随分と切っていなかった前髪は、顎のあたりにまで到達していた。 それを切るだけでも随分と雰囲気が変わるよ、と友達から言われた言葉を真に受けて、いや、実際きちんと切っていれば友達の言うとおりだったのだろう。 しっかり斜め分けなければ邪魔になるそれを、分けないでいられる程度にと思っていたはずが、神がかった不器用さを発揮して見事にパッツンパッツンの前髪が出来上がったのが昨日の夜の話。 そして憂鬱な気分で登校すれば案の定、私を知っている人からは指を差され、笑われ、前髪を切ることを勧めてきた友達に至っては出会い頭、「ぶっははは!まぁ成功じゃん?雰囲気だいぶ変わっ…ぶっふふふ!」と吹き出す始末だ。 本当は、「あれ?前髪切った?」と気付いてほしい人がいた。 こっそり企んでいたのは「似合ってるよ」なんて言ってもらえたらなぁなんてこと。 だけどそれは、絶望と化した。 むしろ、こんなの見せられるかって話ですよ。 どれだけ前髪を撫でて少しでも長く見えるようにしても、そんなものはただの気休めにもならなくて、とうとう最も恐れていた教室へ入るタイミングが訪れてしまった。 いやだなぁ、と足踏みをしてなかなか意気込めないでいると「入んないの?」と、後ろからかけたれた声に全ての終わりを察した。 「お、おはよう菅原」 「うん、おはよ。ってかウロウロして何してんの?」 「ううん、もういいの。もう…いいんだ」 あぁ、終わった。 全てが終わった。 完全なる諦めの境地というものは、いっそ清々しいものだと遠い目を携え、勢いに任せて振り返れば、「あれ?」と狙ったとおりの言葉が投げられた。 「変な気ぃ遣わないでいいよ…笑ってくれた方がまだ心の持ちようってのもあるしさ」 「笑う?何で?」 「いや、だって前髪…」 「うん、短くしたんだな」 「…惨劇が起こったって思ってるでしょ」 「思ってないよ」 「う、うそだ。だってみんなすごい笑うし」 「みんなはどうかは知らないけど、俺は可愛いと思うけど」 「菅原は優しいね」 「伝わってないなぁ。俺本当にそう思ってるよ?それにさ、みんなが笑うって言ってたけど、笑われる前に自分で言っちゃえばいいんだよ。似合ってるでしょってさ」 「いやいや、流石に身の程は弁えてるから」 「いやいや、何でだよ。俺は似合ってるって思ってるのに失礼だなぁ」 卑屈になるなよ、とニッコリ笑った菅原は、私の顔を覗き込んでもう一度「うん、似合ってる」と頷く。 ぐんぐんと上昇する頬の熱に思わず顔を背けてしまったけれど、菅原はやっぱり笑ったままで、私はこの笑顔が何より大好きなんだと改めて気付かされるのだ。 こっそり企んでいた以上の成果に、照れ臭さからいじいじと前髪に触れる。 似合ってるだけじゃなくて可愛い、だって。 自然と浮かぶ笑みに、喜びが収まらずに溢れ出た。 「とりあえず教室入らない?そろそろ先生来るよ」 おはよー、と間延びした挨拶を繰り返しながら、自分の席に向かう菅原の後ろを付いて歩く。 案の定、「前髪どうしたの」なんて笑いを含んだ声が行く先々で向けられるけれど、今はもう胸を張って言えるのだ。 「似合ってるでしょ?」 例えたった1人だとしても、それが誰より特別だと思っている人からの言葉なら、信じる他に選ぶべきことなんて何もないのだ。 (130817) |