「しゃがみ込んで何をしているんだ」
「あ、高坂。おかえり」

ザァザァと流れるように降る雨を眺めていると、任務でしばらく留守にしていた高坂が呆れた様子で見下ろしていた。
本降りになる前に帰って来たのだろうか。
濡れ鼠にはなっていない高坂に「報告は終わったの?」と問えば、「たった今な」と一息つくように溜息を漏らした。
流石に疲れを滲ませている姿を見上げると、「で、何をしている」と会話が振り出しに戻された。

「雨が強くなってきたなぁって、それだけ」
「あんたに情緒を感じる素養があったとはな」
「失礼ね。私だって綺麗なものは綺麗って思うし、めでたいことはめでたいって思うわよ」

遠慮なく軽口を叩いていた高坂の顔が、不意に強張る。

「縁談、上手くまとまったんだってね。おめでとう」

世間話の何気ない流れの中で突いたものは、間違いなく核心だったのだろう。
どこでそれを、という表情を隠し切れていないあたり余程驚いているらしい。
分かり易いことこの上ない反応を見せる高坂に、「相変わらず隠し事が下手なこと」と言えば観念したように私の隣へ腰を下ろした。

「隠していたわけじゃない。はっきりまとまってから言うつもりだっただけだ」
「別に私に言い訳しなくてもいいと思うけど」
「あんたはいつもそうだな。自分からはズカズカと踏み込んでくるくせに、こっちから近付くとすぐはぐらかす」

劈くような雨音が、雨の激しさを物語る。
いつもはピンと張っている草木でさえ、静かにしな垂れる以外に術はない程の力強さに甘え、最後の言葉は聞こえない振りを通した。
そんな私の身勝手は、高坂には随分と慣れたものなのだろう。
返事がないことに怒ることも、催促することもない。
程良い湿り気が空気を満たし、私たちの肺をも満たすけれど、何かが足りない感覚を覚えるのもまた、随分と身勝手な話だ。

「今日は一日降りそうね」

膝の上に肘を置き、顎を掌の上に預けて空を見上げながら想いを馳せる。
煩いのに静かで、静かなのに煩い。
不思議な空間の中で確かに隣り合う存在を当たり前に感じていられるのも、あと少しなのだと実感する。
子供が大きくなるように、大人になった私たちもこうして音を立てず静かに変わっていくのだろう。
高坂が体の隣へ手を置き、体勢を崩す。
それに倣うように私も、膝の上の肘を伸ばして掌を床に落とした。

「こんな天気だと、うっかり言うべきでないことでも言ってしまいそうだな」
「そう?別に天気は関係ないと思うけど」
「あんたは気まますぎるんだ」
「はいはい。で、うっかり言うべきでないことって?」
「もし、私と共に生きてくれと言ったらどうする?なんて馬鹿げた話とかな」

世間話の延長線。
あんたでもそんなこと言うのね、と笑う準備ならできていたはずなのに。
ゆっくりと手繰り寄せる視線の先には、冗談の嫌いな男が1人静かに佇む。
それはうっかり言い過ぎだろうとどこかで考えられるくらいには、冷静だ。
冷静なら、答えは間違えない。
瞼を伏せ、落ちる髪をかき上げ、この豪雨に掻き消されないように言った。

「迷わず高坂の手を取るよ」

かき上げた髪を耳にかける。
露わになった横顔で視線だけを高坂へ向ければ、呆気に取られた情けない顔に思わず笑みが綻んだ。

「そんなに簡単に言うやつがあるか」
「重ね重ね失礼ね。簡単じゃないわよ。縁談がまとまった高坂家の男たぶらかして、お世話になった何もかもを裏切るんだから。殿や組頭に恥をかかせることになるのも承知の上」
「逃げ出せるつもりでいることに呆れるな」
「あら、あんたと私ならそれくらいはできると思うけど?」

でしょ?と得意気に尋ねれば、返事はないけれど表情は満更でもないようで、澄ました顔して分かりやすいのは昔からだと懐かしむ。
小さかった頃の姿を、成長しきった隣に座る姿に重ねても面影は色濃く残っていた。
どちらが雑渡様に褒めてもらえるか、なんて今考えると恥ずかしいことで良く肩肘を張り合っていたことまでもが懐かしい。
思い出に細めた瞳に、変わらない黒く真っ直ぐな視線が絡まった。

「逃げ出せたとしても、追われる身だな」

それでも、私の手を取ると言うのか。
続けられた言葉を告げる声色は、様々な感情が詰め込まれているように感じた。
だから、野暮な言葉での返事はしない。
ふと漏らした笑みにその答えを乗せれば、高坂がひどく切なげに瞳を横へと反らす。

「私たちが抜けたとなると、流石に組頭直々に動かれるかな」
「それはそれで光栄だが、」
「とても悲しませてしまうだろうね」
「それを分かっていて共に行くと言うとは思わなかった」
「今の高坂が、『もしも』の話以外でそう言わないことを知ってるもの」
「…相変わらず癪に障る女だな」
「じゃぁ私からも言わせてもらうけど、どうして縁談がまとまる前に言わなかったの?それなら話がややこしくならずに済んだのに」
「あんたが、『もしも』の話以外でそう言わないことを知ってるからだ」
「分からないよ?」
「分かるさ。何年の付き合いだと思ってる」
「…数えるのも億劫になるくらい、かな」
「高坂に嫁げば子を産まなければならない。そうなればあんたはくの一ではいられなくなる。それはあんたが一番恐れている、組頭のお役に立てなくなるということだ」
「あんたも大概、嫌な男ね」

だからこれは、『もしも』の話。
私たちがあの方に出会っていなければ、その『もしも』は姿を現したかもしれない。
けれど私たちはあの方に出会い、あの方を慕い、あの方のために生きることを決めた。
例えそれがあの方の願い、望みとかけ離れたものだとしても、高坂も私もその根幹を為すものだけは譲れないのだろう。
あの方以上に優先すべきものなど、何もありはしない。
それが私と高坂を繋ぐ絶対なのだ。
だからこそ、私たちはここで行く先を違えることを選んだ。
それだけの話。

「お嫁さん、大切にするんだよ」
「当たり前だ」
「まぁ高坂は恐いくらい一途だから、その点は安心かな」
「うるさい」
「子どもが生まれたら時々は抱っこさせてね」
「考えておく」
「幸せに、生きて」
「それはあんたもだろ?」

一定の距離を保ち、座ったまま顔を見合わせる。
どちらかが動けば触れ合うであろう距離にある指先は、お互いの温もりをとうとう知ることはなかった。
共に生きてくれるか、と高坂は言った。
このタソガレドキで生き、同じ人を慕い、互いのその想いを信じた時からとっくにその手を取っているのに、と思ったことは私だけの秘め事にしよう。
例え熱を分け合うように手を握り合うことができなくても、今、この瞬間、降りしきる雨の中で重なったものを、私は生涯忘れはしないだろう。
雨はまだ、降り続く。
劈くような雨音が世界の音を掻き消している今だけは、どうかあと少し、このままで。


(title by 誰花)

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