※『はじめに君ありき』の続きです。





「私服姿見るのって、何か新鮮だなァ」
「あんまりじろじろ見ないでよ…」

待ち合わせ場所に先に佇んでいた彼女に、「やぁ、早いネ」と軽く手を掲げれば、僅かながらに視線を反らされた。
初めてのデートと言えば、もっと浮かれた気分で楽しむものだと思うのだけれど。
あんまり居心地悪そうに隣りを歩くので、「どうかした?」と尋ねてみると、何かを言うか言わないか思案するように口元をもごもごとまごつかせた。

「まだ、実感が追い付いてなくて」

左に右に、きょろきょろと泳がされる瞳は、照れ隠しと言うよりは困惑を示しているように感じた。
そして彼女がまるで警戒している猫のように注意深くなっているのは、まさしく俺が原因なのだろう。



俺を好きだと言う女の子がいた。
地域の振り分けで決まる小学校と中学校、その道筋を同じように辿って来た子だった。
だから帰り道が重なることは俺たちにとって珍しいことでも何でもなく、一緒に帰る?の一言もなしに顔を見かければ自然と肩が並ぶ、そんな間柄だ。
だからその日も、お互いひとりだったことも手伝ってごく当たり前に、肩を並べて歩く帰路の途中。
何気ない話をぴたりと止め、思いつめたように口火を切った彼女の言葉が、それからの俺たちを変えるきっかけとなった。

「私、トキワが好きだよ」

それから何度も、彼女からそう言われることになるのだけれど。
その頃の俺はもちろん、そんな未来があることなんて知るはずもなくて。
初めてそう告げられた時は、正直少し残念に思った。
男女間の友情がどうの、なんて話を良く耳にするけれど、世の中では希少とされているそれを彼女とは築けているという自負と、これからもそんな関係でいられると良いとどこかで思っていたからだ。
ああ、この子もか。
そんな想いが表情に出ていたのだろう。
まだ一言も発していない俺に、彼女は既に答えを聞き届けたように睫毛を伏せていた。

「ごめんネ」

そんな便利な一言だけを残して、彼女に背を向けた。
色恋沙汰の騒動が起これば、今までどおりではいられない。
そう思っていたけれど、意外にも彼女の態度はあまりにもいつもどおりで、あの帰り道の出来事が嘘だったように当たり前の日常が転がっていた。
だから、どこかで安心した。
良かった、と安堵した。
気の迷いだったのかもしれない、と随分失礼なことも考えていた。
俺の都合の良い解釈は、中学の卒業式の日に覆されるのだけれど。
再び伝えられた彼女の想いを聞いて、ようやく俺はことの重大さを知ることになる。

トータル3回、同じことを繰り返した。
同じこと、というのは彼女から告白を受けて俺が断わるという流れだ。
この繰り返しをしている間、俺と彼女は何ら変わりなく良き友人関係を続けていたし、何度も思いの丈を伝えられるなんてもちろん考えてもいなくて、これだけ粘られるなんてことももちろん思っていなかった。
でも繰り返す中で、自分の中で何かが動いて行く気配も感じてはいた。
だけどそれを素直に受け止められなかったのは、一度目の時に安堵した自分をなかったことにはできなかったことと、目まぐるしい変化を遂げる目の前のことに精一杯だったから。
と、それらしい理由がいくつも作ることができたからだ。
簡単に言えば、いくらでも逃げられた。
だから目を反らしていたけれど、同時にそうすることが密かに宿った気配を何よりも肯定していることにもなる。
何度も彼女の想いを無碍にしておいて、今更すぎる話だ。
何気ない日常を重ねながら、確かに胸の内に芽吹いたものは勝手に育って行くけれど、その頃にはもう関わりと呼べるものは存在していなかった。
時々顔を出す中学時代の集まりにも彼女の姿はなく、最近は誘っても断られるばかりだと誰かが言っていた。
高校に上がりたての頃は、当たり前のように彼女の姿があったのだけれど。
それでも女子同士の会合には顔を出しているらしく、元気にしているという話は人づてに確認できていた。
だったらそれでいい、そう思っていたはずなのに、あの日「誰か女の子呼べよー!」と良く耳にする言葉にふと、思い浮かんだ顔が全てだった。
これじゃもう、どんな言い訳も敵わない。
考え込めばそうしない理由ばかりを作り出す頭を振り切って、自分に弁解させないよう考えるより先に手を動かす。
そうして、ダメ元で彼女を誘った時から止まっていたふたりの間に流れる時間が、動き出した。
帰り道に彼女が溜め込んでいたものを吐き出すように俺にぶつけた言葉は、この世のどんな言葉よりも響いたのだ。
だから、手を繋いだ。
言葉では安っぽいものしか伝えられないから、だけどどうにか伝わればと親切心で差し出された手を握り締めた。
きっと、色々言いたいこともあっただろう。
聞きたいこともあっただろう。
それでも彼女は、何も言わず何も聞かず。
ただその手を握り返してくれた。
散々伝えられた気持ちを知らぬ振りをした俺すらも、彼女は許してしまうのだ。
それに甘えて結局、言葉では何ひとつ伝えられず仕舞いなわけで、その結果がこれなわけで、流石に良しとはできないわけで。
今度は俺が、踏ん張る番なのだろう。



「今までは、色恋沙汰って正直面倒だったんだよネ」
「どうしたの、急に」
「相手の時間を取っちゃってるような感覚っていうか、一緒にいて楽しいって言うよりそっちの方が気になっちゃって申し訳ないっていうのかな」
「ちょっと、分かる気はする」

相手がいる以上、少なくとも自分のことばかりではいられない。
メールをしなくちゃいけないのか、電話をするべきなのか、こんなことまで話すべきなのか、そういうことを考える必要性を含めて自分の時間が取られていくことが何より苦手だ。
それに、ふたりで出かけるとなるとそれが更に顕著になる。
大して興味もないことに付き合せて悪いな、とも思えば、あんまり興味ないんだけど、と思うこともあるからだ。
多分、そういうことには向いていない性格なのだと思う。
俺自身が自分の時間を不本意に削られることを良しとできないからこそ、相手もそうだろうと思ってしまう。
だからずっと、その手のことは遠ざけていたのだけれど。

「勝手な話だけどサ。自分から約束したり約束してからこんなに楽しみだったの、初めてなんだ」

自分で自分が分からなくなることさえも、初めてだった。
いつもはどれだけ熱くなっても、冷静な自分がどこかで客観的に物事を見ているのに。
こればっかりは、どうにもいつもどおりとはさせてもらえないらしい。

「楽しみ、だったの?」
「もちろん。今もちょっと緊張してるしネ」
「そうは見えないけど…」

包み隠さず本音のままを語っても、隣りからは訝しい瞳が覗き込む。
いつものトキワだよ、と上目遣いに探る視線を注がれながら、思わず伸びた指先を律しては空々しく軌道を描いた。
まったく、何をしようとしているんだか。
あの夜から滲み出る欲を持て余しつつ、それでも君に触れたいと思っているなんて、虫が良すぎると叱られそうだけれど。

「俺は直球勝負が苦手でサ。でも、君の時間を取っちゃっても一緒にいたいなァって思ってるんだ」

言葉にしてみれば些細なものでも、今までの自分を覆す感覚を受け入れるには覚悟と時間が必要だろう。
だけど時間は、もう十分すぎるほど取ってしまったから。
その一歩を今、踏み出したいんだ。

「ずっと言いそびれてたけど、」

恰好をつけ、何とか言葉を並べることでしか今はまだ彼女を繋ぎとめる方法を知らない俺は、やっぱり必死に言葉を探している。
そうして考えている間にも、彼女は易々と俺の先へと進んでしまうのだ。
予想なんて簡単に飛び越えて、俺の悩みなど何のそのとばかりに、自分の想いを決して飾らない。
背中が好きだと、言ってくれた。
随分みっともないところばかり見せているのに、それでも尚も俺が好きだと、言ってくれた。
思えばいつも、濁りのない真っ直ぐな気持ちに敵ったことなどなかったっけ。
心が動かされる瞬間は、何も劇的である必要はないのだ。
積み重ね、繰り返し、その中で植えられた種は確かに芽吹いているのだから。


「ありがとう」


俺を見つけてくれて、諦めないでくれて、今隣りにいてくれて―――
頭に付けたい言葉を探すとキリがない。
たったその一言だけで、今までを清算できるとも、思っていない。
散々突き付けてきた『ごめんネ』よりずっと、言わなければならなかった言葉を、言いたかったはずの言葉をようやく、声に乗せることができた。
彼女にとってはあまりに脈絡がなかったのか、大きく首を傾げたかと思えば、ぷっと吹き出すように笑い始める。

「あーあ。またごめんとか言ってきたら、今度こそその顔引っ叩いてやろうと思ってたのに」
「おっかないなァ」
「今までのことなんて、どうだっていいんだよ」

何に対してか、それを何となく察している口調で彼女はそう言うと、左小指と薬指がたどたどしく握られた。
そのまま一気に攫ってくれてもいいのに。
遠慮がちなその仕草が一層胸をざわつかせ、駆り立てさせる。
そのまま中指、人差し指を彼女の指の間に滑り込ませ、開かれた掌に自分のそれを合わせた。
絡め合う指同士が交差する。
二度目の、体温の交換。
ひんやりと冷たさを宿した指先が、俺の手の甲に巻き付いていた。

「今こうしてくれてることが全部、でしょ」

似合わないことしなくていいよ、と微笑み彼女はやっぱり俺の予想を飛び越えてしまうのだ。
どこかで、これまでを取り返さなくてはと焦っていたのかもしれない。
そんな俺の拙さを見抜いた彼女は今までよりも今を、選んだ指し示してくれたのだろう。
だったら俺ができることは、今までを振り返るのではなくこれからのふたりの在り方を望むことだ。
睫毛を伏せた切なげな表情ではなく、大きく口を開けて朗らかに笑う彼女が隣りにいてくれるように。
想像した少し先の未来に想いを馳せて、ふと笑みが零れ落ちた。
自然と湧き上がる感情は、心を柔らかく掻き毟っていくようにひとつ、またひとつとひどく穏やかな傷を作っていく。

「そう言ってくれる割には、余所余所しくなかったかい?」
「それはー…」
「うん?」
「緊張もしてたけど服とか、変じゃないかなって心配してて」
「え、何で?可愛いのに」
「かっ…!?」
「うん、可愛くてびっくりした」
「…何でそういうことさらっと言えちゃうかなぁ」
「思ったことはちゃんと言わないとネ」
「ああ、そう」
「気に入らなかった?」
「そんなわけないでしょ。嬉しいに、決まってる」
「うん。なら良かった」
「それで、今日はどこ行くの?」
「あー、特にどこってことはないんだけど」
「え?行きたいところがあったから誘ってくれたんじゃないの?」
「理由がないと一緒にいられない関係じゃ、もうないだろ?」

これは言っていて少しばかり恥ずかしいので、口元を手で覆いながら視線を斜め上へと流す。
すると狙ったようにサンダルを履いた足がつんのめったので、慌てて身体を支えれば桃色に染まった頬が俯けられた。
ああ、困った。

愛しいなァ。

ばつが悪そうに体勢を整えた彼女は余韻が後を引いているのか、いまだオロオロと狼狽えた様子をありありと見せた。

「少しは実感湧いた?」
「おかげさまで…」
「顔と言葉が全然違うヨ」
「そりゃびっくりしたんだもん」
「だっていつまでも友達の延長線じゃ俺が困るしネ」
「…困るの?」
「困るヨ。彼氏と彼女だからできることだって、色々あるでしょ」

耳まで真っ赤に彩る顔を覗き込んで、予想通りの反応に声を上げて笑う。
今はこれくらいで勘弁してあげよう、という意は汲み取られたらしく、些か安堵をほのめかせながら落ち合った頃より無言になってしまった彼女だけれど、今は不思議と焦りはなかった。
自分のためだけに時間を使えなくなること、そしてその時間を彼女に注ぐこと、そんな覚悟はあの夜、とうに腹を括った。
長期戦だって望むところだ。
ふたりの間に流れる違いをひとつひとつ埋めながら、ゆっくりで良い。
俺と君の距離や感覚、そして想いの歩幅を合わせていこう。
君が俺に、ずっとそうしてくれたように。
教えて、くれたように。



(title by 誰花)