遠くの山の頂に、積もる雪を見て冬の訪れを知り、その雪が少しずつ溶けて消えることで春の訪れを知る。
それを教えてくれたのは、食満先輩だった。

「流石にまだどっさり積もってんなぁ」
「そりゃそうですよ。こんなに寒いんですから」

身を震わせ、寒い寒いと手をすり合わせる。
感覚のない指先に息を吹きかけても、温かいはずのそれですら全く歯が立たないほどの冷え込みはどう考えてもまだ冬のそれだ。
伊作に買い出し頼まれてよ、と町の中で出会った先輩は鼻先を赤くして笑っていた。
たくさんの人が行き交う中で見つけてくれた嬉しさで、私も笑った。

「あと1ヶ月もすれば解け始めるんでしょうけど」
「そうだな、その頃にまた見に来るか」
「でも本格的に卒業も控えててすごく忙しいんじゃ?」
「まぁ1日くらい何とでもなるだろ」

なんて適当な、と思ってしまう物言いでも、この人なら本当に何とかすることを私は知っている。
次に訪れた時に解け始めた雪を見て、先輩は何を思うのだろうか。
巡る季節の中で繰り返し見て来た光景に、別れを告げるのだろうか。
大きな背中越しに見る山の頂は、やはりまだまだ厚い白に覆われていた。


『なぁ知ってるか?冬になるとあの山のてっぺんが雪で真っ白になる。冬が過ぎて春が来ると、今度はどんどん緑が増える。俺はそれで冬と春の訪れを知るんだ』


もう何年も前の話、落ち込む私にそう教えてくれた日のことを思い返す。
名前も顔も知ってはいるけれど話したこともない先輩、でしかなかった人にとって私は、名前も顔も知らない後輩でしかなかったはずだ。
それでも手を引き、連れて来られたこの場所で教えてくれた冬と春の訪れの合図をつい確認してしまうのは、「お前にだけ特別に教えてやる。俺とお前の秘密だぞ」と楽しそうに言った先輩を特別に想ってしまったからだろう。
肩を並べ、今は冬か?もう春か?そんな話をするのもこの季節が最後だ。
来年は1人だなぁ、と素直に告げれば不思議そうな表情が向けられる。

「何で1人なんだ?」
「先輩の卒業後は誰と見るって言うんですか」
「いや、それは素直に俺だろ」
「…呆れた。後輩の可愛がりっぷりは知ってましたけど、まさか落第を狙うほどだったとは。流石に引きます」
「何でだよ!」

違うんですか?と今度は私から不思議そうな顔を向ければ、「普通に考えてそうはならねぇだろうが!」と怒鳴る声に思わず目を瞑る。
普段の言動を見ていればそう思っても仕方がないのに、と思いながら怒鳴り声を受けていると、「来年も、俺が見に来りゃ済む話だ」と強く頭を撫でられた。
くしゃくしゃになる髪もそのままに、呆けたままでいると「それとも、これで最後だとでも思ってたのか?」と困ったような寂しいような苦笑いを浮かべる。

「あと少しで卒業ですよ」
「寂しいこと言うなよ」
「どうして先輩が寂しいんですか。置いてくのは、先輩の方なのに」
「そりゃ、卒業は年の順だし仕方ねぇだろ」
「そうですね、それは仕方ありません。だから卒業したらこのこともすぐに忘れてしまいますよ。それも仕方のないことです」

だから寂しいのは、残された方だけだ。
思い出を追いかけるのも、残された方だけ。
簡単に言わないでほしい、と恨み言を連ねることくらいは許されるだろうか。
残される身はいつだって、残していく者の言葉を信じてしまうから。
一緒に見てくれると信じた先にある自分の姿は、簡単に想像がついてしまう。
冬になり山の頂が白く染まれば、そろそろ来てくれるだろうかと心を躍らせ、冬が深くなると共に白さも深くなれば、忙しいのだろうかと不安になり、春が訪れ雪が消えれば、どうして来てくれなかったのかと嘆く様を。
そうなれば、私はきっとあなたを恨む。
勝手に信じた自分を恨む。
そしてあの景色を、もう二度と見ることはしないだろう。
去るのなら、あなた1人で去ってほしい。
大切な思い出までも連れ去らないで、と瞳を伏せれば「なぁ知ってるか?」といつか見た景色と重なった。

「来年も、こうしてお前とこの景色を見ていたいと思ってるって」

知ってたらそんな寂しいこと言わねぇか、と困った風に笑うのは些か卑怯だろう。
ぎりぎりのところで押さえ込んでいた本音は、簡単に口を突いて出た。

「来年だけならいりません」

その先をも言ってくれなきゃ頷けません、と続ければ驚きで目を見開かれると思っていた反応は、少しばかり予想を裏切る。
一歩大きく踏み込まれた間合いに驚きで目を見開いたのは、私。
躊躇が生まれた間にすっぽりと温もりに包みこまれてしまっては、もう何も言えはしなかった。
浮かぶ涙を堪え、手を伸ばさなくても届く距離にある背中をただ必死にしがみ付くように握り締めれば、「ずっと、な」と耳元で熱が震える。
その言葉に、私はようやく頷いた。

「信じて、いいんですか」
「頷いてからそれはなしだろ」
「だって、待つだけ待って肩すかし食らったら私、きっと立ち直れない」

信じていますと言えたらいいのに。
それが言えたら可愛い女だと思ってもらえるのに。
それでも喉から溢れる不安を塞き止める術も持たず、縋るように体を預けることしかできない私に幻滅されてしまったかもしれない。
そんな恐ろしさから瞼を伏せれば、「お前ばっかが不安がってるわけじゃない」と体全体から声が響いた。

「俺だってな、落第ぐらいしてもいいいかって思うくらいには恐がってんだ。お前だけじゃない」
「でも、」
「大丈夫」
「…でも、」
「大丈夫だ」

な?と優しく訪ねる表情は見えない。
けれど背中を撫でる掌が、震える声が、肩越しに見える白く色を染める山が、あまりにも美しく感じてしまったなら、これ以上何も求められるはずもない。
なんて適当な、と思ってしまう物言いでも、この人なら本当に何とかすることを私は知っているじゃないか。
だったら、答えはずっと前から決まっている。

「先輩。私、あの日先輩が私をここへ連れて来てくれた時から何もかもが特別になったんです」

だから今までのあなたとの日々も、これからのあなたを想う時間も何もかもが変わらずに特別なのだろう。
頬を伝う冷たさと惜しみなく抱き締められる力強さに、ただ全てを預けた。

(title by 誰花)

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