※未来のお話です。





「私たち、何でこんな青春臭いことしてんだろうね」
「始発動くの待ってっからだろ」

国府津海岸の石階段に缶コーヒー2缶を挟んで座る私と柊を包む世界は、規則正しい波の音と暗闇だけが広がっている。
夜も明けない海で男女が2人並んで座っているなんて、どこをどう見ても甘酸っぱい光景にしか見えないだろう。
けれどその実情は同窓会の終わりに終電を逃し、帰れなくなったただの元クラスメート同士なわけで。
しかもそこそこ親しいこともなく、むしろ必要最低限以上に接した記憶すらない、同じ教室で同じように授業を受けていただけに過ぎない間柄なわけで。
つまり、取り巻く環境だけは無意味にロマンティックが揃っているにも関わらず、当事者2人は全くもってそれにそぐわない心境なわけで。
それでもきっと今、心は1つになっているだろう。
始発よ、早く動いてくれと。

「って言うかさ、電車組がいるのに普通2時でお開きにするかね」
「酔っ払いに常識言っても仕方ねぇよ」
「自分たちは徒歩とチャリで帰れるからって…これだから地元住民たちは!」
「実家出てんのって少ないのな」
「まぁ、別にここも不便なわけじゃないしね。ここからでも通える大学はそれなりにあるし」
「っつーか、お前も実家帰れば良かったんじゃねぇの?」
「連絡もしてないのにこんな時間に帰れないよ。いくら家族でも流石に迷惑だし」
「それもそうか」
「そう言う柊こそ、タクシー拾ったら実家帰れるじゃん?」
「そこまでして帰っても結局効率悪いだろ」
「それもそうだね」

高校を卒業して2年以上経って、1ヶ月くらい前に一度集まらないかとメールが回って来た。
もともと仲が良くて、卒業後も繋がっている友達以外と会える機会なんてそうあることじゃない。
会おうと思わなければ、会うこともできないと気付くのは、いつだって環境が変わってからだ。
東京に進学して実家を離れた私にとってそれは願ってもない開催で、考えるまでもなく参加する旨のメールを返信した。
3年のクラスでの集まりに、一応半分以上の人数が集まって想像以上の盛り上がりを見せた同窓会は案の定、二次会にまで発展する。
それに関しては私も自分で参加を決めたし、その時点ではオールになるっていう話だったから終電も気にしなかったし、実家にも連絡はしなかったのに。
結局、どれだけ酔い潰れてもどうとでも帰宅できる地元住民たちの悪ノリで二次会はある意味惨劇になり、これ以上続けても事態は悪化すると判断されて午前2時で同窓会はお開きとされたのだ。
心行くまで飲んだくれたせいで電車で帰らなきゃいけない人間の配慮ができる者が残っているはずもなく、解散を言い渡された後に残されたのは電車組の私と柊だけだった。
これで私も柊も、同じように理性が吹っ飛ぶほどお酒に飲まれていたならまた違っただろうけど、残念ながら私も柊も何とか自力で帰らなくちゃいけないという頭があったために、アルコール摂取を控えていたせいで非常に冷静だった。
酔っ払ってワケが分からなくなっていたら、ワケが分からない間に時間も過ぎていただろうに。
それでも私たちは至極冷静で、お互いそれほど親しくないこともしっかり認識している上で一緒にいなければならないという、極めて気まずいパターンに陥って今に至る。

「柊も災難だったね。大して接点もない私なんかと一緒でさ」
「お前もな」
「まぁ1人で放り出されるより全然良いよ。心細くはないだけでも十分」
「あ、そう」

温かかった缶は既に熱を手放し、すっかり冷たくなった中身を口に含む。
私がまだ高校生でこの狭い世界が全てだった頃なら、いつも嫌というほど見ている海の知らない顔に、はしゃいで靴でも脱いでいたかもしれない。
素足になって、その後の始末が大変なことも気にせずに波打ち際まで駆けて行ったかもしれない。
大して親しくもない相手に、気持ちいいよって笑っていたのかもしれない。
でも、今の私にはもうそれはできないのだ。
一時のテンションに身を任せ、砂浜を走り回った後の大変さは良く知っている。
ドロドロになった足元に、細かなところにまで入り込んだ砂がずっとまとわりついてお風呂にでも入らない限り、不快感に苛まれる。
電車に揺られて1時間以上かけて帰らないといけないからって、すぐに言い訳が思い付いてしまうのだ。

「いつからかな。先のことばっか気にして、知らんふりできるようになったの」

空になった缶を指先で揺らしながら、ぽつりと呟いた声は波の音に飲まれる予定だった。
誰の耳にも届かず、誰の答えも望まず。
でも、缶コーヒー2缶分だけの距離を空けて座る柊にはそれが聞こえていたのかもしれない。
それでも何も言わず、何も聞かず、ただ暗く淀めく黒い海を眺めるように真っ直ぐに見つめていて、あぁ本当に何て青春臭いことをしてるんだか、と苦笑いが込み上げる。
隣で勝手に笑っている私を、さぞ気持ち悪いと思っているのだろうと覗き見た横顔は、意外にも涼やかな表情を浮かべていて、「なぁ、知ってるか?」と柊が振り返った。

「ここ、夕日より朝日のが綺麗なんだよな」
「え?」
「静かで空気が澄んでるっつーか」
「そうなんだ」
「今の時期なら、もうそろそろじゃね」

唐突な言い分に、柊の思うところは全くもって分からない。
でも、柊がそう言うならそうなのかもしれないと、小さな期待が胸を擽るのだ。
見て見たいと、何を想うよりも先にそう思った。
先のことばかり考えてその場の空気に線引きをしていた結果がこの現状なら、何だかひどくバカバカしくなってしまったのかもしれない。
立ち上がり、パンプスを履いたままで砂浜に足を付ける。
ジャリっと独特の音と感覚に、何だか泣きたい気持ちが込み上げた。
思わず俯いた私に、「見ろよ」と後ろから掛けられた声はゆっくりと光を淡く滲ませる水平線を指していた。
そこにあることが当たり前だった海の、新しい顔が見え始める。
空と海が近いところで、夜と朝が重なっている瞬間を目の当りにしているようで、流れる風に髪が舞い上がるのも気にすることもできず、ただ見とれた。
私の知っている海は、こんなにも美しかったのだと。

「今までこうやって、色んなことを見過ごして生きてきたのかな」
「大袈裟すぎな」
「何だか勿体ないなって思うことが多くてさ」
「例えば?」
「奢ってもらって飲む缶コーヒーがめちゃくちゃ美味しいこととか」
「ちっせぇな」
「柊が意外に気さくだったことも、もっと早く知っておけば良かったなってさ」

それもちっせぇな、と笑った柊の顔は滲む朝日の光に照らされ、色素の薄い髪がキラキラと揺らめいていた。
笑うと少し幼くなる表情が、何だか胸が締め付けられる。
私は一体、どれだけのものを取り零してきたのだろうか。
始発を心待ちにしていたはずなのに、もう少しこうしていられたらなんて、本当にどうかしている。

「色んな思い出がいっぱい詰まった場所なのに、これからはきっと、柊とこんなことしてたなぁって思い出すんだろうな」
「青春臭いな」
「青春臭いね」

だけど、その時どれだけ忘れないと強く思ったところで、人は結局忘れて生きていく。
それはこの地を離れる前までの私には、理解できなかったことだろう。
こうして過ごす日々の中で、積み重なった想いもまた少しずつ形を変えていつかはなくなってしまうのだろうか。
ただの不測の事態で接することになったに過ぎないなら、始発に乗る頃には話すこともなかった元クラスメートに戻る。
それだけの話。
それだけのはずなのに、眩しい朝日よりも綺麗なものを見てしまったような気がしてしまう。
眩しげに眉を顰めている横顔なのに、どうしてだろうか。
胸を締め付ける正体は依然に掴みきれなでいると、カンッと空き缶が石階段に置かれる音が届いた。

「覚えてなさそうだから言うけど、俺とお前、話したことあるよ」

唐突に告げられた言葉に全力で振り返る視線の中には、髪と同じように色素の薄い瞳が投げかけられている。
ウソ、と呟いた私の声は風と波の音が攫うように流して行くけれど、「そりゃそうだよな」と当然と柊は言い切った。

「覚えてない。何話したの」
「IH頑張ってねって」
「え!?それだけ!?」
「それだけ」
「それで、柊は何て?」
「おぅって」
「それだけ?」
「それだけ」
「それだけか…」
「何だよ」
「いや、何でもっと気の利いたこと言えなかったかなと思って…そんなのみんな言ってんじゃんね。しかもそれ会話って言えないし」
「いいんじゃねぇの、別に」

話したことはあった元クラスメートには昇格だろ、と続けられた言葉にどれだけ過去を振り返っても、この海で柊の声を聞いた記憶は今しかなかった。
けれどそれがもし本当に私で、親しくもなかった柊に声をかけたのだとしたら、それは私にとってどれだけ勇気を振り絞ったことかは簡単に分かる。
だとしたらどうしてそうまでして、わざわざ話しかけたのだろうか。
その時の私は、柊に何を伝えたかったのか。
それは、きっと。

「IHってことは、高3の時だね」
「そうだな」
「クラスが同じだった頃だ」
「ああ」
「私が一番しんどかった時期でもあるんだけど」
「受験?」
「結構無謀な挑戦だったからね」
「無謀って言や俺らも相当無謀だったな」
「だから勝手に重ねちゃってたのかも。じゃないと今と違って、まともに話したこともない相手に気軽に話しかけられる根性なんてなかったもん。だから相当気張ってたんだろうなぁ、色々と」
「あー、それで目が合わなかったんだな」
「そんな些細なこと、良く覚えてんね」
「そういうことなんじゃねぇの」
「え?」
「自分が見過ごしたもんでも、拾い上げて大事にしてるやつがいるなら、なかったことにはならないのかもな。全部丸ごと1人で抱えるなんて、どうしたってできねぇし」

そう言って微笑む柊の表情を、知っている気がするのは些か都合が良すぎることは十分に分かっている。
それでも確かに、まだ少し幼さを残した表情で頷いた顔を私は波の音の中で見たのかもしれないと、懐かしさを感じずにはいられなかった。
いや、きっと見たのだろう。
私と柊だけが知っている、今日以外の私と柊を。

「だからお前にとっては些細なことでも、俺は今でも覚えてる。あの日、俺とお前がここで話したことは、なかったことにはならねぇんだよ」
「言われ慣れた言葉だったくせに」
「まともに話したこともないヤツだったから、印象に残ってたんじゃね?」
「じゃぁ柊は、ここに来ると私を思い出してくれてたの?」
「さぁな」

海辺はすっかり明るさを取り戻し、夜は姿を消そうとしていた。
それは私たちが待ち望んだ始発の時間の訪れをも物語る。
立ち上がる柊は、自分と私の飲み干した缶を持って立ち上がり、「そろそろ行くか」と海に背中を向けた。
細くも、逞しくも感じるそれに続いて歩けば、響く波の音は変わらず一定のリズムを刻みながら私と柊を見送るように揺れている。
今までずっと、そうであったように。
これからもずっと、そうであるように。
誰かが忘れてしまったこの場所で生まれた喜びも、悲しみも、出会いも、別れも、全て記憶しながら変わらずそこに存在し続けるのだろう。
でも私も柊も、置き去りにされて肩を寄せ合った今を、始発の電車を待ちわびていたことも、この綺麗な朝日を観たことも、2人確かにここに存在していたことをきっとなかったことにはできないのだと確信めいた未来を信じるくらいには、青春を謳歌しているのだ。
そしてきっと今、心は1つになっているだろう。

「私たち、何でこんな青春臭いことしてんだろうね」
「ただの元クラスメートから抜け出すためだろ」

距離よ、どうか縮まれと。

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