私は本来甘えたい性質で、初めて付き合った人は2つ年上の先輩だった。
私が1年の頃その人は3年で、委員会が同じになった縁で所謂“お付き合い”が始まった。
その頃の2つ上と言えばとても大人に感じて、私はめいいっぱい甘えていたっけ。
彼も満更ではなさそうだったけれど、結局長くは続かなかった。
取り立ててこれが原因、というものもなく「もうやめにしよっか」と世間話の延長線で告げられた言葉に、私も「うん」と引っかかりを感じることもなく頷き、ただの先輩と後輩に戻ったのだ。
甘えるの、気持ちよかったのになぁ。
そんなふうに身勝手な残念さを感じたことは覚えている。。
けれど、別れたくないと思うことも別れて悲しみに暮れることもなかった。
それはおままごとの恋愛ごっこと言われても何の言い訳もできないものだったけれど、これから好きになる人もきっと、年上で甘やかしてくれる人なんだろうと漠然と思っていた。
そして初めて付き合った人と同じ年になった私は、いつか自分が打ち立てた予想とは全くの正反対を向いている。



「堅治くん、重いよ」
「んー」

部屋でくつろぐな、とは言わない。
例えここが彼の部屋ではなく私の部屋だととしても、だ。
常識の範囲内であれば勝手な行いも咎めたことはなかったし、気ままに振る舞う様子を見るのも嫌いではない。
人のベッドを我が物顔で独占しても、そこで私の漫画を好き放題に読み漁っても、うっかり寝こけてしまっても、ひとつも悪い気がしないのだ。
堅治くんが部屋に来た時は、いつもベッドの端に腰を下ろすか寝転ぶかのどちらかだった。
彼は私のベッドが心地いい、と気に入っている。
ただ寝転がった時に足がはみ出してしまうことだけが、唯一の難点のようだった。
それでも眠る時は、顔に似合わず大きく立派な身体を屈め足を曲げ、できる限りコンパクトに収まろうと器用に丸められる姿がひどく可愛らしかったりする。
もちろん、本人に言ったことはないのだけれど。

「どうしたの?今日はえらく甘えるね」
「いつも甘やかす人が何言ってんスか」
「そう?」
「そうだよ。おかげですっかり甘やかされるのに慣れちゃったじゃん」

今日もベッドの上で続きが気になっていたという漫画をぱらぱらと捲っていたはずなのに、突然読みかけのそれをパタンと閉じたかと思えばおずおずとお気に入りの居場所から降り、ベッドの縁にもたれている私の隣へ座り込んだ。
それだけでも珍しいことだけれど、不意に傾けられた彼の頭が私の肩に雪崩れ込み、そして身体を預けるようにずっしりと重みが私の左半身を襲ったのだ。
かれこれ30分はこの体勢が続いている。
この巨体を何ひとつ鍛えていない私の身体で受け止めるのは些か限界が近付いているので、何度目かになる「重いよ」を伝えれば、もたれかかっていた重みがストンと崩して座っている足元へと落ちた。

「これなら重くないでしょ」

ニッと悪戯っ子のように歯を見せて笑う顔があまりにも憎たらしくて、すっと通った鼻筋を撫でてからその頂きを軽く摘み上げる。
イタイイタイ、とくぐもった鼻声は痛みを覚えているとは思えないほど軽快で、思わず私もつられて笑ってしまうのだ。

「嘘ばっかり。強く摘まんでないよ」
「こういうのは雰囲気が大事なんじゃないの?」
「そうなの?」
「多分ね」

何それ、と摘まんでいた指先を跳ねさせるようにツン、と離せば「じゃれ合いも大事なことじゃん」と思いがけず真っ直ぐな視線が、濃い茶色の瞳から投げかけられる。
はっと息を飲んだ。
あまりにも男を匂わす表情にその肌から離れたばかりの手が不自然に動きを止め、行き場を探して彷徨う。
向けられた言葉に上手な返事など返せるはずもなく、誤魔化すようにその柔らかな髪を梳いた。
適当な手入れしかされていないであろうそれは、本人のように憎たらしいほど気持ちい手触りで絡まりを知らない髪の束を指先で遊ばせると、「くすぐったいって」とゆっくりと閉じられた瞼に少しばかり甘えた声が零された。
男の子なのに、こんなに可愛いなんてずるいなぁ。
込み上げる素直な気持ちは、笑みとなって表情に溢れる。
可愛い、と言う言葉を堅治くんは何より嫌った。
それは私が彼より年上ということを強く感じるからだと言う。
年上と言ってもたったひとつ、あるかないかも分からない差だけれど、堅治くんにとってはそれがとてつもなく大きな隔たりのように感じるらしい。
あと少しで学校のどこにも先輩はいなくなる、と言った。
俺が話すこと全部が先輩にとって懐かしいことになる、と。
たった一年早く生まれたことを盾にしたことは一度だってなかった。
それでもきっと、私の言葉の端々には気付かないうちに堅治くんが“年下”と強く感じてしまうニュアンスが見え隠れしているのだろう。
何度も柔らかな髪を撫でつける手を止めれば、気持ち良さそうに閉じられていた瞼がそっと開いて私を映した。

「先輩はさぁ、俺の前にも彼氏いたんだよね」

随分唐突な言い分に面を食らう。
丸まった瞳で「そう、だけど」と既に彼も知っているはずのことへ応えれば、仰向けになっていた身体がくるりと方向を変えて向こう側へ向いてしまった。
斜め分けにされている前髪が、重力に沿って堅治くんの顔を覆い隠す。
それを掬い上げようと伸ばした指先は、不意に温かな掌に捕まる。

「俺以外にも先輩にこんなふうに甘やかされてるやつがいたのって、何かムカツク」

もう鼻先は摘まんでいないのに、くぐもった鼻声のような声色がぽろりと零された。
存分に拗ね切っている様子をまじまじと見せつける背中に、今度は私が頭を預ける。
思いがけない重みにピクリとその身体が反応するけれど、やっぱり向こうを向いたまま「そういうのホント、ずるいよね」と漏らされた。

「堅治くん、私ね、本当はどっちかって言うと甘やかされる方なの」
「えー、ウソでしょ」
「ホントホント。いつも茂庭にお世話焼いてもらってるのに」
「…そうなの?」
「茂庭からみたら私たち同じタイプに見えてるのかな?よくお前ら上手くいってるよなって言われるよ」
「ふーん」

私たちが知り合うきっかけになったクラスメートは、いつも不思議そうな顔を隠しもせずにそう言っては、「あいつ言うこときく?」と首を傾げるのだ。
そんなことを尋ねてくるくらいなのだからきっと、部活中の堅治くんは相当茂庭を困らせているのだろうと簡単に想像させた。
私の前では決して大っぴらにはしない秘められた生意気さが、その時ばかりは姿を現すのだろうか。
そんな彼も見てみたい気がするけれど、私の前で見せる顔も姿も何もかも、彼は愛おしさの塊のようで私には茂庭の言う堅治くんがなかなか上手に思い浮かべずにいる。
それはきっと茂庭にとっても同じことなのだろう。
ふたりでいる時の堅治くんのことを話すのは、何だか告げ口をしているような気分になるので茂庭には言わないけれど。
私が時々話す彼の様子を信じられないと言いたげな茂庭を見れば、それが安売りされているものではないことを知り、その度にくすぐったさが胸を巡るのだ。
拗ねたままの背中ですら、宝物のように感るほどに。

「だからね、こんなに甘えられることが気持ちいいって私に教えてくれたのは堅治くんだよ」

人より少しだけ口が悪くて、だけどとても素直で、一生懸命私の彼氏でいてくれようとしてくれる君をどろどろに甘やかし、その心地良さを覚え込ませようとしているのかもしれない。
それなしでは生きていけなくなればいい、そんな独占欲じみた邪な感情がないと言い切れる自信はなかった。
だけど本当は、そんな私の甘やかしを余すことなく一身に受け入れる堅治くんこそ、私を甘やかしてくれているのだ。
注ぎ込む全てが受け入れられることもまた、何より心地いいのだから。

「そういうの、やっぱずるいんだけど」
「そう?」
「何も言えないじゃん」
「じゃぁそれでいいじゃない」
「ちぇー」
「こんなに素直なのにねぇ」
「ん?何が?」
「どうして茂庭は堅治くんに苦労してるのかなって」
「何だ、そんなこと?」

むくりと起き上がり、ズイと寄せられた瞳がゆっくりと弧を描く。
仄かに潜む色気を滲ませながら、男を見せつけながら、床に付いた手の上に重なる自分のそれより大きな温もりが指の1本1本に絡まった。

「先輩にしかこんな俺、見せる意味ないでしょ」

じゃれるように擦り寄る顔に身体が後ろへ倒れそうになるけれど、もたれかかっているベッドに阻まれ、堅治くんは器用に私から逃げ場を奪ってゆく。
覆い被さる彼が作る影に、とうとう私は沈んでしまった。
動作はどこを取っても申し分ないほど立派に私を気圧すくせに、「茂庭さんにこんなことしてたら先輩も困るんじゃない?」なんて冗談を繰りだせるほどの余裕がまた、憎たらしさを助長させる。
けれど茂庭に覆い被さる彼を想像すると、どうしても堪えきれずに吹き出してしまった。
完全にいじめっ子といじめられっ子の絵面だ。
くすくすと漏らされる私の笑みの理由はきっと、堅治くんにも伝わっている。
面白くもない、と隠されもしない不満顔が首筋へと落とされた。

「そんなに笑わなくてもいいじゃん」
「ごめんごめん。だって茂庭がビックリしてる顔を想像しちゃって」
「ダメ」
「…え?」
「想像するの禁止」

刹那、ゆらりと揺れた瞳が私を捕らえる。


「他の男のことなんか考えないで、目の前の俺を構ってよ」


懇願のようにも命令のようにも聞こえるその言葉に、私はただ「うん」と小さく頷くことしかできずに頬へと触れる柔らかな髪に頬擦りをした。
気が利かなくてごめんね、嫌な想いをさせてごめんね、そんな気持ちがいっそ触れ合う体温ごと全て、包み隠さず伝わればいいのに。
何を考えていたって想っているのはただ君だけだからと、彼の不安を狩り取る術になればいいのに。

「先輩ってホント悪いオンナだね」

私の想いの欠片が、堅治くんに注がれたかどうかは分からない。
分からないけれど、ゆっくりと押し寄せる彼の匂いにそっと瞼を閉じれば唇に沁み渡る熱がそんな思考すらいとも簡単に奪ってゆくのだ。
考える必要なんてどこにもない、堅治くんも、私も、激しく掻き立てる心臓の音のままに求めるだけ。
“甘やかす”とか“甘やかされる”とか、そうじゃない、そんなことじゃない。
そんな役割分担など最初から、存在さえしていないのだろう。
私がそうしたいから、そうされたいから、堅治くんがそう望むから、そう願うから、たったそれっぽっちの理をふたりで繰り返す。
そうした折り重なりがいずれ『恋愛』と呼べるものへと昇華されるその時を、ただ切々と待ち続けながら。

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