「まさかこんな日がくるとは思ってもみませんでした」

天気は完全に悪天候。
朝からずっと、遠雷が低く響いていた。
そんな日にまで勤しむほど鍛練オタクとは思っていなかったけれど、雷が鳴っているにも関わらずいつものノリで苦無を頭に挿すほどの残念な人だったとも思っていなかった。
雷にとってはまたとない獲物だったのだろう。
目がけたように苦無へ誘われたそれは見事に本人を貫く。
その様子を目の当たりにしてしまったのは、運が悪かったとしか言いようがない。
人が命を落とす瞬間を見てしまったと絶句していると、低く呻く声に何とか命は落とさずに済んだらしい。
普通ならそれは不幸中の幸いと言うべきことで、喜ぶべきことのはずだ。
けれどその時の私は、雷の直撃を受けても脳震盪で済んだ先輩への言い知れない恐怖感でいっぱいだった。
一部始終を目撃していたからと言って、最終的には看病まで押し付けられるのもまた運が悪かったとしか言いようがない。
駆け付けた善法寺先輩が、絶句している私を励まそうと「保健委員会の素質があるかもしれないね」と言った言葉は笑って流せたのに。
続けられた「恐かったのは、本当にそれが理由なのかな」と核心を突かれたようなそれには、ただ顔を伏せるしかできなかった。
眠っている時でさえ険しい表情を浮かべる様子を前に顔を覗き込めば、クマに縁取られた瞼がゆっくりと上げられる。

「とりあえず元気そうで恐いです」
「…そこは安心した、でいいだろうが」
「雷直撃で脳震盪だけってありえないですよ。何ですか、漫画ですか」
「ツッコみにくいボケ方をすんな」
「ボケてません。本気で恐れています」

しかしこうも無防備に布団の転がる先輩を見られるというのは、些か貴重な気もする。
髪を解いた姿を見るのも初めてだった。
そう意識した途端に、何かが狂い始める。
さっきまでどんな言葉でどんな風に話していたかさえ忘れてしまうのだから、やはり今日は運が悪い。
今日に起こった不幸の連鎖を並べていると、流石に頭は痛むのか額に手の甲を預けて深呼吸を繰り返す先輩は、流石にどこか気の毒で痛々しかった。

「痛みますか?」
「頭の芯のところが少しな」
「熱はないって善法寺先輩は仰っていたんですけど」
「熱いと言うより痺れてる気がする」
「まぁ、そのくらいは後遺症があってもおかしくない惨劇でしたから」

手の甲の冷たさはあまり効果がなかったのか、すぐにそれを下げる先輩へ思わず自分の手を伸ばしてしまう。
その行動の違和感にピクリと指先が動くけれど、伸ばしてしまったものはどうしようもない。
空いた額へそれを当てれば不思議そうな視線を向けられるけれど、すぐに瞼が落とされたことに目を見開く。
何のつもりだ、くらいの悪態が返って来るだろうという予想は簡単に覆されてしまったからだ。

「冷たい手だな」
「冷え症です」
「女は冷やすと良くねぇんだろ?」
「体質ですし仕方ないですよ」
「まぁ、そのおかげで俺は気持ちいいが」
「なら今回に限りお役に立てて良かったということで」
「…おい、湿ってきたぞ。冷てぇくせに手汗はかくのか」
「ほんっと失礼な人ですね」

手汗が心地悪いと言われても尚、それを押し付ける根性はない。
文句を垂れながら手を離そうとすれば、今度は先輩の手が素早く追いかける。
掴まれたのは私の手で、離れようとしていたはずのそれは再び先輩の額へと着地した。
重なったままの手に、動揺は大きく唸る。
このままでは手汗どろこの騒ぎではない。
濡れた手ぬぐいを持って来ます、と進言しても「これでいい」の一点張りに女心というものをまるで理解していないことには流石に慄いた。
それでも手は、離されない。

「まぁ何だ、手間かけさせて悪かったな」
「それより恐い思いをさせたことに謝ってほしいんですが」
「目の前で死なれるよりましだっただろうが」
「本当に、死んじゃったと思ったんです」
「…そうか」
「それが、恐いと思った本当の理由ですよ」

恐かったのは、本当にそれが理由なのかな。
今なら善法寺先輩から投げられた問いかけに、正しい答えを言える気がする。

「悪かった」
「もういいですよ。とりあえず無事だったわけですし、悪天候が綺麗な星空に様変わりするほど看病させられた甲斐があったと思うことにします」
「一言多いんだよ」
「今日一日何もできなかったんですから、小言くらい聞いてくれてもいいじゃないですか」
「運が悪かったと思って諦めろ」
「まあ、確かに運は悪かったんですけどね」
「あ?」
「潮江先輩がほぼ無傷で済んだ奇跡に費やしからだと思えば、そこまで不運ではないですよ」

掌が、吸い上げる熱の上昇を知らせる。
思わず覗き込んだ顔は、無言で反らされてしまった。
それでもちらりと覗く耳と首筋がしっかりと赤くて、私の頬にもその熱が飛び火する。
お互いの熱が勝手に昇る部屋の中で、重く落ちる沈黙が痛い。
その空気に耐え切れなくなった私が「これは、運が巡って来たってことでしょうか」と渾身の本音を零せば、今度は勢いよく枕の上の頭がこちらを振り返った。

「まさかこんな日がくるとは思ってもみませんでした」
「バカタレ!」

溢れる照れくささが秘められたそれを聞いた人は、今までにいたのだろうか。
まだ、手は重なっている。
私が密かに育んできた想いの全てが、繋がった手から伝わればいいのに。
けれどこのやりとりが雷に打たれた後遺症でありませんように、と星へ願いを託したことは知られなくていい。



(title by 誰花)

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