して引けを取らない鮮明な表情だった。 ≪Friday 13:06≫ 全く予想外の展開に拙い頭はフル回転をしているし、やっぱりどんな顔をしていれば良いのかの答えはいまだ出ず、自分の態度が正しいのかも分からないまま。 それでも思っていたよりずっと物腰柔らかな対応に、何だか胸の内側がくすぐったくて堪らなくなる。 「声かけられるなんて思ってなかったから、びっくりした」 「まぁ、あんだけコソコソ逃げられたら流石に気になんだろ」 「し、知ってたの?」 「そりゃな」 「や、別に白石くんが嫌で逃げてたわけじゃなくて、いや逃げてたんだけど、決して白石くんが嫌だったわけじゃなくて、」 見抜かれてはいないと確信していた部分を、遠慮なく突かれた動揺がもはや何を言っているのか分からない言葉を羅列していく。 墓穴ばかりを掘り続ける私に、さぞや呆れ返っているだろう。 そう思っていたのに、肩を震わせて「ちょっと落ち着こうぜ」と白石くんは笑顔を浮かべた。 ハハハ、と漏れる声に結構な笑われ方だと思いつつも思わず見とれてしまう。 綺麗に、笑う人だな。 意外な一面は、私の胸の異変を助長させるばかりだ。 「どんな顔していいか、分からなくて」 「ヤックから聞いた」 「あー…」 「コミュ障なんだってな」 余計なことばっかり言う、と肩を落とした私に、白石くんは両手をポケットの中に隠して「まぁ、冗談だろ」と笑みを残した表情で言った。 「理由があるから悪く思わないでやってくれって、俺には聞こえたけど」 「ヤック、口が悪いからね」 「ああ」 「でも、優しいんだよ」 「そうだな」 どうしてふたりして、ここにはいないヤックを褒め合っているのだろうか。 その状況が何だかおかしくて、「変なの」と笑えば、「いいんじゃねーの」と白石くんも口角を緩やかに上げた。 ≪Friday 13:11≫ 淡々と過ぎていく時間に、「そろそろ戻った方が良いかな」と提案を持ちかけたのは苗字で、頷こうとすると温かな風が吹き抜ける。 わずかに残る桜の花は耐え切れないとばかりに、その花びらを四方に散らした。 花吹雪とも呼べない密かな花の雨は、ゆっくりと空中を舞っては行き先を探すように重力に流されていく。 それを上向き加減に眺める横顔が、小さく綻んだ。 綺麗なものを見られた喜びと、何かを寂しがっているような哀愁を織り交ぜた不思議な表情は、興味を惹かれる何かを秘めていた。 「さっき盛大にスカしてたな」 「見てたの!?」 「見えたんだよ」 「一緒だよ!」 「笑わなかっただけマシだろ」 「笑いたかったんだ…」 「そりゃトトロもびっくりなNG見せられたら、誰でも笑うんじゃね?」 思い返して込み上げる笑み今度は堪えることもなく浮かべれば、目を丸くして「白石くん、トトロ観たことあるの?」と首を傾げる。 「俺のこと何だと思ってんだ?」 「や、ちょっと意外だっただけ。そういうの頓着なさそうっていうか」 「別に。トトロくらい誰だって一回は観てんだろ」 「うん、そっか、分かっちゃったか。私もちょっとメイちゃん気取ってたし」 「マジかよ」 「マジだよ。ジブリ好きとしては普通に気取るでしょ」 「普通は気取らねーよ」 まったくもって変な女だ。 こんなに声を上げて笑うのも久しぶりで、「そんなに笑わなくても…」と困惑を見せる苗字よりずっと、俺は俺自身を持て余していた。 どちらからともなく踏み出した一歩は、お互いが来た道を辿る。 気付けば横に華奢な肩が並んだ。 見下ろした先には、髪に絡んだ花びらが一枚。 何を思うより先に伸びた指先が、黒くしなやかな髪の束を掬う。 驚きで肩を跳ね上げられるけれど、するりとそれを梳き、指先に残ったしっとりとした感触を見せれば、「ありがとう」と微笑みが向けられた。 「色々最後になっていっちゃうけど、そればっかりじゃないよね」 何かを確認するように、そう囁いた徳永の頬は指に乗っている花びらと同じ色で染められる。 「そう言えば、まだ名乗ってなかったっけ」 「苗字だろ?ヤックが良く話してるから知ってる」 「うわー…ろくな話じゃないんだろうなぁ」 「さぁな」 喉を鳴らして笑った俺を、苗字が覗き込んだ。 「改めまして、苗字名前です。何だか変なスタートになっちゃったけど、これも何かの縁ってことで」 真っ直ぐ伸びる眼差しを注ぎながら、妙に丁寧な自己紹介が向けられる。 よろしくって言うのもちょっと変か、と言ったそばから眉間に皺を寄せている苗字に、唇を開けば、彼女は頬を染めたままふふっと笑みを零した。 「白石静くん、だよね。綺麗な名前だなぁって思ってた」 ≪Friday 13:15≫ “これから”を予感させる胸騒ぎを感じているのが、自分だけでないと良い。 そう思った、高校生活最後の春の終わりだった。 |