「なぁ、見てみろ」
「何を」
「天使たちが羽根を休めているようだ」
「…はい?」
「彼女たちと同じクラスだなんて、オレはツイてる。毎日同じ空気を吸えるなんてこれは運命だ、運命に違いない」

両手を広げ、至極満足気に恍惚な表情を浮かべる男に促されるまま、見渡したのはクラスメイトの女子の集まり。
そしてこの男にとっても、同じくクラスメイトである。
この手の世迷言は今更なので、いちいち突っ込むことも引くことも、今となっては面倒臭い。
適当に、「ハイハイ、ソーデスネ」と返事さえしていれば、あとは勝手にひとりで語りひとりで納得し、ひとりで満足するのだからもはや返事さえ必要ないのかもしれないけれど。
いつもはそうして、森山のひどく残念なポエムを聞き耳も持たずに流すことが常だった。
ただ今日は、今は、思わぬイレギュラーに瞳を丸くしてしまう。

「どうしたの。相手はクラスメイトだよ」
「いやいや、灯台下暗しとは良く言ったものだな。まさしく傍目八目!自分の睫毛は見えない!」

オレとしたことが、愛の狩人失格だ。
などと三文芝居を朝一番、目の前で繰り広げられる私の気持ちも灯台下暗しでは?と思わずにはいられないけれど、兎にも角にもクラスメイトを珍妙なフィルターに通して眺める森山を見るのは、初めてのことだった。



二年から同じクラスのよしみになった森山は、この通り無類の女の子好きだ。
学校の女の子、偶然擦れ違った女の子、試合会場に居合わせた女の子、黄瀬くんのファンの女の子、果てはニュースの画面に一瞬映り込んだ女の子まで、この男にとっては等しく運命を感じるこの世の天使たちらしい。
ここだけを見ればどうしようもないアホな節操なしなのだけれど、いや、アホな節操なしに変わりはないのだけれど、この男なりに最低限のルールが設けられていることはあまり知られていない。
それは、クラスメイトをあの残念なポエムの餌食にはしないということ。
うんざりするような痒い言葉は、うんざりするほど聞かされてきた。
けれど一度も、クラスメイトの名前が挙げられたことはない。
恐らく、森山なりの配慮なのだと思う。
同じ教室で、一年間嫌でも顔を合わせるのだ。
良好な関係を築き続けるために、クラスメイトに至ってはその珍妙なフィルターを通して見ないというのが、この男なりのケジメなのだろう。
今日も可愛いなぁ、髪切って更に良さが増した、化粧なんてしなくても十分なのに。
その程度のことは世間話のついでにちらほらと耳にするけれど、私が聞く限り彼女たちを“天使”などと揶揄することはなかった。
徹底している、と感じるほどに。
そんな森山が今日、今、クラスメイトたちをそう指したというのは、驚くに値する出来事だろう。
私としては、そこそこ評価していたのだ。
クラスメイトに対して、あのむず痒い言葉を並べないその姿勢を。
だからこそ少し残念に思うと同時に、クラスメイトを眩しく見つめるその瞳に結局私は映らないという事実が、“私もクラスメイトだし”と自分を励まし続けてきたなけなしのプライドを簡単に崩してくれた。
おかげで授業は身に入らず、普段は楽しい昼休みも何をしていたかの記憶はない。
ぼんやりと今日という一日の終わりを待つように、佇むだけだった。
震える瞼は寒さのせい。
誰に対してかも分からない言い訳を盾に、悴む指先を擦り合わせた。

「どうした?帰らないのか」
「や、帰るけど」

終礼が終わり、さっさと帰らず珍しく居座っている私に森山が顔を覗き込む。

「そう言えば今日はずっと大人しかったな。具合でも悪いのか?」
「カイロ」
「カイロ?」
「うん。カイロ、持ってくるの忘れちゃって。ずっと寒くてさ」

咄嗟に口を突いた言い訳にしては上出来すぎた。
事実、寝坊して慌てていたせいでカイロは部屋に置き忘れてしまい、今日は一日指先が冷えて仕方なかった。
赤く染まり、じんじんと脈打つそれに息を吹きかける。
瞬間温かみを感じるものの、すぐに外気の冷たさに負けてしまった。
それを何度か繰り返しながら、「しんどいとかじゃないから大丈夫だよ」と告げれば、少し安堵したような、ほっとしたような、そんな表情が無駄に整った顔を彩った。

「いつもならすぐに帰るのに、寒くて帰るが億劫だから避難してるってわけか」
「そうそう」
「ったく…そうならそうと早く言えよ」
「カイロ忘れたって宣言するのもどうなの」
「購買にも売ってるだろ」
「そうなんだけどさ。何か悔しくない?家に買い溜めしてるのに割高で買うって、負けた気分になるっていうか」
「寒くて帰れない時点で負けてると思うぞ」
「それは言わないでよー」

冷たい机にうつ伏せて、恨めしく見上げた森山はさっきまでの柔らかい表情をどこかに置いて来たように、呆れたと言いたげに溜息を吐いた。

「心配して損した」

心配?何の?
そう尋ねようとして、ああ体調のことかと納得する。
良く言うよ。
鼻の下伸ばして、隣りの席の子にあれやこれやと話しかけていたくせに。
いつもなら待ってましたとばかりに帰る私が、珍しく居残っているを奇妙に思っていただけのくせに。
あんたにとって私はもう、クラスメイトですらないくせに。
爪弾きに、したくせに。
再び震える瞼を閉じて、もうさっさと行ってくれよと心の中で悪態を吐く。
けれど森山が離れる気配を感じるどころか、何かが頭の上に置かれた感覚に顔を上げた。
ぽたり、と机に落ちる温かい塊。
恐る恐る伸ばした指先でそれを拾い上げると、「やるよ」と短い言葉が落ちて来た。

「オレの使いさしだけど。帰るまでは保つだろ」
「でも、あんたが寒いじゃん」
「今から身体動かすから平気」
「…ありがとう」
「珍しく素直だな。明日何降らせる気だ?」
「あんたの脳天目がけて槍が落ちてくることを祈ってるよ」

森山からの施しを握り締め、顔を伏せた私にクツクツと漏らされる笑みが響く。

「何笑ってんの」
「いや、やっぱお前はそうじゃないとオレも調子狂うなって」

だから具合悪いとかじゃなくて良かったよ、と数回私の頭を撫でた森山は、何事もなかったようにそのまま教室を出て行った。
私のことなんて、何とも思ってないくせに。
私のことは天使だなんて、言ってくれないくせに。
最後の最後に落とされたもののせいで、今日一日の鬱憤が悔しいほど綺麗に溶けていく。
これではまるで、特別扱いされてると勘違いしてしまいそうだ。
もう一度うつ伏せた机は、やっぱり冷たいけれど火照る頬には気持ち良い。
いつまで経ってもやって来ない私を迎えに来た友達は、「もう帰るよ」と身体を揺すった。

「購買寄って良い?」
「コンビニで良くない?」
「や、それだと間に合わないって言うか」

どういうこと?と首を傾げながらも渋々了解を出してくれたので、急いで取り出した付箋に筆箱から探り当てたペンで走り書きを済ませる。
もちろん色は、青。
森山が誇りをかけている色だ。

「何書いてんの?」
「ちょっとね」

興味津々に覗き込む友達への返事もそこそこに、鞄を握って教室を後にした。
途端に寒さに襲われるけれど、私の指先は温かい。
この温もりを、森山も同じく感じていたのだと思うだけで顔が綻んだ。
冬の寒さだろうと南極の吹雪だろうと、今なら何でも受けて立てる気がする。
天使と呼ばれ彼の瞳を釘付けにする数多の女の子たちと、カイロひとつを手渡された私とでは、果たしてどちらが勝っているのだろうか。
仰々しい言葉を並べて祀り上げるように、まるで神聖なもののように扱われる彼女たちの特別と、それを延々と朝から聞かせられる私の特別は、森山のヒエラルキーではどの位置に宛がわれているのだろうか。
考え出せば、きりがない。
だから私はもう、“天使”なんて呼んでもらえなくても構わない。
学校の女の子、偶然擦れ違った女の子、試合会場に居合わせた女の子、黄瀬くんのファンの女の子、果てはニュースの画面に一瞬映り込んだ女の子、そしてクラスメイトが森山にとって等しく運命を感じるこの世の天使だとしても、どうかその中に私を入れたりしないでほしいと今なら思う。
森山は知らない。
私がそんな想いを切々と重ねていることなど、知るはずがない。
役目を終え、冷たくなったカイロを捨てられもしない私を。
宝物として大事に置いておこうと、考えていることを。
森山のことが、好きだということを。
人間だから、恋をしているということを。

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