夢を見ていた。
何となく覚えていることは見知らぬ場所を冒険していたこと、誰かが隣に立っていたような気がすること、そしてやけにワクワクして目を覚ましたこと。
何かが始まる予感の中でゆっくりと開いた瞼に映り込むのは、木漏れ日の中に佇む横顔で、数回瞬き繰り返して欠伸を零す。
確か、その横顔を探していたのだ。
探している途中で休憩をしてしまったことが、そもそもの間違いだった。
この心地良さに勝てるはずもなく、案の定眠気に襲われて今に至る。
探していたはずの人に見つけられ、起きるまで待たせていたのだろうか。
少し眩しげに細められる瞳をぼんやり眺めていると、微笑むようにその視線が向けられた。

「随分と楽しそうに寝てたね」

聞き慣れない表現に「そんなに変な顔をしていました?」と問いかければ、「いいや」と笑う顔を見て、楽しそうなのはあなたの方だろうと思う。
段々とはっきりしていく意識に彼へと寄りかかっていたことを知り、慌てて飛び上がればその様子を見て、また彼が笑った。

「別にそのままでいいのに」
「いえ、そういうわけには」
「真面目だねぇ」

君1人くらいどうってことないよ、といつもの愛想が良いのか分からない独特な口調に掴み所を失ってしまうのもいつものことだ。
気まずさを抱えながら何故馬岱殿を探していたのかの理由を必死に思い返し、馬超殿が探していたからだと思い出す。
どのくらい眠ってしまっていたのだろうか。
既に馬超殿の用はその間に済んでしまってはいないだろうか。
きっとこっ酷く叱られるに違いない。
それだけの失態を冒してしまったのは事実なのだから。
色々な心配事が浮かんでは広がり、それを繰り返していると「そんな真面目な君が、こんなところでうたた寝なんてどうしたの?」と不意に突かれた核心に背筋を正した。

「馬超殿が馬岱殿を探しておられたので、私もあなたを探していたのですが」
「うん」
「つい、誘惑に負けてしまったと言いますか」

思わず視線を下げてしまったのは、流石に居た堪れなさに苛まれたから。
その途中で寝こけてしまうなど、何と本末転倒なことか。
すっかり呆れられてしまっているはずだといまだ抱える膝へ視線を落とせば、「なーんだ、そうだったの?はぁ…良かった」と思わぬ安堵の声にゆっくりと視線を上げる。
てっきり体調でも悪いのかと思ったよ、と苦笑いを浮かべ安心したと確かに言った彼は、私が睡魔に負けた原因であろう木漏れ日を見上げた。

「まぁ、この気持ち良さじゃ寝ちゃうよね」

分かるよ、と覗き込まれた顔に何かが重なる。
さっきまで間近で見ていたような、そんな錯覚さえ覚える理由を私は1つだけ知っていた。
その在り処はあまり覚えていないはずの、夢の中。
確かにその横顔を、その表情を、近くに感じていたのだ。
何かが始まる予感に胸を躍らせながら静かに目覚め、そのまま何事もなかったかのように忘れるはずだったものを微かに記憶しているのは、すぐにまたその横顔を見たからだろうか。
楽しそうに寝ていた、と言った不可思議な言い回しが、今ならとても的を射ていると思えた。

「夢を、見ていました」
「へぇ、いい夢だった?」
「それがあまりはっきり覚えていないんですが、どこかを誰かと冒険しているような、そんな夢だったと思います。ワクワクしながら目が覚めるなんて、初めてでした」

だから楽しそうだったのかもしれません、と思い返すように伝えれば「その誰かさんに、何だか妬けちゃうなぁ」と思ってもみない反応が返って来る。
いつものように愛想が良いのか分からない、掴みどころのない態度なら何事もなく上手く笑えたのかもしれない。
けれど確かに私を映すその瞳の色は鈍く、重い。
しっかり捕えられたままにそれに、ゆっくりと込み上げる笑みに逆らうことなく表情を彩れば、目の前の瞳が丸く育つ。

「ご自分に、妬かれてどうするんですか」

クスクスと声を漏らせば、「誰かって、俺なの!?」と甲高い驚きに小さく頷く。
そこは素直に俺で良かったんじゃない?と続けられた言葉には些かの不服が込められているけれど、「驚きました?」と憎たらしく応えれば、やれやれといった様子で彼が帽子を目深く被った。
密やかな木漏れ日だけが届く木陰と相まって、その表情は陰って見えない。
参ったね、と漏らされた声に自然と顔を近付けるけれど、それはいやに深くて簡単には覗き込めなかった。
何を、考えているのだろうか。
時々こうして垣間見える飄々とした表情や態度の裏側が、とても恐ろしいのだ。
全く予想だにしない頃合いに訪れる陰りがまた、気になって仕方がないのも事実だった。
近くにいても触れられない、この感覚が何故だかひどく引き寄せられてしまう。
それがとても、恐ろしい。
恐ろしいはずなのに、どうしても両手を伸ばしてしまう私はあまりにも滑稽に映っているのだろう。
それでも影を落とす正体をそっと傾ければ、再び丸くなった瞳が光に揺れた。

「素敵なお顔が隠れては、勿体ないですよ」
「いつの間にそんなに口が上手くなったんだい?」
「馬岱殿のおかげでしょうか」
「おや、言うねぇ」

クツクツと喉を鳴らすように笑う馬岱殿の帽子へ預けた手をそのまま後ろへと流せば、パサリと根の上へ落ちたそれに構うこともなく、注がれる光と視線の中で私は確かに溢れる何かを感じていた。
ゆっくり繰り返す瞬きは、意識しなければできないほどに生きるということ以外に神経が巡る様をただ、この身が証明してしているのだ。
この感情の意味と名を、知っている。
知っているから恐れていることも、分かっている。
伸ばしたままの手が辿り着く先が、今を崩し見えない先へと進むか否かの分かれ道だった。
呼吸を止めて静かに、指先が私のものではない体温を求めながらも何度も躊躇する。
少しずつ吐き出す息が底を尽く頃、唐突に両手首で交わるそれは今度は彼から伸ばされた両手だった。
近くにいても遠くて、これだけ近付いてもやはりそれは変わらない。
とても、遠いのだ。
彼がいる場所はあまりにも深く、暗く、掴み所なく揺れている。
そんな彼を成す核心へ触れようと伸ばした両手を掴む彼の行動は、何を意味しているのだろうか。
これ以上はいけないよ、と彼お得意の距離の測り方なのかもしれない。
そうならこの動作の全ては私への拒絶の外ならない。
けれど何故かそう思えないのは、握られる手首の力があまりにも力強いからだ。
今はここまで、と言われている気さえしてしまうのはあまりにも勝手すぎだろうか。
それでも、いまだ振り払う気配を見せない体温に私はそう希望せずにはいられなかった。

「夢に出てくる人は、夢を見ている人に会いたいと思っているから出てくるのだと聞いたことがあります」

陰りを作るものが何1つない彼の瞳を食い入るように見つめた。
面食らうということはこのことか、と思うほどに呆気に取られる様子に微笑んでみせる。
いつだってギリギリのところで本音を隠し、軽い態度で覆ってしまうその心に入りたい。
今はまだここまでだと言うのなら、その次を望んでいることを知ってもらわなくては困るのだ。

「だとすると、馬岱殿は私に会いたかったのでしょうか」

呆けていた表情が、真剣なそれへと象られてゆく。
硬直状態が続いていたお互いの両腕はゆっくりと降ろされるけれど、手首にはまだ彼の力強さが残されていた。
離されないことをいいことに自分の手首を捻り、私からも馬岱殿のそれを握りしめる。
一方通行だったものが繋がった瞬間、彼がその両腕を加減なく引き寄せた。

「夢を見て、ワクワクしたって言ってたよね」
「あなたが楽しそうに見えると言ったくらいには」
「じゃぁそれは、冒険をしていたから?それとも、俺が隣りにいたから?」

今度は馬岱殿が私の瞳へと強引に映り込んだ。
答えてくれる?とらしくなく急かす彼へ、心のままに唇を動かす。

「馬岱殿と、冒険をしていたからですよ」

どちらか1つでも欠けていれば、きっと満たされた表情などできるはずもない。
その先に何が起こるかも分からない道を歩くことは、私にはあまりにも大きな勇気と覚悟が伴うのだ。
けれど私は楽しかった。
夢の中で何が起こるかも分からない道の先に、確かに心を躍らせていた。
それは間違いなく、視線の先に彼がいたから。
待ち受けるものがどんなものかも予想ができない中で隣りに並ぶには、その心の中に私を受け入れてくれなければできないことだ。
本当のところは、ワクワクしていたのではないのかもしれない。
私はきっと、幸せを感じていたのだろう。

「正夢だったのかもしれないね、それ」
「私は冒険に出る予定はありませんよ?」
「ほら、夢って抽象的だろ?色々なものを形を変えて見せてくれる」
「確かに、時々不思議な夢を見ることはありますね」
「だから君にとっての冒険ってのは、俺と歩いて行くことなんじゃないかな」
「あなたと生きることが冒険、ですか」
「俺みたいな男に引っかかって、馬鹿な子だよ」

少し困ったように眉を下げ、参ったとばかりに天を仰ぎながら「俺って結構厄介なのに」と笑った。

「でも君にとってそれがワクワクすることなら、こんなに嬉しいことはないって思っちゃう俺も、相当馬鹿だけどね」

転がったままの帽子はまだ、知らない振り。
満足を得た気持ちから再びうとうとと重くなる瞼に些細な抵抗を示し、そっと視線を動かした先では馬岱殿も大きな欠伸に涙を浮かべていた。
このままではまた、眠ってしまいそうだ。
穏やかで朗らかな時間と木漏れ日の中、波のように寄せては返す眠気に勝つ術など私たちは持ち合わせてなどいない。
この心地よさに負け、目覚めた頃には馬超殿にこっ酷く叱られるのだろう、とどこか冷静に残る意識が頭の片隅で囁いているけれど、今はまだそれさえも知らない振りをした。
いつもなら肩を竦めてしまう怒号でさえ2人並んでなら、と思ってしまうのだから仕方がない。
そう、仕方がないのだ。
そんな勝手な言い訳を並べながら、微睡む視界はそろそろ限界を迎えていた。。
夢を、見るのだろうか。
だとしたらきっとまた、ワクワクしながら目を覚ますのだろう。
彼もそうだといい。
今度の夢は覚めないのだから。
もたれかかる馬岱殿の呼吸が深くゆっくりになったことを感じながら、とても幸せな気持ちの中で私は瞼を閉じた。

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