真っ赤な造花を胸に、微笑みながら花束を抱える姿が瞼に焼き付いて離れない。
それと同時に、もうここにはいないという現実だけが虚しく響く。
そんな実感だけを残して、変わらない日常が今日も当たり前に続いていた。
この学校ではもうあの後ろ姿を、振り返る時の笑顔を、見つけることはできない。



「おっまえ、すげー荷物だな。全部誕生日のかよ」
「見よ。これが人徳の成せる業よ」

紙袋を両手いっぱいに抱えて歩く、放課後の廊下。
既に練習着に着替えている田中は私を見付けるなり、感嘆混じりに顔を覗き込ませた。
見せびらかすように得意気な表情を浮かべると、「そういうところが、お前の悪いところだと思う」なんて随分冷静な切り替えしに、すっかり話の腰を折られてしまう。

「おーい龍!何してんだよ、置いてくぞー!」

真面目な返事もおどけた返しも、何だか面倒臭くなった頃。
曲がり角からひょいと顔を出したノヤっさんは、私たちに気付くなり軽快な足取りで近付いた。
うおっ!すげー量だな!誕生日のか?と、どこかのハゲと同じ反応を示すので、もう一度顔を作り上げる。

「見なさい、ノヤっさん。これが人徳というものです」
「そーだよなぁ。お前が好かれてっから、そんだけプレゼントもらえんだよなぁ。良い誕生日じゃねーか!」

キラキラと輝かしい笑顔を浮かべながら、全く手加減を加えられない張り手がひとつ背中を襲うけれど、流石はノヤっさんである。
どこかのハゲとは違って、何とも素晴らしい切り替えしではないか。
背中が焼けるように熱く、ジンジンと痛みを訴えるけれど、今日はこれに免じて許してやろうと思えるほど、気分が上昇した。

「ほら、こういうのが正しい反応だよ。見習いたまえ、田中ハゲ之介」
「やっぱそういうところが、悪いところだと思うぞ」
「ってかこんなところで油売ってて良いの?ノヤっさん、田中のこと迎えに来たんでしょ?」
「おっとそうだった!もうみんな集合してんぞ。俺らも急がねーと!」
「はいはい、それじゃ部活頑張っておいでー」
「お前も気を付けて帰れよー。あと、ちゃんといつもの道通って帰れよな!」
「は?何言ってんの田中」
「今日はまだ終わってねーぞ!じゃーな!」
「ちょっ、ノヤっさん!?」

言いたいことだけを言って、さっさと走り去ったふたつの影を見送れば、途端に静かな空気が囲む。
確かに、良い誕生日だった。
友達からも、クラスメイトからも、たくさん『おめでとう』とプレゼントをもらって、何の不満があると言うのか。
全く不満はありませんよ、とても素敵な誕生日でした。
両手にぶら下げた紙袋の数々を眺めながら、そんなことを愚痴る時点で物足りなさを感じているのは明白なのだけれど。
それを言ってしまうのは、とても我が儘な気がしてならない。
だから、誰にも言わない。
踵を鳴らし、明るい空の下へ足を踏み出した。

「日が長くなったなぁ」

ひとり、ぼやいた言葉はいまだ薄っすらと白い形になって滲む。
まだ寒さが残る風が容赦なく肌を突く中で、マフラーに顔を埋めて赤い鼻先を隠すように歩いた。
そう言えば、去年の今頃は嬉しいハプニングに見舞われていた頃だろうか。
田中とノヤっさんがしつこく「おめでとー!爆誕記念日!」などと言いながら、私の周りをふたりでくるくる回るという、トチ狂った祝い方をされていた。
そういうところが、あんたたちの悪いところだと思う。
確か去年は私がそう言ったのだ。
鬱陶しいことこの上ないと思いつつ、あのふたりにとっては手持ちのない中懸命に考えてくれた祝福の方法だということは分かっていたので、突き刺さる好奇の眼差しに耐え忍びながらとりあえず、ふたりの気が済むのを待っていた。
何よりあの頃は、バレー部が少しギスギスしていた時期でもある。
ノヤっさんに至っては、しばらくの部活に参加することを許されていなかった。
そんな中、たかだか私の誕生日に想いを注いでくれたのだから、若干引き気味なのを差し引いても嬉しさが勝っていた。
どうもどうも、なんて口先ではひどくぶっきら棒な物言いしかできなかったけれど、とても嬉しかったのだ。
このわけの分からない儀式のような見世物も、気付けば私の腹筋を刺激し始め、最終的には三人でお腹を抱えて笑っていた。
爆誕って何だ、一体私がどんな誕生の仕方をしたと思っているのか。
しょうもないことがひどくおかしくて、ゲラゲラと笑い転げていた頃。
呆れた顔で私たちを見下ろす人影に、三人とも血の気が引いていたと思う。

「す、スガさん…!」
「これは、その、今日こいつの誕生日でして…ちょっとしたセレモニー的な」

あたふたと慌てて言い訳を並べるふたりの姿にひっそりと、私は身を隠していた。
何が嬉しくて、好きな人にあんなトチ狂った儀式に喜び勇んで参加している姿を見せなければならないのか。
嬉しさはぐんぐんと熱を引き、あとは後悔だけが駆け巡る。
いっそ殺してくれ。
誕生日が命日というのは些か不本意ではあるけれど、完全にドン引きされた状態で日々を生き抜く覚悟など私にはない。
頭を抱えながらそんなことを考えていると、田中とノヤっさんを分け入ってスガさんは簡単に私を見つけてしまった。

「今日、誕生日ってホント?」
「はぁ…まぁ、一応」
「そーかそーか。おめでとう!良い一年になるといいな」

そう言って、くしゃりと私の頭を撫でたスガさんは、そのまま田中を引きずって何事もなかったように去って行った。
もちろん私はしばらく何が起こったのか理解できなくて、ぼんやりと頭を押さえていたのだけれど。
見兼ねたノヤっさんが一から十まで、あのトチ狂った儀式の始まりから、スガさんの登場、果ては私の頭を撫でるまでの一部始終を再現してくれるという懇切丁寧な解説を経て、自分の身に降りかかった幸福に顔を真っ赤にしてしまったのだ。
私にとって少しだけ、特別な誕生日になった瞬間だった。
そんな身の程を大きく超えた出来事があるせいか、やはり思い出さずにはいられない。
今年はどう足掻いたって、スガさんから何か言葉をもらえることはないと分かりきっているのだけれど。
もし、私があと少し、もう少しだけ早く生まれていれば、あと数日誕生日が早ければ、と考えても仕方ないことがどうしても、頭を過ってしまう。
努めて考えないようにとすればするほど、それは考えていることと同義なわけで。
ふぅ、と深呼吸とも溜息とも分からない白い息が広がった。
非生産的なことに頭をもたげていると、丁度分かれ道に差し掛かる。
ふと、田中が最後に言い残した言葉を思い出した。

ちゃんといつもの道通って帰れよな!

どちらも我が家に続く道ではあるけれど、右に行けば最短ルート、左に行けば回り道なのだ。
基本的には右に進む。
けれど、考え事をしていたり歩きたい気分の時は左に進む。
そんな私の癖を知っている田中だから、わざわざあんなことを言ったのだろう。
気分的には左を選びたいところを、田中の言い分とあとは両手の荷物を鑑みて、今日は素直に真っ直ぐ帰ろうと右の道を選んだ。
そのまましばらく歩いていると、ガードレールにもたれるシルエットが視界の片隅に入る。
こんなところで立ち止まってる人なんて、そうそう見かけはしない。
田舎の道だ、人通りだってそう多くはない。
声なんてかけられようものなら、きっとろくなことにはならないと思い、顔を伏せ意識的に歩調を速めて立ち去ろうとすると、「おーい」なんて間延びした声と共に荷物で塞がった腕を握られた。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!金目のものはありません!ただの女子高生です!」

気付けばそんなことを口走りつつ、身を屈めて腕に力を込めていた。
しばらく落ちた沈黙に、あれ?と恐る恐る視線を上げる。
腕は掴まれたまま、それでもふるふると震えている目の前の身体に、ようやく顔を覗き込めば、良く見知った顔が笑みを噛み殺そうとしていた。

「す、スガさん…?」
「いや、ごめん。そこまで驚かれると思ってなくて。っつーかすげー早口…しかもただの女子高生ですって…あ、ごめっ、もう無理!」

ぽかんと口を開けて呆気に取られている私とは裏腹に、スガさんは目に涙を浮かべながらケタケタと大笑いを見せる。
何で、とようやく口を突いた私に、「何でって、今日誕生日だろ?」と息も絶え絶えな口調で、さも当たり前のようにそう言い退けた。

「覚えててくれてたんですか」
「そりゃ、去年あんな儀式見せられて忘れろってのが無理だってー」
「あれは…まぁ、そうですけど」
「今年はさ、俺も卒業しちゃって学校じゃ会えないし。ちょっと反則技使っちゃったんだけど」

ようやく笑いが治まったのか、携帯を片手に微笑む顔は私の知るスガさんで、私が好きになったスガさんで。
唐突な再会に喜んで良いのか、反則技について問うべきか、見事に頭の中はパニックだった。

「この道通れって、田中か西谷に言われなかった?」
「言われました」
「それ頼んだの俺なんだ」
「…何でまた」
「そうでもしないと、今はおめでとうも言えないんだもんなぁ」

参るよね、と眉を下げたスガさんに参ってしまったのは私の方だけれど、「持つよ」と半ば奪われるように右腕の重みを連れ去って、当たり前のように隣りに並ぶ肩が、スガさんが、いまだに信じられないままだった。
だって、そうだろう。
卒業して、会うこともないと信じて疑わなかった。
それなのに卒業の日に見送ったはずの姿が、こともなげに隣りを歩いているなんて。
頭の整理が追い付かないまま進む帰路で、少し前を歩くスガさんは「あ、そうだ」と不意に立ち止まる。
つられて私の足もぴたりと止まった。

「誕生日、おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
「まだちゃんと言ってなかったから」
「もう十分、色々もらってしまった気がしますけど」
「え、何が?荷物持っただけじゃん」
「スガさんに会えただけで、もう十分です」

私の誕生日を覚えていてくれた。
おめでとうと、言ってくれた。
これ以上望めることなど何もないほど、物足りなさは綺麗に消えてしまったのだから現金な話だ。
こんなにも嬉しいことはなかった。
わざわざ会いに来てくれるなんて、そんなこと。
ニヤけてしまいそうな顔を見られないように、更にマフラーに埋めた顔を見て、スガさんが笑う。
何笑ってるんですか、と不貞腐れれば、「ごめんごめん」と頭に掌が乗せられた。
何度も、何度も、撫でる指先が髪を絡める。
思わず見開いた目で顔を上げると、スガさんは表情を綻ばせた。

「あんま元気ないって、ふたりから聞いてたんだけど」
「元気ですよ。こんなにプレゼントももらって、ご機嫌です」
「何だよー。寂しがってくれてんのかなって、ちょっと嬉しかったのに」
「ご覧のとおり、こんなにプレゼントをもらえる人徳がありますからね。寂しく思う暇もないですよ。それに、」

ぺらぺらと思ってもない言葉を並べる唇が、止まる。
このままだと言うべきではないことを言ってしまいそうで飲み込んだ言葉なのに、「それに?」とスガさんは催促を促す。
それに、ともう一度だけ紡いだ吐息に瞼を閉じ、冷たい空気を吸い込んだ。

「寂しがれるほど、一緒にいたわけじゃないですし」

漏れた本音は、スガさんの厚意を全て無駄にしてしまうようにふたりから熱を奪って行く。
途端に、やはり言うべきでなかったと後悔が襲うけれど、それももう遅い。
何もかもが遅すぎた。
ゆっくりと開いた瞼に瞳が映すのはきっと、困らせてしまったスガさんだろう。
意を決してちらりと見上げれば、頭に乗ったままの掌がぐしゃぐしゃっと乱雑に髪を撫で、薄っすら頬を染めたスガさんが抜けるような笑顔を浮かべていた。

「ほーら、さっさと荷物置きに帰るべ。あと着替えてから仕切り直しな」
「はい?」
「シャキシャキ歩けよー」
「ちょっ、スガさん!」

すたすたと、迷いなく足を進める背中に慌てて付いて歩く。

「今日のところはおめでとうって言ったら帰るつもりだったけど、気が変わった」
「はぁ…」
「寂しがるほど、一緒にいてやろう」

悪戯少年のように歯を覗かせて笑うから、とても真っ当な感覚ではいられなくて困ってしまう。
寂しいに、決まっている。
でなければ廊下で後ろ姿を探したり、放課後の体育館を気にするはずがない。
当たり前にあったものが、たった一日で姿を変える心細さが寂しさでないとするなら、一体何だと言うのだろうか。

「受け取り損はごめんなんで、責任取ってもらわないと」
「素直じゃないないなぁ。出会った頃の可愛げが懐かしいよ」
「今日のスガさんは、ちょっとだけいつもと違いますね」
「まぁ、たまには悪くないべ?」
「そうですね、好きですよ」

冗談が返って来ると思っていたのか、思ってもみなかったであろう私の言葉にスガさんの表情が止まる。
随分意地悪を言われた仕返しだ。
このくらい、誕生日なのだから許されるだろう。
どう受け止めるべきかを思案する瞳に、ヤケクソが導いた強気を振るった。

「好きです。ピリ辛手羽先の次くらい…ですけど」

ヤケクソだからと言って、強気に出たからと言って、素直になり切れるかはまた別の話なわけで。
ついチャカしてしまう癖は、この人生の一大事でも遺憾なく発揮されてしまった。
それでも、私にしては大きな進歩だと無理矢理納得をすれば、「もしかしてそれって、結構良い線いってる?」なんて些か卑怯な問いかけに、「そういうところが、スガさんの悪いところだと思います」と俯けば、いつも見ていたあの後ろ姿が振り返り、いまだ探してしまうあの笑顔を満開にさせ、優しく柔らかな口調で言葉を紡いだ。

「責任は喜んで取るからさ、まずはピリ辛手羽先には勝たせてよ」

探して、探して、見つからなくて、見つかるはずがないって分かっていても、探さずにはいられなかったものがようやく見つかった気がした。
ほら、と差し出された手に、私は揺るぎない想いを新たにする。
遠慮気味に預けた手は、スガさんのコートのポケットに仕舞われた。
繋がる掌が、温かい。
カサカサと紙袋が擦れる音を響かせながら辿る帰り道は、いつもと同じ景色のはずなのに、どうにも鮮明に感じてしまう。
私の家まであと5分。
とりあえず、それまでには伝えたい。
ピリ辛手羽先どころか、この世界の何よりもとっくに勝っていますよ、と。
さぁ、どうやって素直になろう。
あとはもう何もかも、タイミングを探るばかり。



(水山教祖に捧ぐ)

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
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