花霞 | ナノ




三年になった。
ついこの間、緊張しながら潜っていたはず校門は今では当たり前の日常と化し、色々なものが指折り数えるばかりとなった。
ごく平凡な毎日は取り立てて刺激があるわけでも、波乱に満ちているわけでもなく、淡々と同じリズムで過ぎていくけれど、何事にも“最後”と枕詞がつく立場になってしまうと流石に侘しさを感じてしまう。
それはきっとクラス替えが行われたばかりで、一年間過ごしてきた環境ががらりと様変わりしたことが、大きな要因なのだろう。
同じ机と椅子、ロッカーや黒板が並んでいる見た目に見えるものは、大した変容を遂げてはいないのだけれど。
誰もが探り探りの雰囲気は、心地良さとは真逆に位置していた。
ただひとつ救いだったのが、窓際の席を確保できたことだろうか。
特に今の季節は良い。
学年ごとに順を追って階数を下るので、この二階の窓際は桜の枝がすぐそこに見られる好条件なのだ。
今年も綺麗に咲いたなぁ。
そんな暢気な感想で、新生活は幕を開けた。



≪Monday 14:13≫

「やっぱ移動すんのめんどくせーな。日本史にしときゃよかったぜ」
「結局席は変わるんだから、大して違わないよ」
「気持ちの問題ってやつだろ」
「ヤックってそんなにデリケートだったっけ?」
「うっせ」

何だかんだと今年も同じクラスになったヤックこと八熊と、選択授業を受けていた他の教室から戻って来た。
ヤックは教室の移動が億劫だと漏らしながら、自分の席に持ち物だけを置いて隣人の帰還を待っている隣りへ腰を降ろす。
この席になって幾ばくも経ってはいないけれど、“帰って来た”という感覚を覚えるまでにはなっていた。
何とかそれなりには過ごせそうだ。
そんな曖昧な確信を抱きつつ、世界史の重たい資料集と教科書を机の中に入れようと中を覗き込めば、見慣れないノートが我が物顔で佇んでいた。
物に対してそこまでこだわりが強い方ではないけれど、ノートだけは無印良品で統一していたので、あからさまな大学ノートは手持ちにない。
自分以外の誰かのものであることは明確だった。
恐る恐るそれを取り出せば、まるで教科書の文字のように整った隙のない字で『白石静』と記入されている。

「どした?」
「違う人のノートが入ってた」
「あ?白石のじゃねーか」
「バスケ部の人だよね?」
「おー」
「忘れ物かな」
「だろうな」
「ヤック渡しといてよ。同じバスケ部でしょ」
「ふざけんな。っつーか隣りのクラスじゃねぇか。さっさと持ってけよ」
「ケチ―!」

中学が一緒だったり、元クラスメイト以外で、顔と名前が一致している相手は少ない。
自分がそこまで社交的でないことも含め、噂話にも興味がないので結果的にそうなってしまった。
それでも不便はないし、面倒事に巻き込まれるのもごめんなので、特に悪癖だとは思っていない。
そんな私が中学が一緒でもなく、クラスが一緒になったこともなく、ましてや親しいはずもない相手を知っている理由は、この学校でバスケ部がそれだけ有名だという表れでもあった。
何よりこのノートの持ち主であろう男は、尚更それが顕著なのだ。
整った顔立ち、凛とした姿勢、それらを体現するように部活に打ち込む姿は、大栄の女子の間で専ら好評を得ている。
隣りのクラスということが割れているなら手間取ることはないし、他人のものを長く手元に置いておくのも些か気が引ける。
忘れてたよ、と一言を添えてさっさと手渡しに行けば良いものを、何となく臆してしまうのはそれが理由だったりする。

「取りに来ないかなぁ」
「たまーに抜けてるとこあっからな、あいつ。忘れてったことも気付いてねーんじゃね?」
「ですよねー」

ヤックこそいつでも顔を合わせる立場なのだから、引き受けてくれてもいいのでは?
何度かそんなことを伝えてみても、「いつでも顔合わせてっから嫌なんだよ」と唇を尖らせる。
そういうものなのだろうかと思案していても、手元には確かに『白石静』と銘打たれたノートが佇んでいるのだから現実は変わらない。
むしろこういったものは後々になるほど気まずくなってしまうので、ヤックの言うとおりさっさと返してしまった方が気も楽になるだろう。

「ちょっと、行って来る」
「おー、いってらー。気ぃ付けてな」

教室を出て数歩で行ける先に本来不必要な一言が付けられているのは、ヤックの意地の悪さが滲み出ている。
私が何としてもヤックに押し付けたかった理由を、察しているからこその意地悪だ。
嫌味ったらしい男だな、とひとつ睨んでみせても、その巨体同様どでかい態度の前では何ら効果は得られなかった。
一歩足を進める毎に気分が滅入る想いでそっと覗いた隣りのクラスは、壁を隔てているだけだというのに自分のそれとは全く雰囲気が異なる。
控えめに顔を出したにも関わらず、そこを居場所とする人たちからは容赦なく“異質”を匂わせた眼差しが注がれた。
違うクラスに顔を出し、醸し出されるこの独特な雰囲気は、結局最後まで慣れることはないだろうなと思う。
居心地の悪さに神経は一気に削がれるけれど、意を決して扉のすぐ近くに居を構える男子に声をかけた。

「あの、白石くんの席ってどこ?」
「白石?あー…今いねぇけど」
「さっきの選択授業で忘れ物してて、それを届けに来たんだけど」

いてもいなくても構わない、という体で要件を伝えると、「窓際の一番後ろだよ」と快く教えてくれた。
純粋に厚意だけが込められた声色に、言い訳がましく“別に白石くん自体に用はありません”とも取れる言い分を口にしたことが何だか気恥ずかしい。
ありがとう、とお礼を残して教えてもらった席は、確かに主が不在だった。
私にとっては好都合の他ならない。
握っていたノートを机上に置き、いつも上着の胸ポケットに忍ばせている付箋とペンを取り出した。
もしかしたら、ノートが見当たらなくて探しているかもしれないし。
誰に言うでもない言い訳を並べながら、ノートの表紙にそれを貼り付け、早々に退散した。



≪Monday 14:16≫

「渡せたか?」

一仕事を終えて戻った私を出迎えてくれたのは、いまだ隣りの席を占拠しているヤックだ。
たかが隣りのクラスだろ、簡単に見放しておいて律儀に声をかけてくれるのだから、同じクラスが三年目という特殊の環境を差し引いても、ヤックとそれなりに仲良くできている理由がそこにはあった。
こういうちょっとした面倒見の良さがあるにも関わらず、粗暴な態度が掻き消してしまうのだから勿体ないのだけれど。

「いなかったから置いて来た」
「そーかよ」
「心配してくれるんなら、ヤックが預かってくれたら良かったのに」
「誰も心配なんてしてねぇ」
「ヤック歴三年目になると分かるんだなぁこれが」
「言ってろっ」

乱暴な物言いで気に食わないとばかりにしかめっ面のヤックをやり過ごしながら、ふと視界の端に薄桃色が映り込む。
そう言えば、白石くんも私と同じ席だった。
彼もこの景色を、楽しんでいるのだろうか。
全く接点のない相手に想いを馳せるのもおかしな話だけれど、よそよそと風に揺れる小さな花々が感傷を誘う。
これが三年になった私たちの、高校生活最後の春だった。
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