「いつ帰って来てたんだ?」 「今日の昼過ぎ」 何だよ早く連絡しろよな、と久々に会う友人が肘で小突く。 地元でそのまま生活を続けている人数と、俺のように出て行く道を選んだ人数とおおよそ半分ずつ、色々な話題に華を咲かせていた。 これだけの人数が集まるのも、本当に久しぶりだ。 昼間に感じていた気持ちも、今はどこかに忘れることができている。 水滴の付いたジョッキを一気に傾け、熱い体を冷ますようにビールをグッと喉の奥に押し込んだ。 「そうだ、お前彼女とかいんの?」 「何だよ突然」 「大学の女友達に高瀬のこと紹介してくれってせがまれててさー」 関東で、それなりに高校野球の知識がある人間なら俺の名前を知っている人は多い。 今進学した大学でも、最初は良く指を差されヒソヒソと名前や高校球児という単語を耳にしたものだ。 有名ブランドの名前のように、独り歩きするその肩書は正直あまり良い気持ちになれるものではなかった。 その感覚が随分久しぶりに蘇り、苦笑いが自然と零れる。 「遠慮しとくわ」 「割と可愛いぜ?写メ見るか」 「いいって」 「何だよ、やっぱ彼女いんのかよ」 「ちげーよ。今はそういうのいらないだけだって」 彼女はいるのか。 高校を卒業してから、大学に入り、何人かと『付き合う』ということはあった。 それでも誰とも上手くはいかず、数ヵ月後にはその関係を解消するということが続いている。 相手の言動を気にかけ、自分のペースでいられない部分に疲れてしまうことと、何か違うのではないかと囁く頭の隅っこが原因だ。 みんなどうやって、気持ちの切り替えをしているのだろうか。 ずっとそんなことばかりを考えていると、無理をしても良いことは何もないと諦めるのが人間という生き物だろう。 友達もいる、不便はない。 そんなことを言い訳に、色恋沙汰からは随分遠退いてしまっていた。 「お前モテんのにもったいないよな」 「俺、まめじゃねーからさ」 「あぁ、それは言えてる」 「言えてんのかよ」 「今日だって俺が連絡しなかったらお前、何も言ってこなかっただろ」 図星を突くその返答に、参りましたと両手を挙げた。 漏れる笑い声の中で、どこからか誰かが「そういやさ、」と一瞬でその場の空気を攫う。 「高瀬と会って思い出したけど、あの子見たんだよな」 「あの子って?」 「えーっと、名前が出てこねぇ…」 周りがあれやこれやと名前を挙げる度、言い出しっぺは「いや、違う」の連続だ。 俺自身も「誰なんだよ」とからかいの声を上げた時、誰かが言った名前に口に運ぶ途中だった新しい冷え切ったジョッキが止まる。 「あ!そう!その子!苗字名前!」 「確か二年の時、高瀬と同じクラスだっけ?」 「その頃ちょっと俺らの間で噂になったじゃん」 「しょっちゅう高瀬のこと見てた子な」 「垢ぬけた感じで、かなり美人になってたぜ」 「昔から割と綺麗な子じゃなかった?」 「でもあんま目立たないポジションに一定にいたよな」 口々に思ったことや昔話を引っ張り出す中、口を付けられなかったジョッキを勢いよくテーブルへ置く。 ガタンっと大きな音に、騒がしかった空気がぴたりと止んだ。 一瞬で、心が動いた。 「元気、そうだった?」 止まった空気を悟り、捻り出した言葉はひどく中立的なもので、「おぉ、元気そうだった」とすかさず彼女と会ったという友人が返事をする。 胸の中で広がる淡い希望が、凄まじい勢いで育っていった。 「ちょっと話したけど、地元から大学行ってんだってさ」 近くに彼女が、苗字が、いる。 当たり前のことだ。 ここは彼女にとっても、縁深い土地なのだから。 分かっているのに、分かり切っていたことなのに、想像するたびに思い出すたびに頭の中にいる苗字は現実離れしていく一方で、確かに残る残骸と共にかけ離れて行くものが不意に目の前に突き付けられた気分だった。 あの時苗字は、何を思って窓から空を覗いていたのだろう。 |