≪Monday 14:18≫ 教室に戻るなり、扉の近くから声がかかる。 呼ばれた方へ視線を投げれば、「さっき女子が来てたぜ。何か忘れもん届けに来たとか言ってたけど」と要件を伝えられるけれど、全く身に覚えのない。 とりあえず「サンキュ」と一言礼を告げ、真っ直ぐ自分の席を目指した。 新しいクラスになったからと言って、特別取り巻く環境が変わった実感はない。 するべきことは変わらないからだろう。 ただひとつ悪くはないと思うのは、窓際の席に割り振られたことだろうか。 しかも一番後ろだ。 丁度柔らかで温かな日差しが降り注ぐこの季節もまた、悪くはなかった。 随分と恵まれた居場所に足を進めると、何も置いていなかったはずの机の上にノートが一冊置かれてあった。 明らかに女の字で記された付箋が貼られてあるそれは、さっき受けていた選択授業のノートで。 教科書やら資料集やら、次々に開けという指示に邪魔になったそれを、思わず机の中に入れてしまったのだろう。 辿ってみれば、確かにノートを手にして戻った記憶はない。 わざわざ届けてくれたのか、と付箋を指で撫でる。 本来なら自分には不釣り合いなそれをさっさと剥がして丸めてしまいたいのだけれど、こちらの落ち度を厚意で返してくれたものに対して、そうすることはどうにも気が引けた。 何となく、付箋は貼り付けたままで机の中に仕舞う。 日本史の選択授業は、確か隣りのクラスだった。 いずれ顔を合わせることもあるだろう。 その時にでも一言告げれば済む話だ、と大して気にも留めていなかった。 ≪Monday 15:22≫ 「よぉ。忘れもん、ちゃんと届いてたか?」 部活が始まる少し前、部室で出くわしたヤックが開口一番にそう尋ねた。 「ノートのことか?」 「お前でもそんなポカすんのな。ちょっと安心したわ」 「そら人間だからな」 「おっかなびっくりで持ってってたぜ」 くっくっく、と思い出し笑いを見せるヤックに、ふとクラス替えの名簿を眺めていた時のことを思い返す。 お前と隣りかよ!体育とか一緒になんじゃねーか! そんな不満を隠すことなく漏らしていたことも、同時に思い出された。 「そういや隣り、ヤックのクラスだったな」 「あ?今頃気付いたのかよ」 「仲良いのか?」 誰と、とあえて言わずともヤックはそれを察していた。 たかだかノートを忘れたくらいの些細な出来事が筒抜けになっているのだから、その関係性を想像するのは難しくない。 脱いだ制服をロッカーに詰め込みながら尋ねれば、「クラスメイト三年目っつーやつだな」と返って来た言葉になるほど、と納得をした。 「言っとくけど、俺は取り持たねーからな」 「は?」 「まぁ無事持ち主に返せたつって苗字ももう気にしてねぇし、今更礼もいらねーだろうけど。気が済まないってならテメーで言えよ」 「苗字、か」 どいつもこいつも人を小間使い扱いしやがって、なんて不平を滲ませているあたり、恐らく徳永と呼ばれたその女子は、ノートをヤックに預けようとしたのだろう。 おおよそ、同じ部活のよしみだとでも言って。 こちらとしては取り立てて代弁を頼むつもりはなかったけれど、ヤックの口振りは既に依頼されることを前提とした物言いになっていた。 「別に伝言なんて頼む気はねぇよ」 「だったらいいけどよ」 着替えを終わらせ、部室を出る頃にはその話題にはどちらも触れることはなかった。 むしろ部活以外のことで、あれだけの会話をすることも珍しい。 そもそもチームメイトでなければ、関わることもなかったとお互いに思っているほどだ。 もう何度往復したかも分からない部室から体育館までの道のりを、ヤックとふたりで歩くことは珍しくはないけれど、その間もいつもこれと言って会話はなかった。 時折、ヤックの方から何かしらの話題提供がある時だけ、世間話をぽつぽつと交わすくらいだろうか。 肩に垂らしたタオルの端を握りながら歩く途中で、目の前を薄桃色の花びらが横切った。 「おー、こっちも咲いてんなぁ」 長い髪をゴムでまとめながら、ヤックの呟きに導かれるようにその根源に目を向ける。 この学校で一番立派な桜の木が、満開を越してそろそろ限界を迎えようとしていた。 「結構色が違うもんだな」 「あ?」 「俺の席からも良く見えるんだよ。校門側の方だけど」 「色?同じじゃね?」 「こっちのが濃いだろ」 少し思い返す素振りを見せて、「変わんねーよ」とケラケラ笑いながらヤックは足を進めた。 見た目通り、この手の機微には疎いらしい。 授業中眺める色より些か強い色合いが散っていく中、俺もまた止まっていた足を動かし体育館に向かう。 そうしてふと、思った。 同じ特等席にいる苗字と呼ばれた彼女なら、この色の違いが分かるだろうか。 |