所属している部活上、自分よりもうんと背の高い連中に囲まれていることがほとんどで時々、こいつらの見る世界はオレの見る世界とどう違うのだろうかと思う。
遠くまで見える景色と広い視野、きっと俺が見落としてしまうようなことも簡単に見えてしまうのだろう。
多分これは、羨望という感情だ。

「彼氏の背が低いからさ、ヒール履けないんだよねー」
「あー、分かる。自分の方が背が高くなるってのはちょっとね」
「そうそう。バランス悪いっつーか、彼氏も立場ないだろうし気ぃ遣うわ」
「ま、私の彼氏はヒール履いても全然平気だけど」
「うっざ!」
「羨ましいの間違いじゃん?」

待ち合わせ場所でぼんやりと人の流れを見送る中、不意に耳に入った会話に思わずギクリと肩が上がった。
もっと背が高かったら、と思うことは数え切れなくて、それは部活中も日常生活もそれはそれは数え切れなくて、最近良くそう思うのは私服の彼女がいつも俺の頭を越えてしまいそうだからだろうか。。
それが世間一般の感覚だよな、と壁に背中を預けて盛大に溜息を漏らした。
165cmの世界は、ひどく平凡だ。

「やーくー!」

駆け寄る彼女はやっぱり学校で会うより少しだけ視線を上げなければ目が合わない。
思わず苦笑いが浮かぶ。
片手を軽く挙げ、「っよ」と何てことはないとでも言うように応えれば、走って来たのか息を上げた彼女は楽しそうに満開の笑顔を向けた。

「来るの早いよ。今日は私の方が先に来てると思ったのに」
「この前はお前のが早かったじゃん」
「そうだけど、何か悔しい!」
「何だそれ」

妙なところで意地を張って、頬を膨らませる。
そんな風にコロコロと変わる表情を間近で見られる権利があることが、誇らしいと思う。
友達からの延長線で少し前に落ち着いた彼氏彼女という立場は、思いの外良好でひどく落ち着いた。
だからこそ、そんな些細なことを気にしてる自分がまたちっぽけで、いやに俺が小さい男かを目の当たりにしてまた、勝手に落ち込む流れを一体何回繰り返せば気が済むのだろうか。
行こっか、と自然に並ぶ肩をちらりと見て自分のそれを見比べる。
同じ位置に並んでいる視線を落とせば、彼女の背を高く保っている正体に行き着いた。
女の子として標準的な身長を兼ね備えていて、軽く5cm以上はあるであろう踵の上がり具合がプラスされればそりゃ俺と同じくらいになるわけだ、と肩を落とす。

「どうかした?」
「いや、今日も足が痛そうな靴履いてるなと思って」
「女の子のオシャレは我慢との戦いだからね」
「我慢してまで履く必要あんの?」
「分かってないなぁ」

純粋な疑問として浮かんだ言葉を素直に口に出せば、「これだから男子は」なんてやれやれと首が横に振られる。

「デートだよ?好きな人には可愛いなぁって思ってもらいたいのが乙女心ってもんなの。足がちょっと痛くても歩きにくくても我慢しちゃうの」

堂々と主張されたそれは、思ったよりもストレートで思わず言葉に詰まってしまう。
つまりこの場合は、俺のための我慢ってことなわけで、嬉しくないはずがない。
ニヤけそうな口元を手で覆いながら何とか堪えてみるけれど、耳まで熱くなる顔はどうにも誤魔化しようがなくてフイと顔を背けた。

「靴擦れしても大丈夫なように絆創膏いっぱい張ってるし、予備も持って来てるから大丈夫!」
「それでも痛くて我慢できなくなったらちゃんと言いなよ?」

苦し紛れに出たにしては上出来な言葉に、嬉しそうな表情が縦に頷いた。
もう一度窮屈そうな足を見て、今度は彼女の横顔を見る。
鼻歌でも飛び出しそうなほど上機嫌に前を見る視線は、どこをどう見たって俺と同じ位置を保っていた。
思い返すのは、彼女と合流する前に聞こえて来た2人組の世間話。
背の低い彼氏の愚痴と、背の高い彼氏を誇る自慢。
そのどれもがあの2人には全く無関係な俺に向けられているように感じたのは、あまりにも俺たちに当てはまった言い分だったからだ。
あの会話は、まさに俺のコンプレックスそのものだと言っても過言ではなかった。
それでも、俺よりもっと背の低いやつは大勢いるとか、踵の高い靴を毎回履いて来るのだから自分が思っているほど相手は気にしていないはずだとか、ケチな言い訳で自分を励ましていれば十分にやり過ごせるはずだった。
ただそれを他人の言葉で突き付けられると、やっぱりそうだよな、なんて妙に現実味を帯び始めて、今まで並べていた言い訳が何の威力も発揮してはくれなくなる。
別に周りに何を思われていても構わないけれど、彼女からそう思われていたなら流石に凹むし、正直に言えば立ち直れる自信はこれっぽっちもなかった。
そんな弱気が、勝手に喉を震わせる。
あのさ、と呟けば、前を向いていた視線が途端に俺へと向けられた。

「俺って、男にしたら背ぇ低いじゃん」
「バレーしてるって意味では小柄だとは思うけど、普通じゃない?」
「そういう靴履かれたら、お前と身長変わらないんだけど」
「…言われてみれば、そうだね。気にしたこともなかった」
「彼氏が自分より背ぇ高くなくても?」

あの会話が尾を引いているわけじゃない、というわけでもないけれど、ずっと気になっていたことだった。
それなりにコンプレックスとして根付いているものを掘り返すのが、いい気分なはずがない。
様子を探るように投げかけた疑問に返って来る答えを待っていれば、不思議そうな表情を浮かべながら「彼氏の方が大きくないといけない理由なんてあるの?」と首を傾げた。

「見栄え…とか?」
「えー、何それ。夜久は気にしてるの?」
「まぁ一応俺も男だし、それなりには」

ちらりと彼女の視線を落としながらそう言えば、ようやく俺の言わんとしていることを察したのか合点がいったという表情が訴えかける。
途端に恥ずかしそうに顔を俯け、ひらひらと歩くたびに揺れる柔らかそうなスカートを小さな両手がキュッと握った。

「ごめん、そういうの全然気付かなかった。夜久が気にしてるなら無理して履く意味ないし、次からは気を付けるね」

もう一度「鈍くてごめんね」と謝り、貼り付けた笑顔を見せた彼女に思わず狼狽えてしまう。
そして、俺の言葉が彼女をひどく遠ざけてしまったのだと理解した。
どれだけ足が痛くても、どれだけ歩きづらくても、無理してまで踵の高い靴を履いて来る理由を俺はもう知っていたのに。
しかもその全てが、俺のためだと彼女の口から伝えられていたのに。
居心地が悪そうに視線を泳がせる横顔に、後悔が巡る。
こんなものはただの八つ当たりだ。
どれだけ羨んでも、望んでも、手に入らないものを惜しんでそれらしい理由を彼女に押し付けただけにすぎなくて、握られていたスカートの皺に息が詰まった。

「当たり前だけど、バレー部って基本バカみたいにでかいだろ?あいつらの見てる世界ってどんななのかなとか、きっと色んなものが見渡せるんだろうなとか、ずっと羨ましかったんだ。俺には見られない景色だからさ」

だから、ごめん。
それだけを続けると、明らかに言葉足らずだったのに関わらず、彼女は小さく「うん」と頷いた。
そして少しだけ下げられた視線はしっかりと俺のそれと重なり、ほんのりとピンクに色付き艶を宿す唇を動かした。

「でも、それは違うんじゃないかな」
「え?」
「背が高いと、夜久の言うとおり遠くまで見渡せるとは思うよ?だけど近くのものほど気付きにくいと思うんだ」

灯台下暗しってやつ、とこれなら分かりやすいでしょとでも言いたげに、大きな瞳が覗き込んだ。

「だから夜久はね、みんなが見落としてしまいそうなものを拾い上げられる人なんだよ。バレーだって、そういう役割を担ってるでしょ?誰も拾えなさそうなボールを身体張って掬い上げるためにたくさんのものを見て、たくさんのことを考えてるって私は知ってるよ」

見よう見真似の拙い動きは、恐らくレシーブの格好をしているつもりなのだろう。
突っ込みどころが満載にそれに思わず吹き出せば、「笑うところじゃないのに」と尖った唇が不服を申し立てていた。
165cmの世界は、相変わらずひどく平凡だ。
見える景色はいつもと変わらず、見慣れた高さで動いている。
だけどずっとコンプレックスに感じていたことは、彼女の言葉ひとつで随分と見方が変わってしまうのだ。
少しだけ見る角度が変わっただけで、こんなにも世界は鮮明になるものだろうか。
初めて彼女が好きだと気付いた時のように唸る心臓に、上昇する熱。
尖っていたはずの唇がいつの間にか綺麗な弧を描き、柔らかく細められた瞳がしっかりと俺を捉えて離さないからだ。
そんなふうに、可愛く笑ってくれるな。
色々と、我慢してるものが吹っ飛ぶんだって。
確かにそう思っているはずなのに、何故だろう。
そんな風に考えられる彼女と同じ高さで世界を見られることが誇らしいなんて、随分ゲンキンな話だけれど。

「夜久の背が今よりずっと高かったら、夜久は私を見つけてくれなかったかもしれないでしょ?それに、同じ視線の高さってことは同じ景色を見てるってことだよ。だから私は、今の夜久の背の高さが大好きだよ」
「結構なワガママだな、それ。俺の都合全く考えてないだろ」
「呆れた?」
「その服も靴も、すげー可愛い。似合ってる。俺のために色々考えて選んでくれたのが嬉しくないわけないって言ったら、呆れる?」
「まさか!すごく嬉しいに決まってる」
「うん、だから俺も。すげー嬉しかった」

言いたいことはまだまだ足りないくらいで、だけど言葉よりも想いよりも先に気付くと手を伸ばしていた。
居心地が悪そうに揺らされている彼女の手を半ば強引に奪えば、少しだけ驚きを示した後に俺の指の間へ彼女の熱がゆっくりと滑り込む。
絡まったお互いの体温を大事に大事に握り締めれば、彼女もまた大切なものを包むようにしっかりと握り返した。
俺の意地と彼女の解釈。
どちらもただの勝手な都合にしか過ぎないけれど、ピタリと合わさった掌から伝わる全てが堪らなく心地良かった。
165cmの世界は、相変わらずひどく平凡だ。
だけど彼女も同じ165cmの世界の中で生きているのなら、この世界の中でしか見られないものを共有できているのなら、俺はそれを幸せと呼ぶのだと知る。

「へへへ」
「何、気持ち悪い笑い方して」
「だって、手を繋ぎたいなって思ったら夜久が握ってくれたから、何か嬉しくて」
「手の動きが変になった時は大抵それが理由だろ?」
「うん、だからね、見落とさないでくれて、ありがとう」

もっと背が高かったら、と思うことは数え切れなくて、部活中も日常生活もそれはそれは数え切れなくて。
俺は、背の高いやつの見る世界は知らない。
そいつらだって、俺の見る世界は知らないのだ。
どうだ、キリンども。
この世界を見るには、お前たちの視界は高すぎるだろう?


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