「暗い中待たせてごめんなぁ」
「え、あ、あれ、スガさん!?」
「とりあえず帰ろうか。送ってくよ」

思っていた相手が来なかった驚きに目を丸くした彼女は、状況が飲み込めないらしく顔をキョロキョロと振る。

「田中も西谷も来れないんだ。大地にしぼられてる最中でさ」
「もしかして、私のせいですか…?」
「もとはと言えばあいつらのせいだから、気にすることないよ」

机の上に置かれた鞄を持ち、立ち上がろうとする彼女の腕を持って支える。
ことの顛末は、ついさっき。
部活終わりに、田中と西谷が慌ただしく帰る準備をしていた。
いつもなら「いい加減もう帰るぞ!」という大地の声が響くまで、体育館に居座る2人が急げ急げと言わんばかりに。
何か予定でもあるのか、と軽い気持ちで聞けば、どうやら待たせている人がいるらしい。
特にそれ以上何かを聞くつもりはなかった。
誰かと約束をしていたって別におかしくはないし、「あんまり遅くなるなよ?」とだけ伝えれば、バツが悪そうに田中が視線を泳がせた。

「あの、スガさん。実は…」

話し始めた田中の隣りで、西谷が「俺のせいなんすよ」と零した。



「俺が悟天でお前がトランクスな!」
「髪型で決めたでしょ、ノヤっさん」
「だっはっは!言われてみりゃ確かにそっくりだぜ!」
「準備はいいかぁ!?手ぇ抜くんじゃねぇぞ!」
「え!?ちょっと待って!?ノヤっさん離れすぎ!遠い!これじゃ指先がコンニチハできない!」
「そうか?」
「今更何女子ぶってんだよ。がに股すぎてノヤっさん追い越すなよ?」
「よぅし、よく分かった。本気で行く」
「ようやくヤル気になったか!俺も負けてらんねぇな」
「ノヤックスになって田中をボコる」
「いや、それお前の要素どこにもねぇぞ」
「今度こそ準備いいかー?」
「私はいつでも来いだよ。バッチコイだよ。いつでも田中ボコれるよ」
「え、目的変わってね?」
「とりあえず1回やんぞ!龍、動画の準備してんな?」
「おぅよ」
「お前はトランクスだぞ!」
「はーい」
「ノヤっさん録画ボタン押すぜー」
「よっしゃ!来ぉい!」
「来いやぁ!」
「ヨーイ!アクション!」

こんな感じに昼休み、西谷の提案で始まった遊びに盛り上がっていたらしい。
田中と西谷と2人と仲の良い小さな女の子の3人で。
よく3人でいるところに遭遇するので、面識は割とある方だった。
田中と仲の良い女の子、と言うのは色んな意味で珍しく、部内では一時ちょっとした話題になったくらいだ。
西谷とも親しいらしく、2人でちょこちょこと走り回っている様子に大地が「ちびっコンビ」と呼んだのをキッカケに、3年の間ではいつからかその呼び名で通っている。
俺たちがそう呼んでいるのを知った田中は「俺も仲良いんすけど…」と少し寂しそうだったけれど。
女の子なのにいつも田中や西谷のバカに付き合わされているらしく、今日もまたいつものように西谷に連れられ2人に付き合わされていた時にそれは起こったらしい。
勢いよく「「フュージョン!」」と声が重なり、その流れで例のポーズを決めるはずだったけれど、片足立ちした彼女がバランスを崩して転んだのだ。
それだけなら「なーにやってんだよドジだなぁ」なんて笑って済んでいたのだろう。
運が悪いことに、転んだ彼女は足を捻ってしまったのだと言う。
1人で帰らせるのは心配だから、と大丈夫と言い張る彼女を言い伏せたけれど、彼女からは部活には必ず出るように強く言われ、とにかく急いでいるとソワソワする2人に、大地の雷が落ちた。

「ああああの!大地さん!また明日ちゃんと怒られるんで、今日はもういいすか!?」
「お前らなぁ…」
「めちゃくちゃ待たせてるんですって!」

慌てる2人に事情が事情だけにぐっと怯んだ大地の肩を、ぽんと叩く。
分かってるよ、と言った大地はきっと「今日はそのくらいにしといてやろうよ」と俺が言うと思ったからだろう。

「大地、そのまま続けて」
「え?」
「「スガさぁん!」」
「あの子は俺が送ってくよ。お前らはしこたま怒られて反省すること。女の子相手に無茶しすぎだよ」

そして、今に至る。



「色々大変だったね、ほんと」
「むしろ私がドジ踏んだばっかりに迷惑かけちゃったと言いますか…」
「それを言うなら俺の方こそ、うちの後輩が無理させてごめん」
「あの、本当に大したことないんです。そりゃちょっとは痛いですけど、湿布貼ってすごく楽になったし、もう普通にも歩けるし」
「うん、だとしても今日は送らせてよ。もう暗いし、何よりあの2人からしっかり頼まれたことだからさ、俺も勝手に約束は破れないんだ」

それを言われると何も言えないという様子で、黙って俯いてしまった彼女を覗き込めば、今にも申し訳なさで死にそうな顔をしている。
田中や西谷が来ていたら、多分こんな表情はしなかっただろう。
2人といる時は満開に笑う彼女はいつも、俺が話しかけると少し顔を俯け困ったように笑うのだ。
最初は、俺が先輩だからだと思っていた。
それから何度も話す機会はあったけれど、彼女の態度は相変わらず余所余所しいまま、一向に変わらない。
そして、今も。

「実はさ、西谷に火ぃ点けちゃったの多分俺たちなんだよなぁ」
「3年生もああいうことするんですね。ちょっと意外でした」
「あれ?知ってた?」
「ギニュー特戦隊っぽいやつですよね?田中とノヤっさんから画像が回ってきましたよ」
「あいつら…」
「思わず二度見しちゃいましたけど」
「勢いとノリででやっただけだから完成度は低いんだよ…だからあんまり見ないでくれると助かったかな」
「でも楽しそうでしたよ、すごく」

屈託なく浮かべられた笑顔に、思わず足が止まった。
俺が止まれば、彼女も止まる。

「スガさん?」
「男ってさぁ、卑怯な生き物なんだよ」
「え?」
「例えば気になってる子が弱ってたら、どうやってそこに付け入るかってすぐ考えるし」
「そう、ですか」
「それらしく『大変だったね』なんて言いながら、本当はこんなチャンス逃がしてたまるかって思ってるんだ」
「…何ですかそれ、恐いですね」
「恐いよねぇ」
「でも、どうしたんですか急に?」
「んー…助言、かなぁ」
「はぁ」
「まぁとにかく、隙見せたらガブッといかれるよってこと」

だから気を付けなきゃね、と言った俺に「そうですね、そうします」と良く分からないながらも大きく彼女が頷くので、堪らなくなって吹き出してしまう。

「え、何ですか?私、変なこと言いました?」
「ううん、何でもないよ。まぁあれだ、足治ったらまた一緒に遊んでやって」
「それはもちろん、そのつもりです」
「あいつら相当反省してるし、心配してたからさ」
「今回のことはそれ以前に私が運動音痴すぎたと言うか…」
「そこは俺も何とも言えないけど」
「分かってますよぅ」
「だから早く足治して完成させてよ。あれ、俺も見たいし」
「え!?嫌ですよ!」
「え、何で?」
「何でもです!」
「俺たちのは見たくせにー」
「あれは田中とノヤっさんが強制的に送ってきた不可抗力ってやつで…!」
「えー、見たいのに」
「とにかくスガさんだけには絶対嫌です!」
「俺だけ!?ひどいなぁ」

不貞腐れたようにもう一度「絶対嫌ですからね」と頬を膨らませ、ぷいとそっぽを向いてしまった彼女は、早足にさっさと進んでしまう。
送って行くと言った俺が置いて行かれるなんて、笑い話にもならない。
頼りない小さな背中をすぐに追いかけ隣りに並んだ。
ちらりと見た横顔は、少しだけ俺を気にしながらも前を向き続けている。
怪我をしてまで挑んだ成果をどうしても俺だけには見せてくれないらしいので、それなら仕方ない、と空いたままになっている彼女の手を攫い、夜道へ繰り出した。

「フュージョン、なんてな」
「すすすすスガさん!?」
「俺だけ見せてくれないなら、今見せてもらおうと思って」

俺も彼女も分かっていないのか、分かっているのに分からない振りをしているのか、今更そんなのはどうだって構わない。
とりあえず振り払われないということをいいことに、子どものような小さな手をギュッと閉じ込めれば、しっかり握り返される感覚に息を飲む。

「隙見せたらガブッていかれるよって言ったのに」
「確かにご助言頂きましたけども!」
「あんまり無防備にしてたら知らないよ?俺も男だからさ」
「でも、スガさんなら、」
「ん?」
「恐くないです」

スガさんだけです、と確かにはっきりそう言って、恥ずかしさを宿した笑顔が咲いた。
彼女の怪我に付け込んで、後輩を利用して、俺は卑怯な男です。
思わずそう懺悔したくなるほど、彼女の笑顔も視線も仕草も何もかもが真っ直ぐでただ素直だった。
こればっかりは、どうにも敵いそうにないなぁ。
そんなことを考えながら、握り合ったままの手で他に誰もいない夜を歩く。
俺だけ、と君は言った。
まるで当然だとばかりにそう言い退けた彼女に、俺はやっぱり敵わない。
だけど俺だって、君だけだよ。
君にしか、言われたくない。
そんな俺の想いは、どちらの体温か分からなくなるほどくっ付く掌から彼女に届くことはないのだ。
だったら少しでも伝わるようにと、ゆっくりと並ぶ肩の距離を近付けてゆく。
彼女のその真っ直ぐさに、暗闇でも映える鮮やかさに、掌に伝わる温かさに。
だけどそれだけじゃ足りない。
全然、足りない。
引力のように緩やかに小さな身体を引き寄せれば、何もないところで躓く彼女の腕を慌てて持ち上げ身体を抱える。
頭を垂れて「すみません…本当にすみません…」と繰り返す彼女のドジっぷりは、大地の雷を食らった2人に同情を覚えるには十分だった。

「付け入る隙だらけで困るよ、ほんと」

だからもっと、こっちにおいで。
もっと近くに、俺がいつでも手を差し伸べられるくらい近くに、その瞳に俺しか映らないくらい近くに、おいで。

「ところで何でそんなに俺には見せたくないの?」
「…複雑な乙女心です」
「いつも一緒にバカやってんの知ってるのに」
「スガさんが意地悪!」

俺だって君にしか、こんなこと言わないよ。
その意味はもう、分かってるよね?

(水山教祖に捧ぐ)

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