「「あ、」」

この片田舎の町で、見知った顔を見かけるなんて日常茶飯事だ。
休みの日に少しばかり栄えたところを歩いていると、大抵ひとりふたり良く知っている相手からどこかで見たことあるような相手まで、必ずと言っていいほど遭遇する。
例に漏れず、と言うべきか。
友達から待ち合わせ時間の5分前に「ごめん!ちょっと彼氏とケンカしちゃって…」と電話を受けて、前々から予定していた全てがおじゃんになった私の前を通り過ぎるはずだったであろう誰かが立ち止まった。
携帯片手にふと顔を上げれば、ばちりとぶつかり合った視線に漏れ出た声はお互い同じ言葉、同じタイミングで、唐突に襲う気まずさにしばし重たい沈黙が圧し掛かる。
こういう時は、それなりに勝手知ったる相手ほどその反動が辛い。

「不景気な面して何してんだよ」
「待ち合わせ」
「そうか」
「してたけどたった今お断りの連絡がきたとこ」
「…そうか」

驚きの表情から一変してひどく気の毒気な瞳で私を見る岩泉は、「そら災難だな」と苦笑いで頬を掻く。
普段は適当にひとつにまとめた髪を垂らしたジャージ姿でいそいそとコンビニに足を運んでいる様を知っている岩泉にしてみれば、巻いた髪を下ろして淡い黄色のワンピースという出で立ちで立ち尽くしている私は、さぞ奇妙な光景だったことだろう。
普段の格好との差に、そこそこの予定を抱えていることも察していたのかもしれない。
だからこそ余計に惨めな感覚が倍増した。
まさに、災難だ。

「及川は?一緒じゃないの?」
「休みの日まで一緒でたまるかよ」

げんなりと言うように眉間に深く皺を掘り込むけれど、私にしてみれば一緒にいないことの方が珍しいのだ。
それこそ、ジャージじゃない私と同じくらいに。
そうなんだ、と無難な返事を呟きお互いの間に存在する微妙な距離感を、いまだ上手く処理できないまま、さてこの状況をどう打破すべきかと頭を回転させる。
きっと、岩泉も同じだろう。
とりあえず何かきっかけを作らなくては、と随分涼しい気候になったと言うのにいまだTシャツ一枚の出で立ちで平然としている姿に声をかけた。

「どっか行く途中でしょ?」
「サポーター新調しようと思ってよ」
「スポーツ用品店なんてこの辺にあったっけ」
「大通りからちょっと入ったとこの…って普通は知らねーわな」

聞いたところでもちろんピンと来るはずもなく、適当な相槌で誤魔化しているとそれを察したのか岩泉も説明を途中で切り上げる。
それと同時に会話も切り上げられる。
いつも言葉を選ぶのに、お互いこれほど慎重になることなんてなかった。
ふたりとも制服、はたまたジャージ姿で、岩泉の隣りにはいつものように及川がいたなら“芳しくない”を感じる状況に陥ることはなかっただろう。
あまりにも突然に、いつもと違いすぎることが重なりすぎている。
少し気合いを入れてしまった私服の私、Tシャツ一枚と色落ちしたジーンズに履き古されているスニーカー姿の岩泉、そしてお互いの瞳にお互いだけを映すことすらもしかしたら初めてかもしれない。
いつもはあの賑やかしく鮮烈な男が、必ず視界の端に映っていたのだとこの違和感の正体に気付いた。
気付いてしまったら、意識をしないはずがない。
この片田舎でもそこそこの人通りを誇るこのど真ん中の場所でも、雑踏の音を拾ってはくれない両耳に思わず俯いてしまえば、些かの気遣いを含んでいるような、そんな歯切れの悪い声が鼓膜を震わせた。

「まぁ何だ…残念だったな、予定なくなってよ」

励ましとも取れる思いがけない言葉に、首を傾けた。
いつまでボサっと突っ立ってんだ、と呆れた声色で暴言すれすれなことを言われた方がまだ、私も売り言葉に買い言葉ができただろう。
らしくない言葉、声のトーン、そしていまだ私の前を通り過ぎようとはしない岩泉は、首元に手を置いたまま一呼吸置いて落ち着かない視線を向けた。

「で、これからどうすんだ?」
「もう帰るよ。ひとりでうろうろする予定じゃなかったし」

随分格好は付かないけれど、それも仕方ない。
ふーん、と興味があるのかないのかどちらともつかない声で返事をする岩泉はポケットに手を仕舞い込み、そしてゆっくりと背を向けた。
ここで解散という意味だろうか。
その意図を汲み取れないまままごついていると、「オイ」と一声確かに向けられた呼び声に落ちかけていた視線が岩泉に半ば強制的に戻された。

「予定ないならちょっと付き合えよ」

全く予想だにしていなかった提案は、先程とは打って変わっていつもどおりの岩泉の声色で届いた。
行き交う人の足音や声、車の音が煩く耳を突くけれどそれらに負けない響きで確かに岩泉はそう言った。
その様子から、格段特別なことを言ったつもりはないのだろう。
だけど私と岩泉の関係を言葉にするなら、友達呼ぶには些か微妙な位置関係なのだ。
中学からお互いを知っていて、2年の時は同じクラスで、顔を合わせれば会話はするし軽口だって叩き合える。
気安い関係だとは言えても、気軽にどこか出かけられるほど気心が知れているわけでもない、そんな中途半端な立ち位置にいる私をいとも簡単に誘えるあたり、これが男女の意識の差なのだろうか。
途端にむず痒く、妙な空気がふたりを覆う。
もしかしたらそう感じているのは私だけかもしれないけれど、ひとりが意識してしまえばこの手のものは相手にもすぐ伝播するものだ。
今まで知らなかった新たな雰囲気に晒される。
気まずさや照れ臭さに似ていて、だけどそれらとは全く別物の何かを肌に感じながら、この場で感じる以上なまでの緊張感にごくりと息を飲んだ。

「腹も減ったし、ついでに飯も食いに行こうぜ」

いつもみんなと一緒の時、誰かが近くにいる時、つまり岩泉とふたりではない時には何てことはない会話や仕草がふたりきりになると違って聞こえ、違って見えるのだから困ってしまう。
ふたりでいるということはただそれだけで、日常に転がる全てのものが少しばかりいつもと勝手が違い、特別なものにする変えてしまう威力があった。

「ど、どうしたの岩泉」
「何が」
「岩泉が、そんな洒落たこと言うなんて気色悪い」
「おーまーえーはー!」

背中を向けていたその身体がくるりと振り返り、遠慮なく近付いてくる岩泉の手が私の頭を掴んだ。
このままアイアンクローのひとつでもかまされるに違いない、ときゅっと固く瞼を閉じればガシガシと手荒に、だけど決して乱暴ではない手付きで髪を撫で乱す。

「せっかく可愛い格好してんのに、すぐ帰ったら勿体ねぇよ」

ただでさえ何もかもがいつもと違うことに戸惑っている私に、髪に触れたままのその手も、可愛いなんて似合わないことを紡ぐ唇も、丸く柔らかに曲げられる瞳も、輪をかけて追い打ちをかけた。
ぐんぐんと熱のこもる頬が見つかってしまわないよう、咄嗟に反らして色々なものを振り払う。
しっかりとお洒落をして、今日を楽しみにしていたことをきっと見抜かれていたのだろう。
それがまた居たたまれなさを助長するのだけれど、岩泉は気付いていたとしても決してそれを突いては来ないのだ。
岩泉の優しさや励ましを一身に受けてみて思う。
これじゃ及川が甘えたになるわけだ、と。

「そんじゃ、そろそろ行くか」

思わぬ招待への返事を何ひとつしていない私にお構いなしとばかりに歩みを進め始めた岩泉を、出遅れた分慌てて追いかけようした足がつんのめる。
そんな私から少しだけ先に進み、振り返って立ち止まる岩泉は「何やってんだよ」と顔をくしゃりと崩して笑った。
手が差し出されるような、女の子がつい憧れてしまうスマートな振る舞いをすることはないけれど、そんな取って付けたような優しさは必要ないのだ。
そんなもの、なくたっていい。
誰にでも振り撒かれる安っぽいものではない、ぶっきらぼうで真っ直ぐなそれを私は既に知っているのだから。

「お前何か食いたいもんとかある?」
「そう言えば及川が言ってたんだけど、おいしいラーメン屋さんあるんだよね?」
「いや、あるにはあるけどすっげーボロい屋台店だぞ?」
「そうらしいね」
「間違っても女子が行くようなとこじゃねぇけど」
「だから今日が絶好のチャンスなんだってば」
「あぁ、なるほどな」

年頃の男女ふたり並んで歩く姿を、擦れ違う見知らぬ人たちにはどう映っているのだろうか。
仲の良い友達?
それとも、と並ぶ高い位置の横顔を眺めて思案する。

「すっごい今更なこと言っていい?」
「何だよ」
「及川いないと何か変な感じだよね、私たち」

様々な意味や響きを含ませたその言葉を、岩泉がどう受け取ったかは分からない。
けれど見上げた表情はどこか落ち着きに欠け、角ばった男の人の手がその口元を覆い隠して囁くような呟きが漏らされた。

「…まぁ、こういうのも悪くねーよ」

照れ臭さを滲ませたその物言いにどんどんと忙しなく駆け出す鼓動は、やはりとんだ災難を運んで来た。
だってきっと、今までの私ではいられない。
適当にひとつにまとめた髪を垂らしたジャージ姿の私を脅かす存在に戦々恐々としながらも、私もまたこういうのも悪くはないと思っているのだ。

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