キスができるかどうかが、付き合えるかどうかの基準になる。
そんな話題で周りが盛り上がっていた。
恐らく各々が好きな相手を思い浮かべ、妄想の中でことを致したのだろう。
全員が全員キャーキャーと黄色い声を上げて喜んでいたので、妄想を繰り広げた子たちは漏れなく全員想い人と付き合える基準はクリアしていたらしい。
良かった良かった、と他人事よろしく適当に相槌を繰り返していると、「あんたはどうなの?」と思わぬカウンターに目を見開いた。
私は別に好きな人とか今はいないし、と当たり障りのなく応じれば、「御幸と仲良いじゃん」なんてこれもまた思わぬカウンターを受けたせいで、思いがけず退屈な授業中に想像をしてしまった。
つまり、妄想。
ないわー、ほんとないわー。
それが最初に浮かんだ正直な感想だったけれど、授業の終わりを告げるチャイムが鳴る頃には机の上にうつ伏せて項垂れる他なかった。
つまり、できちゃったわけですよ。
妄想で、御幸と、接吻を。
いやいや妄想だったら誰とだってできる、と相手をチェンジしてみればもう再起不能。
ないわー、ほんとないわー。
同じようにそれが最初に浮かんだ正直な感想で、そしてそのまま終わり、解散となったのだ。
つまり、できなかったわけですよ。
妄想で、御幸以外の男子と、接吻を。
何だか勝手に友情出演させてしまったことが妙に後ろめたくて、いつも遠慮なく私を扱う相手だからということも相まってか、どうかしたままの頭でうっかり御幸に会ってしまったのだから分が悪い。
普通はそんなこと、言うべきじゃないってことは分かっていた。
例えどれだけ気安い関係だったとしても、だ。
そう頭では理解していたけど、1人だけで抱えてしまうのはものすごく癪でものすごく気まずい。
そんな私の勝手な想いだけでそれを御幸に言ってみれば、「何、もしかして欲求不満とか?」と笑われた。
いや、嘲笑された。
眼鏡の奥に控えている目があまりにもバカにしていたので睨んでみるけれど、この眼鏡には全く効果がないことを私はよく知っている。
だけどとりあえず腹が立ったので、足を軽くつねって気持ちを持ち直した。
軽く、で留めておいたのはせめてもの私の慈悲だ、ありがたく思えよと念じながら。

「その性格でいる限りお前に友達はできない」
「はっはっはっ、ちゅーすんぞ?」

独特な笑い声を上げながらも、目は全くもって笑ってはいない。
まずい、これはマジだ。
それは困る、と瞬時にダンマリを決め込み、その場を穏やかに収めるためにふるふると首を横に振っておく。

「っつーか勝手に人を妄想で使うなよ、スケベ」
「いつも誰かしら妄想でお世話になってるようなやつには言われたくないよね」
「言い方間違えたわ。使ったとしてそれを本人に言うなよ、スケベ」
「いや、スケベは2回言う必要なかったんじゃないかな」
「墓穴掘ったのはお前な」

言われなきゃ俺も知らずに済んだんだけど、と考えられないとばかりの言い分は確かに最もで、それ以上何も言えない。
私自身御幸に言わなくちゃいけない絶対の理由なんてものを持ち合わせているはずもなくて、「ですよねー」と遠い目をするのが精一杯だった。

「ところで、お前俺のこと好きなの?」
「寝言は寝てから言うもんだよ」
「じゃぁ何で俺?」
「御幸と仲良いって言われたからだっつったじゃん」
「ふーん」
「まぁ、きっと何かの間違いだ。うん、そうに違いない」
「ひっでー、ヤリ逃げかよ」
「あれおかしいな、キャッチャーって頭良くないと務まらないって聞いたんだけど」
「言ってくれりゃいくらでも協力してやんのに」
「あれおかしいな!キャッチャーって頭良くないと務まらないって聞いたんだけど!」
「そんな俺とちゅーしたクセに?」
「妄想だけどね」
「十分じゃん」
「今すぐその眼鏡を叩き割ってやりたい」
「っつーかそろそろ爆笑していい?」
「はーい、決定しました。眼鏡を割りまーす」
「はっはっはっ、ちゅーすんぞ?」

反省するのでそれはご勘弁を、と両手を擦り合わせればようやく「冗談だって」と御幸が笑う。
冗談じゃなかったことを私は知ってるけどな、というのは空気を読んで飲み込んだ。
本音のままにうっかり声に出したりすれば、それこそ本当にやられる。
この眼鏡は、やると言えば本当にやる。
私はそれを良く知っていた。

「話反れたけどさ、実際のところどうなんだろうね」
「俺とのちゅー?」
「違うよ。いい加減離れろよ。キスできたら付き合えるって話だよ」
「生理的に嫌か嫌じゃないかの目安じゃね?」
「ふーん。じゃぁ一理あるってことか」
「そうなるとお前さ、俺と付き合えるじゃん。よかったな」
「いやいや、何が?どこが?」
「え?俺とはちゅーできたってことはそういうことだろ。よかったな」
「ねぇ、さっきから(誰かしら引っかかって)よかったなって言う感じに聞こえるんだけど」
「…」
「無視ですかコルァ」
「っつーかそれ聞いて俺はどうすりゃいいのよ」
「別にどうもしなくていいよ。どうかしたくて言ったんじゃないし。ただの世間話だよ」
「あっそう」
「ところで、私さっき伊佐敷先輩の真似したんだけど」
「知ってる」
「じゃぁ拾ってよ。恥ずかしいじゃん」
「めんどくせーし、完成度低すぎんだろ」

確かに完成度は低かった。
それは認めよう。
そもそも伊佐敷先輩のことなんてそんなに知らないし、コルァコルァって言ってる人かヒゲの人としか認識していないのだからこんなもので十分じゃないか。
結局話題は簡単に反れてしまい、何の話をしていたのかも曖昧になる。
御幸と話しているといつもこうだ。
でもそれでいい。
軽い気持ちで持ち出した話題でさえも、早速物騒な方向に持っていかれたし、いや最初から物騒だと言えば物騒だったけれど、とにかくこのまま続けていてもろくなことにならないのは目に見えている。
じりじりと熱気のこもった空気に滲む汗を拭いながら、「あつー」と呟けば、「さっきの話だけど、」と御幸が言った。

「伊佐敷先輩のモノマネの話?」
「あれ以上話が広がんの?」
「いや、完成度低いって散々な評価だったから更にダメ出しされるのかと」
「しねぇよ。っつーか似てても似てなくてもどっちでもいいし」
「…」
「無視かコルァ」
「あ、似てる」
「年季の違いじゃね?」
「さっすがー」
「で、さっきのちゅーがどうこうの話だけど」
「ねぇ御幸、脈絡って言葉知ってる?」
「多分お前よりはな」
「あっそう」

一度流れた話を強引に戻そうとするのは珍しいな、と思った。
真面目な話をしているならまだしも、世間話にも満たないその場のノリのような話で真面目な表情を浮かべるのもまた、珍しい。
こういう時は何となくあまり茶化せなくて、私も思わず大人しく御幸の言葉を待ってしまう。

「あんま男相手にああいう話、軽々しく振らない方がいいぜ」
「何で?」
「中にはお前ごときでも、もしかして俺とちゅーしてぇの?とか俺と付き合いてぇの?とか思っちゃうやついるかもしれないし?」
「おい、何か聞き捨てならないものが聞こえたんだけど」
「変な思い込みされて困るのはお前だって話だよ」

少し下がり気味だった眼鏡を、指先が慣れた仕草で上げる。
その横顔を見てそう言えば、と思い出した。
私の妄想の中でも、御幸はそんなふうに眼鏡を上げて真面目な表情を浮かべていた。
それまでバカなことを話しているいつもどおりの空気が変わり、ぱちりと合った視線が反らせなくなって、そして、

「御幸じゃなかったら、そもそもこんな話してないよ。ってかできない」
「俺に遠慮なさすぎじゃね?」
「いいんじゃない?特別感ありまくり」
「俺相手なら何しても気ぃ遣わないってだけだろ」
「それはあるね」
「そこそこ話すようになった頃は結構恥じらい残ってたのにな」
「あっそう」
「おぅ」

何でもないように振る舞いながら、それでも探るようなお互いの態度に、交わす言葉が少しずつ核心に近付いては離れ、近付いては離れを繰り返して、そして、

「じゃぁ恥じらいをなくしついでに正直に言うとさ、」
「これ以上まだ何かあんの?」
「小難しいこととか、思春期特有なあれは抜きにして、想像して嫌だなんて思わなかったよ。むしろそうなればいいなって思ったことには驚いたけど」

そして、そして、

「頭おかしいのかなぁ」
「それは知ってる」
「あっそう」
「でも嫌いじゃねぇよ」
「それは知ってる」
「あっそう」
「うん」

そして、どちらからともなく引き寄せられるようにキスをした。

「イケナイコトしてる気分だな」
「…バカじゃないの」

想像していたそれよりもずっと、ずっと、現実的で夢見心地でちりちりと胸を焦がす正体だけを追いかけるようにあらゆる感覚を研ぎ澄ます。
傾けられた御幸の身体から垂れるネクタイが、ゆらりと揺れて私へと着地した。
全くスマートでもシンプルでもない、まどろっこしくてたどたどしいものだったけれど、それでも確かに私たちには捻くれた精一杯なのだ。
青臭く鮮やかな初夏のもとで、2人の今までに終わりを告げる。
男と女という生き物は、何と単純なものか。

「ねぇ、私のこと好きなの?」
「寝言は寝て言うもんなんだろ」

今更なこと聞くなよ、とギラギラと照りつける太陽が映す影が、もう一度ぴたりと重なった。
始まりは終わりよりもずっと単純で、あっけなくて、そして愛おしい。
決して言葉にはならなかった甘い恋の囁きは、まるで世界の片隅での秘密事のように2人の吐息に解けて、巡る。

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