アニメを観ていなくても楽しめる優しい仕様になっていますが、私はやっぱりアニメを観てから是非とも劇場に足を運んでほしいなと思いました。
人間関係や商店街の雰囲気、そういう『たまこまーけっと』の感覚をある程度掴んで鑑賞するのと、全く未知で挑むのとでは琴線の触れ方に大きな違いが出るような気がします。
何の予備知識もなく観ると若干間延びしてしまうと言うか…まどろっこしさばかりに目が行ってしまいそうな気がして、それはとても勿体ないかなぁと。
そのまどろっこしさもまた旨みなのですが、それはアニメを観ているからこそ分かる感覚だと思います。
初見だと最初の数分間のモチマッヅィ組のやりとりは、間違いなく『???』になる(真顔)。

予告や公開前から出されている情報、ポスターと映画のタイトル『たまこラブストーリー』からも分かるとおり、この映画はたまこともち蔵の“恋”にスポットが当てられています。
アニメでは『もち蔵→たまこ』の恋心は非常に分かりやすく直接的に描かれており、リアルタイムで観ていた頃はこのふたりの恋の行方まできちんと放送されるものと思っていたのですが、結局アニメの中では関係が明確に変化することはありませんでした。
たまこはもち蔵を幼馴染の男の子として終始接していますし、そんなたまこの一挙一動に喜んだり、落ち込んだり、焦ったりするもち蔵が貫かれています。
はっきり言って、アニメでのもち蔵の存在感は薄い。
数少ない男子キャラですし、たまこの幼馴染というポジションで辛うじて役割を与えられている程度で、物語を大きく左右するキーパーソンにはなれていなかったんです。
アニメがすごく面白くて、楽しくて、映画になると知った時は絶対観に行こう思うくらいには大好きだったんですが、唯一の不満点がこのたまこともち蔵の関係。
もう少し進展があっても良かったのになぁ、というのが正直な感想でした。
進展させるつもりがないなら、あそこまではっきりもち蔵の恋愛感情を見せない方が綺麗だったようにも思います。
たまこまに関して、調べに調べまくったわけではないので何とも言えないのですが、最初からこの映画込みの設計だったのかもしれません。
映画のパンフレットを見る限りでは特にそういうつもりはなく、たまこに衝撃的な何かをぶつけたいという想いから、だったらもち蔵との恋愛なんてどうだろうかという発想だったみたいですが、アニメと映画でワンセット感は否めないので脚本さんや監督さんの中ではそういう組み立てがあるようにも感じるくらい綺麗にまとまっています。
アニメでいじいじと焦らされまくったものが、この映画で大爆発を起こす…といった感じです。


●アニメと映画の違い
色々とあるんですが、まずはストーリーの魅せ方。
基本的には主人公のたまこを軸に物語が展開されていきます。
ただアニメは多角的に、たまこと家族・たまこと商店街のみんな・たまこと友達・たまこともち蔵、色々な部分にほぼ均等に焦点が当てられていました。
喋る鳥のデラちゃんがたまこのもとに手違いでやって来るところから始まり、たまことデラちゃん中心に話が進んで行く構成です。
喋る鳥、どこなんだか良く分からないけどとにかく南の方の島の人(王族とその関係者)がやって来る、以外は驚くくらいどうってことのない日常アニメ。
毎日繰り返す中で起きる、ちょっとしたハプニングや出来事を通して、たまこがどれだけ生まれ育った商店街を大切に想っているのかが描かれています。
どちらかというと『変わらないものの大切さ』に重きを置かれている仕様。
なので、もち蔵の片想いはおまけのような扱いです。
そして満を持してのこの映画『たまこラブストーリー』となります。
この映画はまさしく、たまこともち蔵の恋にスポットが当てられていました。
もちろんアニメ同様、たまこの家族・商店街のみんな・友達のことも組み込まれていますが、全ての中心がこのふたりの恋模様です。
恋模様とは関係のないエピソードも、ふたりの関係を示唆するものだったり、後押しするものだったり、ととにかくたまこともち蔵に繋がるよう組み立てられています。
余計なものは一切排除。
どこをどう切り取ってみても、ふたりの恋の物語。
なるほど、映画でこれを描くためにあえてアニメでは軽くしか扱わなかったのね。
素直にそう納得できるほど、最初から最後まで“たまこともち蔵の恋”に特化したストーリーは、潔いと言わざるを得ません。
アニメで焦らされまくったこの感覚は、もち蔵の長い片想いを彷彿させます。

次に画面の魅せ方。
とにかく背景が生々しい。
非常にリアル。
実写と見間違う、という生々しさではなくちゃんとアニメーションなんです。
絵、なんです。
なのに血の通った温かみだとか、大袈裟に言えば空気の匂いまで伝わってきそうな、そんな生々しさ。
実写映画を参考にしているのでしょうか。
キャラがアップになる時、キャラの表情や心情を豊かに表現する時は背景がボヤけたり滲んだり、実写映画で良く見られる技法が散りばめられているように感じました。
とは言え、私は特別映画に詳しいわけじゃないので「実写映画っぽいな〜」っていう月並みな感想しか浮かばなかったんですけど。
でもそれらがキャラを印象的に引き立てていますし、何より背景まで気になって鑑賞中忙しいこと。
ゆったり進む本編とは逆に、観たい部分がいくつもあって大変です。
派手なアクションものは映画館で安くはないお金を払って観るべき、でも日常を描くような淡々としたものならDVDが出てからでいいか…というどケチタイプなのですが、これはジャンル的には後者にも関わらず映画館で観るべき映画だと思います。

キャラクターの魅せ方。
こちらも非常に生々しい。
アニメと区別したキャラの魅せ方は意図したものらしく、特にもち蔵が何かすごい色っぽいんですよ。
男の子なのに。
動きだけでなく、ただ静かに佇んでいるだけのシーンでも滲み出ている色気がすごい。
アニメの頃のもち蔵ではないことが、ワンシーンワンシーンで嫌というほど見て取れます。
仕草がまた良いんですよ。
分かる分かる!そうなるよね!っていう。
ひとりで思い出し羞恥からのわー!と叫んで頭を抱えるところとか、手で口元を抑えて安堵や喜びの混じった仕草とか、何せリアルです。
と思っていたら、アニメならではのアラレちゃん走りをたまこが見せてくれたりと、アニメならでな描かれ方もあってお得感満載。
あとは瞳の動き方や色、光の差し具合が超絶絶妙でした。
表情が瞳の描かれ方にものすごく反映されていて、どういう気持ちなのかが痛いほどに分かりやすい。
驚いたり、切なかったり、困ったり、焦ったり、嬉しかったり、楽しかったり。
おかげで観てるこちらとしては、胸に手を当て「あいたたた…」ってなもんです。
背景もキャラも、作画に関しては流石京アニさんの一言に尽きます。


ここからものすごいネタバレになりますので、閲覧は自己責任でお願いします。


●男を見せたもち蔵
アニメでは散々ヘタレっぷりを見せ、いまいちたまこと距離を詰め切れなかったもち蔵ですが、最初から飛ばしてくれました。
現実問題尺の都合もあるでしょうが、もち蔵にとっても時間がないからです。
上手い演出だなぁ、と舌を巻きました。
なので序盤で早々に、もち蔵が決心をします。
進路と恋。
高校三年生、嫌でも進路を決めなくてはならない時期です。
もち蔵も自分のやりたいこと、進むべき道を模索し、東京の大学で映像を本格的に勉強したいという想いを形にしようとします。
もち蔵が進路を決めるに至った経緯は本編中では省かれているのですが、彼にとってこの決心はとてもデリケートで、何度も迷った上でのものだったと思います。
たまこが商店街で生まれ育ったように、お向いの幼馴染であるもち蔵もまた、同じく商店街で生まれ育ちました。
商店街のみんなに見守られて温かく育まれてきたことを、たまこが感じているようにもち蔵も感じています。
ほとんど変化はないながらも、勝手知ったる居心地の良い世界。
そこにいる限り、たまことも自動的に一緒にいられる場所。
そこはとても優しくて、無理をして出ていく必要のない満たされたものです。
お餅屋さんの長男坊として家業を継ぐか(居心地の良い場所での変わらない毎日)、とにかく今はやりたいことを優先するのか(未知の領域に一歩足を踏み出す変化)。
まずこのふたつの大きな選択自体が、もち蔵にとって試練だったのではないでしょうか。
そしてもち蔵は、そこから飛び出す決心をして後者を選択します。
その勇気たるやとてつもないものだったことでしょう。
その部分は詳しく描かれてはおらず、あっさりと東京へ進学する意志を示されるのですが、何度も悩んで悩んで、お父さんこと吾平さんとは衝突して(劇中でも尾を引いている)、考えに考え抜いた結果導き出された決意だということは、簡単に想像できるというものです。
何より、たまこと離れてしまうことを自分から選んだというのは、意図せず変化の前触れの種をもち蔵が撒いたということになります。
その進路を決めるに当たり、自然と“たまこへの恋”にも決着を付けなくてはと思い至り、もち蔵が進路の話と告白をたまこに伝えることで物語が大きく動き出すことになります。
とは言え、伝えるぞ!と男らしく腹を括ったまでは良いものの、たまこ本人を目の前にするとどうにも上手く立ち回れません。
この辺りは劇的な変化を見せつつも、やっぱりもち蔵だな〜と奇妙な安心感を覚えます。
愛用の糸電話を使ってたまこに伝えようとしながらも、直前になって挫けそうになり、いやいやちゃんと言うぞ!と自分を奮い立たせてやっとの想いで糸電話の紙コップを投げ、話しを切り出そうとしても相手はたまこではなく妹のあんこちゃんで心が折られたり…と、決心しては失敗して挫け、の繰り返し。
みどりちゃんが些か強引に約束を取り付けたことでようやく、退路が断たれます。
話があるということでふたり一緒に帰ることになり、何とか話を切り出そうとするものの、たまこはよもやもち蔵が一大決心をして自分に一世一代の告白をしようとしているなんて思ってもいないため、意識があちこちに飛びまくり。
小さい時からたまこのドジっぷりは健在だったらしく、もち蔵に驚かされ飛び石に失敗して川に落ちる小学生の頃の回想が挟まれます。
もち蔵、意外なことに結構いじわるな男の子だったようです。
好きな子にはついつい、という黒歴史ってやつでしょうか。
そんな懐かしい思い出話のおかげで、飛び石の途中でもち蔵の決心が折れてしまいます。
やっぱりいいや、と濁した態度にはきっと、たまこが語る思い出話を前に彼女にとって自分が幼い頃から何も変わらない存在なのだということを、目の当たりにしたからでしょう。
生まれた時から一緒の、お向いの家の、同じお餅屋さんの、幼馴染。
だったらもち蔵が今から伝えようとしていた気持ちへの返事は、分かり切っているというものです。
たまこの不器用な性格を熟知しているもち蔵にとって、その選択をすれば今後ふたりの関係が悪い方向に傾いてしまうことも、このやりとりで察してしまったんでしょうね。
伝えてしまえば、これからのたまこを困らせてしまうことになる。
だから、言わない道をこの時は選択した。
でも、そんなもち蔵の“伝えない”という決心は意外にもすぐ覆されます。
それは、たまこが大好きなお餅に例えて『お母さんみたいな人になりたい』ともち蔵に伝えたから。
ここでも回想が挟まれるのですが、そこにもち蔵の姿はありません。
在りし日のたまこの母、ひなこさんと幼いたまこをもち蔵が眺めている視点で振り返っているからです。
たまこは決して『お母さん』とは言わなかったにも関わらず、もち蔵はすぐに『お母さん』の話をしていることに気付きます。
そしてさっき決意したばかりの“伝えない”という選択を覆すのですが、どうしてすぐに掌を返したのか。
もち蔵が長い片想いを(たまこ以外の周囲にはだだ漏れとはいえ)今までずっと自分だけの胸の内に秘めていたのは、彼のヘタレな性格だけでなくたまこのことを想っていたからだと思います。
たまこは過去に母との死別という身近にいる大切でかけがえのない存在の喪失を、小学生の頃に経験しています。
たまこにとっては相当なトラウマです。
たまこの落ち込む姿を間近で見ていたもち蔵だからこそ、たまこが自分の周りから大切な人が遠退いてしまうことをひどく恐れていることもまた、たまこ本人よりずっと敏感に感じていたのではないでしょうか。
“男の子”として意識されていないとしても、もち蔵は自身がたまこに大切に想われている存在であることは理解していると思います。
だから手前勝手な恋愛感情を押し付け、たまこがそれに応えられなかった時、今までのように一緒にはいられなくなる。
お互いの気まずさ、引け目、気後れ。
そうなった場合に上手くフォローしてあげられるほど、自分ができた人間ではないことをもち蔵自身が良く分かっているんです。
それは自然とふたりを隔ててしまうこと、つまりは、たまこからもち蔵が遠退いてしまうことを意味しているので、たまこが恐れていることを自分がしてはならないというストッパーが働き、ヘタレな性格も相まってもち蔵はなかなかその一歩が踏み出せないままだったように思います(距離を詰めようとはするものの、気持ちを伝えようとはアニメでもしていませんでしたし)。
だからこそ、一旦は“伝えない”選択をするに至った。
たまこを傷付けないために。
もち蔵、お前漢だな…。
けれどたまこから母への憧れを聞いたことにより、『ひなこさんのようになりたいけれどそうはなれない焦り』をたまこから感じ取ったのではないでしょうか。
そしてもち蔵は、『ひなこさんのようなたまこ』ではなく『ずっと一緒にいた等身大のたまこ』が好きなのだと、そんなたまこを今まで見てきたのだと、伝えずにはいられなくて一転して“伝える”選択へシフトしたのかもしれません。
形振り構っていられない、と。
伝える!と今度こそ揺るぎない決心で呼び止めたたまこは、安定のドジ属性がここでも遺憾なく発揮され、飛び石から足を滑らせて川に落ちそうになりますが、もち蔵は咄嗟に腕を掴んで引き寄せます。
ここで、たまこは昔とは違うもち蔵を目の当たりにすることになり、たまこの中で『いつまでも変わらないもち蔵』が揺らいだ描写が、たまこの表情で描かれています。
恐らく初めて、もち蔵に“男の子”を意識した瞬間です。
とは言えその一瞬で十数年培ってきた感覚を変える、なんてことはできません。
タイミングが良いのか悪いのか、とうとうもち蔵は抑えていた想いの丈(進路・告白)を、たまこにきちんと伝えるんです。
勢いで言ったものの決して勢い任せではなく、たまこの腕を強く掴んだまま、瞳を見て、それはそれはしっかりと伝えられます。
よっしゃ!良くやったぞもち蔵!男見せたな!!
鑑賞している側としてはもち蔵のこの頑張りをそう讃えたいところなのですが、その後のたまこの反応がえらいことに。
驚きのあまり結局川に落下、慌ててもち蔵に引き上げられるもののべらんめぇ口調になってしまい、荷物も置いたままぎくしゃくした動きでそそくさと帰ってしまいます。
たまこは家まで慌てて走るのですが、この演出が本当に素晴らしい!
いつもなら商店街のみんなに元気よく「ただいま!」を告げるのに、たまこを包む背景は見慣れた商店街の景色や人ではなく、色めきだった抽象的な夢のような世界に切り替わっています。
驚き、慌て、焦り、好意、それらが織り交じった幻想的な色合いの背景が、たまこの心情を非常に良く表していました。
ここからふたりのちょっぴり切ない擦れ違いが始まります。

実は、何だかんだでたまこももち蔵を憎からず想ってるんだろうなと考えていました。
もちろんそれは男の子として。
でも告白を受けてすぐの反応、それからのたまこの言動を見る限りでは、たまこにとってもち蔵が抱えている自分への好意というのは寝耳に水だったのか…もち蔵、不憫なり。
と思わされてしまうのですが、この辺りのことは後述で。
そういう混乱を差し引いても、たまこの反応は可愛いながら私としては少し意外だったかなぁと。
そりゃ“ラブストーリー”と冠し、ポスターのふたりを見て、予告PVからももち蔵がたまこに告白することは観ずとも分かり切っていたことなので、ある程度どんなものかの予想くらいはしていました。
だから結構冷静に、受け止めるものだと思っていたんです。
「良く考えてから返事するね」くらい、驚きながらも淡々と切り返すんじゃないかって。
なのにその真逆をいってくれたので、嬉しい誤算というやつでした。
たまこの慌てっぷりは笑えるし、可愛いし、もち蔵の不憫さを隅にやると大変おいしゅうございました。


●変化を恐れるたまこ
もち蔵との変化が訪れる前に、様々な変化の兆しが示唆されています。
さっきも言ったとおり、高校三年生。
仲の良いみどりちゃん、かんなちゃん、史織ちゃんとの学校の帰り道で、それぞれ今後をどう考えているのかの話が出て、たまこは若干不安がるような表情を漏らします。

たまこは、家のお餅屋さんを継ぐ。
みどりちゃんは、進学(ただし、具体的な学校等などは未定)。
かんなちゃんは、建築を勉強するために進学。
史織ちゃんは、英語の勉強をするために進学(留学も視野に入れている)。

これらが現時点でのそれぞれの進路です。
家業のある人間にとっては特別なことではないのかもしれませんが、第三者からするとその年で家業を継ぐ、と決めているのは立派な志じゃないですか。
実際たまこが家を継ぐと言うと、史織ちゃんは「すごい!」と言っていますし、それが世間一般の意見だと思います。
たまこは小さい頃からお店を手伝い、そこで働くおじいちゃんやお父さんをずっと見てきました。
たまこ自身無類のお餅好きですし、新商品の開発をいつも考えているくらいお店のことも大切に想っていますから、家業だからと言って決して強制されたものではなかったと思いますし、自然とお店を続けていきたいという感情が長年で培われたのではないでしょうか。
それはとても素敵なことだし、やりたいこととやらねばならないことが合致している環境が整えられているというのは、未知の領域に足を踏み込まねばならない者にとって非常に恵まれているようにも映ります。
たまこの決意している進路は十分に羨まれたり、感心されるに値するものです。
ですがたまこにとっては、家業を継ぐというのはいわば『当たり前』のこと。
お餅が大好きで、お店も大好きで、商店街が大好きで、お客さんも大好きで、大切な家族が代々守ってきたものを受け継ぐというのは「私、これがしたい!」という降って湧いたような感覚ではなく、成長すると共に自然と培った緩やかな気付きだったため、何となく流れでそう決めてしまっているような曖昧なものに感じてしまったのかもしれません。
だからこそ、新しい場所に進もうとしているみんなが立派に見えてしまう。
近しい人たちの変化が、そんな不安を芽吹かせたところでもち蔵の一世一代の告白を受けてしまったものですから、たまこがパニックになってしまうのも無理はなかったように思います。
もち蔵はたまこがあれだけ挙動不審になったのは、自分の気持ちに驚いて困らせてしまったと受け取ってしまいましたが、実際はもち蔵の好意云々以上にふたりの関係の変化の兆しへの戸惑いだったのでは?と。
いつまでも変わらず、このまま穏やかで楽しい毎日をみんなと過ごしたいという感情がたまこの根底に流れていて、もちろんそれはもち蔵だけでなく友達も家族も、商店街のみんなも含まれてのことです。
でもたまこだってドジではあってもバカではありません。
友達がそれぞれやりたいことを見つけ、そのために次のステップに進む時(進路)が必ず来ることは分かっています。
いつまでもこのままでいられたらいいのになぁ、という願望とは裏腹に、それは無理なことなんだ、と同時に理解できています。
でも、もち蔵に関しては普遍的なものだと思っていた。
もしくは、思い込もうとしていたのではないでしょうか。
お向いの家、自分の部屋から見える窓の向こう側にいつももち蔵がいて、合図を送れば糸電話の紙コップを投げてくれ、話したい時にいつでも話せ、毎朝起き抜けにすぐ「おはよう」の挨拶をし、いつまでもこの商店街で同じお餅屋さんの娘と息子として、幼馴染として、当たり前に変わらず自分の傍にいるものだと思っていたからこそ、突然告げられた東京への進学、そして向けられた好意はたまこにとって思いもよらない事態だったということです。
自分の与り知らぬところで起こっていたもち蔵の変化、誰よりも近くにいて理解していると思っていた相手を何ひとつ理解できていなかったことへの戸惑い、そういったものが一気に攻めて来たために、もち蔵の言葉や感情をいつものように上手く受け止めることができなかったんだと思います。
変わることが恐いということを、たまこ自身も分かっているんです。
一生懸命努めて普通にしようと思えば思うほど、もち蔵を避けてしまったり、奇妙な言動をしてしまったり、もち蔵に気付かれないように盗み見てしまったり、とにかく何もかもが今までのようにいかなくなる。
普通に話すこともできないまま時間だけが過ぎていく中で、事件が起きます。
おじいちゃんがお餅を喉に詰まらせて、救急車を呼ぶ騒動。
たまこの父、豆大さんは配達に行っていたためその場にはおらず、吾平さんと道子さん(もち蔵ママ)が豆大さんの代わりにたまこたちの傍にいてくれているにも関わらず、おつかいから帰って来たもち蔵にたまこは脇目も振らず助けを求めました。
まるで“一緒にいて”とでも懇願するように、不安や恐怖を素直に表情に浮かべます。
そしてもち蔵もまた、今までの気まずさや後悔を投げ捨て、たまこの求めに応じます。
「俺も一緒に乗ります!」と救急車への家族の同乗と共にすることを瞬時に決め、たまこの傍にいようとするんです。
この時点で、答えは出ているようなものなのですが。
頼りになる大人が目の前にいながら迷わずもち蔵を求めたということは、それこそが余裕のない思考が導いた究極の本音です。
おじいちゃんは結局大したことはなく、豆大さんが病院に駆け付けた頃には既にピンピンしており、数日の様子見入院で済むことになりました。
その際、入院の手続きをするためにもう少し残るというたまこに道子さんの計らいでもち蔵を残して大人組は先に帰ります。
ドタバタでお互い気まずさなどすっぽ抜けていたさっきまでとは打って変わり、心配事がなくなったふたりには再び、気まずさが押し寄せます。
この辺りではたまこも恐怖から目を反らすのではなく、少しずつ前を向かなければと思い始めていたのですが、たまこのあまりの元気のなさは自分が好意を告げたからだと思っているもち蔵は、これ以上困らせるわけにはいかないという気持ちから「なかったことにしていいから」と良かれと思って伝えるのが!もう!切ない!
何回擦れ違えば気が済むんだお前たちは!とBBAは悔しくて泣きました。
ようやく前向きになり始めた時に、再度思いもよらないもち蔵の言葉にたまこはまた悩むことになります。
言ったことをなかったことにしてくれってどういう気持ちで言うものなの?
たまこはそれを友達に相談し、もち蔵がどうしてそんなことを言ったのか、自分はどうするべきなのかを改めて考えます。
ここで友達の言葉から、ようやくたまこは自分にとってもち蔵がどんな存在なのかを認識し、どうありたいのか、はっきりとした“気付き”を感じることになります。
そして、とあることを思い出すんです。

たまこは昔、お餅が嫌いでした。
今のたまこからは考えられませんが、嫌いだった理由が何とも可愛らしい。
幼い頃、もち蔵はいちいちたまこにちょっかいを出し、からかっていました。
おさげを引っ張ったり、『餅屋の北白川たまこ』だから『しらたま』と執拗に呼び、今となっては可愛らしい話でも当時のたまこにとってはたまってものではありません。
家がお餅屋だからこんな意地悪を言われるんだ、という極論に至ります。
どうしてうちはお餅屋なの?とおじいちゃんに泣いて訴えかけ、困らせてしまうのです。
それが昔、たまこがお餅嫌いだった理由。
そこでひなこさんが「もち蔵くんはたまこのことが大好きなのね」と、大人だから分かる“好きな子にはつい意地悪をしてしまう”意味をたまこに説きます。
決して嫌っているから意地悪をしているんじゃないよ、と。
しかし、そうしてたまこを励ました優しく温かく大好きなひなこさんが不幸にも亡くなってしまいます。
落ち込むたまこを何とか元気付けようと、大福に顔を描いて励ましてくれた誰かがいました。

「泣くなよ」

大福が喋ったその時からたまこはお餅が大好きになるのですが、その喋る大福の正体は豆大さんだとずっと思っていたんです。
でもそれはたまこの記憶違いで、本当はそうして励ましてくれたのが自分にずっと意地悪をしていた幼いもち蔵だったことを思い出します。

「泣くなよ。ひなこちゃんに笑われるぞ」

そう言って笑顔で接してくれたもち蔵を、はっきりと思い出した時のたまこの表情ったら!
お餅が嫌いになった理由はもち蔵。
そして、お餅が大好きになった理由もまた、もち蔵。
さっき“気付き”と言いましたが、それはその事実を思い出したからもち蔵に対する気持ちに気付いただけでなく、もち蔵がお餅で励ましてくれたあの時からたまこはずっと、もち蔵とお餅が大好きだったということに気付いたということです。
つまり、もうとっくにたまこにはもち蔵が特別な男の子で、大好きな男の子だったということでもあり、気付かない内にたまこ自身もしっかりと『変化』していたということです。

色々と上手いなぁ、と思うのがもち蔵との恋のあれこれとは関係のないものが、それに繋がっていくという構成。
バトン部に所属していながらもともとトスしたバトンを取るのは苦手なたまこですが、もち蔵とこじれた時から更にスランプに陥り、うさぎ山フェスティバルに参加するための練習では一回もそれを取ることができません。
しかも、取ることを恐がっているような描写です。
これはもち蔵の気持ちを上手く受け取れないこととかけられていることが、劇中たまこのセリフから分かります。
見兼ねたみどりちゃんやかんなちゃんが練習に付き合ってくれる中、それでも一向にスランプから抜け出せる気配はなく、たまこがあれこれ考えすぎるあまり悪化の一途を辿ります。
そしてその考え事は部活だけではなく、日常生活にまで支障をきたし、毎日休むことなく手伝っていたお餅作りすらままならない状態です(※このお餅苦手現象については後述)。
こちらも見兼ねた家族が、休むように言い付けてたまこも大人しく従います。
そんな様子のおかしいたまこに対して、風邪でもひいたのだろうかと周囲が心配するように、たまこも「風邪かもしれない」と気持ちの問題ではなく体調の問題だと言い、心配させまいと、あるいは自分でもそう思い込もうとしていたのかもしれません。
印象的だったのが、「(風邪を)こじらせないでね」という史織ちゃんの言葉。
この時点では史織ちゃんはたまこに降りかかった事情を知りませんから、心からたまこの“風邪”を心配しての気配りです。
でもたまこや鑑賞している私たちには、その言葉が『あれこれ悩みすぎるとこじれて大変なことになるよ』と響く。
度々史織ちゃんの言葉が、間接的にもち蔵との関係に悩むたまこの心に触れます。
後半にかけてたまこが気持ちを整理するきっかけを与えたのもまた史織ちゃんの言葉であり、違う話をしていながら本質を突きます。
留学をしたいけど環境が変わるのが不安だ、と言っていた史織ちゃんですが、短期留学をすることを決意します。
頭で考えていても不安ばかり見つけてしまうから、まずはやってみることから始めたい。
どんなことでも誰だって、初めてはある。
だから恐がらずに一歩進んでみようと思う、という留学に対する決意表明も、もち蔵との変化が恐くて一歩を踏み出せないたまこの背中を押すことになります。
今回史織ちゃんは、たまこに気付きを与える役割に徹しています。
非常に重要な役割です。
事情を知らないにも関わらず、史織ちゃんの言葉が偶然にもたまこが直面している問題を辿る形になっているですが、もち蔵から告白を受けたことを相談された時に、今度こそ直接的にたまこ自身もいまだ曖昧な本心をズバリと突きます。
「大路くんに告白されて驚いちゃったんだね。たまこ、寂しかったんだ?大路くんのこと、好きなんだ?」と。
たまこは言葉でこそ返事をしませんが、“そうだったんだ”と気付いたことは表情で語られています。
何もたまこに気付きを与えているのは史織ちゃんだけでなく、友人たちはみんな、今回ひとつの役割を当てられそれに従事しています。
史織ちゃんは、間接的に言葉で。
みどりちゃんは、直接的に行動で。
かんなちゃんは、円滑剤として。
友人全員が狂言回しに徹しています。
たまこは良き友人を持っているなぁ。
それもまた、たまこの人徳の成せる業とも言えますね。
そんな友達からの後押しがあったからこそ、たまこは自分がすべきことを見つけるに至るので、いわばたまこともち蔵の(超絶可愛い)キューピットです。
確かにそれぞれ、別々の進路に今後進んでいくことになり、それはどうしたって避けられるものじゃありません。
立場が変わり、環境が変わり、今のように学校に行けば当たり前に一緒にいられる関係ではなくなってしまいます。
でも、これから先もずっと良き友達としてその時その時に応じた形を築いていける4人なのだろうということが、これらのやりとりで十分に伝わってくる。
4人のシーンはどれも、そんな未来を想像させる素敵なものばかりでした。


●お餅ともち蔵
もち蔵から告白を受けた後、たまこは『餅』を全て『もち蔵』と言ってしまう謎の症状に見舞われます。
「もち蔵焼こうか?」「柏もち蔵50個ね」「もうすぐ紅白もち蔵も準備しなくちゃ」などなど。
当人は『餅』と言っているつもりですが、口から出る言葉は全て『もち蔵』。
なので家族は「何言ってんの?」ってなもんです。
おじいちゃんから指摘されて初めて、自分がお餅のことを『もち蔵』と口走っていることに気付き、そこからしばらくの間たまこはお餅が苦手になってしまいます。
うっかり『もち蔵』と言ってしまう場面は、コメディータッチで面白いですし、鑑賞している側としてはついつい笑いが漏れてしまうのですが、これ結構深いなぁと。
思いがけない告白に、もち蔵のことばかりを考えていたから『餅』と付くもの全てのものが響きの似ている『もち蔵』に変換されてしまった、という文章にしてしまえば味気もクソもないことです。
ではどうして、響きは似ているとは言え『お餅』と『もち蔵』は全くの別物にも関わらず、たまこは寝ても覚めても考えていたお餅のことを“苦手”とまで言ったのか。
さっきも言いましたが、たまこがお餅を嫌いになったり大好きになったりする背景には必ず、もち蔵の存在があります。
言い間違いをしている時はまだ、お餅で自分を励ましてくれたのは豆大さんだと思っているので、伏線というやつです。
『もち』という響きだけでなく、既にこの頃からお餅そのものすら『もち蔵』を連想させてしまう。
だからお餅を見ることすらしんどくなってしまっていたということ。
そして、励ましてくれた相手が豆大さんではなくもち蔵だったという記憶違いを正したことにより、『お餅』と『もち蔵』の関連性がたまこの中でイコールで結ばれることになります。

上記のことからお餅はもち蔵とかけられています。
幼い頃は意地悪をするもち蔵が嫌いで、お餅屋さんが理由で意地悪をされているのでお餅も嫌いでした。
そしてもち蔵の想いに悩んでいる時は、分からなくなってしまったもち蔵が苦手になり、お餅も苦手になってしまいます。
常にたまこの中で、もち蔵とお餅に対する感情が連動しているということです。
つまり【もち蔵=お餅】ということ。
と言うことは、アニメで【お餅が大好き】としつこいほど描かれ、劇中の最初の方にはかんなちゃんから『餅大好き変態娘』と呼ばれるほどお餅好きを印象付けられているたまこは、【もち蔵=お餅】を踏まえて考えると、ずっと【もち蔵が大好き】だったということになります。

字面だけを見ると「んなアホな…」と思ってしまいますが、これはもう映画を観てもらえば一目瞭然です。
そういう意味が込めて『もち蔵』と言い間違いをしてしまったのか、とめちゃくちゃ納得できます。


●バトンとたまこの我が儘
うさぎ山フェスティバルにバトン部が参加することになったので、いつもはしない朝練までして練習を積みますが、ちょろっと前述しているとおりたまこはトスしたバトンを練習では一度も受け取ることができません。
そうして迎えたフェスティバル当日、バトン部が一丸となって演技するために円陣を組み、掛け声を上げます。
その時、ひとりずつ好きなものを挙げて手を輪の中心に伸ばすんですが、『パンケーキ』や『クマ』など、各々想い想いに好きなものを告げる中、たまこははっきりと『お餅』と言います。
フェスティバルが行われた頃には、たまこの中でもち蔵への想いはほとんど固まっている時系列なので、迷わず『お餅』と声を上げたたまこに私の涙腺は直撃を食らうことになりました。
何より練習では一度も成功しなかったバトンのキャッチを、本番では見事にやってのけます。
ずっと受け取れなかった(受け取るのが恐かった)ものをきちんと、掴むことができたということ。
つまり、もち蔵から伝えられた想いをたまこがはっきりと受け取れた瞬間、ということでもあります。
ここからは憑き物が落ちたように、一皮剥けたたまこは怒涛の変化を見せてくれます。
インフルエンザによる休校が連絡網で回ってくるのですが、たまこの次がもち蔵。
たまこからもち蔵にその連絡を回さなければ、もち蔵は明日休校だということを知らずに学校に行くことになってしまいます。
もち蔵の想いを受け止め、きちんと彼に返事をすると決めたたまこは、もち蔵とふたりで話をする時間を作りたくて、意図的にもち蔵に連絡網を回さないという暴挙に。
今までのたまこなら、絶対に考えられない行動です。
でもたまこは、形振り構わずそれを選択しました。
次の日、誰もいない教室でたまこは自分の席に座りながらもち蔵が登校してくるのを待ちます。
机の上には、道子さんに協力してもらい入手したいつももち蔵が投げてくれる糸電話を置きながら。
廊下を進んで来る足音に緊張を隠せない様子でソワソワし、扉が開けられる瞬間は耐え切れずに思わず瞼を堅く閉じてしまうのですが、教室に顔を出したのは来るはずのもち蔵ではなくみどりちゃんでした。
みどりちゃんからもち蔵がここに来ないこと、9時過ぎの新幹線で東京に行くこと、そしてそのまま東京の学校に転校して大学を目指すことを伝え聞きます。
そしてたまこは考える間もなく席を立ちあがり、ずっとふたりの声と言葉を繋いでくれていた糸電話を手に教室から飛び出し、もち蔵を追いかけるのです。
実際は、オープンキャンパスに参加するために東京へ行くだけなのですが、みどりちゃんの些か乱暴な発破がけにより、もち蔵が遠く行って帰って来ないかもしれないと焦るたまこは必死に走り、京都駅のホームに辿り着きました。
到着した新幹線に乗り込む直前のもち蔵を見付けたたまこは、周りの目を気にすることもなく「もち蔵!!」と何度も大声で呼びます。
どうしてたまこがここにいるのか分からないもち蔵は、夢ではないかと頬をつねったり叩いたりと、現実かどうかを確認するのですが、これがまた可愛い!
そんな混乱しているもち蔵を構うことなく、たまこが壮絶な我が儘をぶちまけます。
行かないで!と。
今までずっと一緒にいたのに、どうして遠くに行っちゃうの!と。
もち蔵はとうとう乗るはずだった新幹線を見送ってしまうことになり、たまこの初めての我が儘は成就します。
そして物語はフィナーレへ。


●みどりちゃんとは
彼女のことを語らずに、最後を締めくくるわけにはいきません。
小学生の頃からたまこの親友として、常に傍にいる女の子です。
みどりちゃんのおじいちゃんも、商店街でおもちゃ屋さんをしているので、家同士は昔馴染なのでしょう。
だから友達になるよりずっと前の幼い頃から、みどりちゃんはたまこのことを見ていました。
それは劇中で一瞬だけ映る描写なのですが、ひなこさんのお葬式にみどりちゃんも参列していたんですね。
豆大さんの隣りに佇むたまこを、おじいちゃんの服を掴みながらじっと見ているみどりちゃん。
そんなみどりちゃんに気付くこともなく、たまこはただただもち蔵を見つめていました。
みどりちゃんはこの頃から、たまこともち蔵の間にある何かしらを感じていたのでしょう。
仲良くなったとしても決して自分が踏み込めない関係性を、第三者であるみどりちゃんはずっと羨ましくも妬ましくあったのかもしれません。

みどりちゃんがたまこに対して抱いている感情は、とても複雑です。
女の子同士の親友、が一番ぴったりくる肩書きなのでしょうが、その言葉には収まり切らないものをみどりちゃんが内包しているからです。
友情だけではなく、恋愛感情よりの親愛。
感情に名付けないとするなら、みどりちゃんはきっとたまこの一番になりたかったのだと思います。
だからアニメでもたまことの距離を縮めようとヘタレ根性を踏ん張りながら頑張るもち蔵をことごとく邪魔したり、たまこともち蔵が関わっているところを見るといい顔をしなかったり、割と露骨にもち蔵に対してツンツンした態度です。
みどりちゃんにとってたまこは誰よりも特別なのに、たまこは自分と同じ感情を同じ大きさでは返してくれないことを理解しており、そしていつか欲しかったそれを手にするのがもち蔵だということを本能的に察していたのかもしれません。
極端にひどい言い方をするなら、みどりちゃんは決してもち蔵と同じ土俵には立てないのです。
それは性別云々だけではなく、たまこと共に過ごしている時間の長さが違いすぎる。
何せもち蔵は生まれた時から一緒にいた、と言わしめるほどたまこと時間を共有しているからです。
過去に過ごした時間はどう逆立ちしたって敵うものではありませんし、みどりちゃんがどれだけ昔からたまこを見ていたとしても、たまこはそれに気付いてはいませんから、たまこにとっては『小学生の頃からの親友』という位置付けにしかならないのです。
もちろんたまこもみどりちゃんを大切に想っていますし、友達の中では一番の古株ですから、今回のもち蔵騒動の一件でもみどりちゃんには自分から他の誰よりも先に相談を持ちかけるくらい信頼している証だと思います。
みどりちゃんにとっても真っ先に頼る姿勢を見せてくれたことは嬉しかったでしょうが、正直それは彼女にとって最も望んでいるポジションというわけではありません。
たまこに対して自分ができないことを先々にやってのけてしまうもち蔵は、みどりちゃんにとってはやはり羨ましくもあり妬ましいのでしょう。

劇中で、みどりちゃんは相変わらずもち蔵に手厳しい態度で接するちょっと意地悪なところが目立ちます。
もち蔵がたまこに告白するに至った土台を提供したのは、奇しくもみどりちゃんなのですが、もち蔵を言葉巧みに追い詰め「いつやるの!?」「今でしょ!」のノリで、今日告白すると宣言させたのは何も、このままでは進展の見込めないふたりに対して助け舟を出したわけではありません。
これはれっきとした意地悪であり、挑発です。
今日告白する!と言わせたけれど、結局あんたは意気地がなくてできないでしょ。
そんな魂胆がありました。
けれどそのやりとりの後、みどりちゃんは自己嫌悪していると告げます。
自分がどれだけ幼稚なことをして、もち蔵に八つ当たりをしているのかを理解しているからです。
そして彼女の予想を反してもち蔵がたまこに告白をしてしまったことから、みどりちゃんにも心境の変化が訪れます。
予想外なもち蔵の行動、そしてそれに伴い今まで見たこともないほど狼狽えるたまこを目の当たりにすることで、もち蔵の必死さやたまこが本当はもち蔵をどう想っているのか、自分がたまこのために何をすべきだったのか、何をしてあげられるのかを知ります。
意気地なしでヘタレで、過ごした時間の長さだけを頼りにたまこの周りをちょろちょろと動き回っていると思っていた男が見せた底意地、そしてたまこの普遍性を望む価値観をその男がひっくり返したことに、みどりちゃんは「見直した」と素直にもち蔵へ伝え、自分にはできないことをやり遂げたもち蔵を讃えます。
ここがみどりちゃんの良いところですね。
もち蔵が東京の学校に転校する、と嘘を吐いてまでたまこの背中を押すという行為は、敵に塩を送るということです。
それでもあえてその役を買って出たのは、みどりちゃんにとってたまこが変わらず一等特別で大切な存在だったからでしょう。
ずっと見つめ続けてきた女の子が、変わることを恐れて立ち止まっていたたまこが、自分から一歩大きく踏みしめるところを見届けるのは自分でありたい。
そんな想いがあったのかもしれません。
京都駅に駆けるたまこを見送った後、教室でぼんやりとたそがれているみどりちゃんに、人がいない間にこっそり棚を作ろうと学校に来ていたかんなちゃんが声をかけます。
たまこが懸命に走る姿とみどりちゃんの様子から、かんなちゃんもこれからたまこが何をしようとしているのかを察し、自分の高所恐怖症の克服に付き合ってくれとみどりちゃんにお願いします。
木登りに向かう途中、駆けながらわー!とみどりちゃんが叫ぶんですが、それが何とも清々しくて、だけどどこか痛々しくもあり、彼女なりに精一杯前を向こうとしている強がりにも見えつつとても楽しそうで、すごく共感できました。
そうしてふたりで協力して、かんなちゃんは木の上から景色を臨むことができ、史織ちゃんの言葉がここでも活きていますね。
清々しい表情のふたりが、印象的でした。
こうした女の子のちょっとした意地悪な部分を憎めない形で差し入れたり、複雑な感情を上手に回せているのは脚本も監督も女性ならではの観点だったように思います。
男の人が手掛けると、みどりちゃんのようなキャラはとてつもない嫌味な女になっていたかなぁと。
みどりちゃんはそれだけ紙一重で、非常に難しいキャラだったと思います。


●清々しい感動のフィナーレ!
無事に再会できたもち蔵に、たまこは糸電話を投げ渡しますがうっかり紙コップをふたつとも投げてしまいます。
慌てて受け取るもち蔵の仕草や、ふたつとも投げてしまって焦るたまこも両方めっちゃくちゃ可愛い!
結局いつものように、もち蔵からたまこに『たまこ用』の紙コップが投げられます。
ここまで散々言っているように、たまこはドジです。
数えきれないほど繰り返してきた糸電話でのやりとりも、もち蔵から投げられた紙コップを無事受け取れる確率は100回に1回くらい(もち蔵調べ)だというのだから、真性のドジっ子です。
そう言えばアニメでもまともに取れたことなかったっけ。
そんなたまこが、もち蔵の投げた紙コップを最後の最後にきちんと受け取ります。
誰よりもたまこが一番驚いているところを見ると、100回に1回の成功率はあながち大袈裟じゃないのかもしれません。
十分声が届く距離にいるのに、面と向かっているのに、あえて糸電話を使う演出が憎い!
序盤でたまこに進路の話と告白を糸電話で伝えようとしていたけれど、結局叶わなかったリベンジというところでしょうか。
ふたりを繋ぐ大切なツールであり、思い出が詰まっている大事な糸電話の紙コップを受け取れるかどうかというのは、ゲン担ぎみたいな意味合いもあったようです(パンフより)が、私が感じたのはもち蔵から投げられた紙コップがあの日伝えたもち蔵の想いそのもので、それをたまこが必死に受け取る。
つまりはもち蔵の想いを受け取り、受け入れたという意味。
そして糸電話越しにあの日にはまだ言えなかった、ようやく見つけたたった一言の返事を伝える非常に美しいワンシーンだったと思います。
物語はそこで終わりです。
たまこが返事をし、暗転。
そしてその返事を受け取ったもち蔵が手で口元を抑えて、エンドロールと相成ります。
清々しいほど潔い終わり方は、アニメの頃から燻っていたふたりの関係を綺麗に決着させつつも、これから始まるふたりをもっと観たい!と思わず地団駄を踏みたくなる心地良いじれったさが良い意味で尾を引く、そんな幕引きでした。
エンドロールにはもち蔵が撮影したであろう“その後”らしき映像が流れ、直接的にたまこともち蔵がどうなったかのシーンはありません。
ただひとつ、最後に映し出されるふたり分の影が手を繋いでいるようにも見え、たまこらしき影がそっともち蔵らしき影に寄りかかり、もち蔵らしき影もまたたまこらしき影に寄り添うシーンだけが、“接触”という次のステップへ順調に進んでいる様子を匂わせていくれています。
(パンフの一番後ろには、京都駅から帰って来たであろうふたりがお互いに糸電話(たまこはもち蔵の紙コップ、もち蔵はたまこの紙コップ)を握り合っている絵があり、直接手は繋いでいないにしろ、そうとしか見えないという粋な演出です)
まっことハッピーエンド!
文句なしの大団円!
川に落ちかけるたまこを阻止した勢いで告白した時と、結局落ちてしまったたまこを引き上げる時のどうしようもないハプニングのみがふたりの肉体的接触で、それ以外の身体を用いた触れ合いは一切排除されています。
恐らく意図的に。
いつもすぐ傍にいて、触れられる距離にお互いを感じているのに遠く平行線を辿っていたふたりの想いが、寄せては返し、擦れ違っては遠退き、そして最後に重なるという『心の物語』だったと思うので、その演出の仕方は非常に好感を持てました。
たまこともち蔵のキャラを考えると、想いが通じた瞬間に―――なんてのは、やっぱり野暮に映ったと思うので。
とにかく素晴らしいラストでした。


●所感
観て良かった!
この一言に尽きます。
どれだけお金払っても、時間が許されるだけ何度だって観たい。
もっともっと細かく、色々な部分をいっぱい観たい。
どんな展開になるのかを知っても尚、面白味が尽きない。
リアルで、だけどアニメならではで、ただ純粋にキャラを応援したくなる、そんなアニメ映画は本当に久しぶりでした。
これ以上長くなると流石にアレなので、商店街のみんなのことは今回省略させてもらいましたが、映画でも大変良い味を出してくれています。
特にレコード喫茶「星とピエロ」の店主は毎度ながら、ナイスタイミングで絶妙な助言。
『後悔は行動したもののみの特権』的な言葉は、後悔ばかりに苛まれていたもち蔵に大きな影響を与えましたし、いつもは砂糖を入れるコーヒーに何も入れずそのまま飲む場面は、たまこに対する想い全て、後悔ごと何もかもをもち蔵が受け止めひとつ大人になったことが見て取れます。
そしてそれぞれの家族が、本当に良い。
普段は商売敵としてお互いの考えが不一致故に衝突する両家の父親も、いざとなれば困っているお互いの家族のために尽力します。
豆大さんが不在の際、おじいちゃんがお餅を詰まらせ混乱しているたまこたちの傍にいち早く駆けつけた大路夫妻、吾平さんが東京行きに反対していることを知りつつ、たまこに好意を寄せるもち蔵にいつも厳しい態度で接しながらも激励と居場所を示した豆大さん。
両家ともに、お互いの子どもたちをとても大切に想っていることの表れです。
本来ならもち蔵へその言葉を向ける役割は父親である吾平さんなのでしょうが、吾平さんが認めていないことからかけてあげるべき言葉をもち蔵が受け取っていないと察した豆大さんが、父親代わりを果たした場面です。
まぁ、いつか本当に『お義父さん』と呼ばれる日がくるのでしょう。
その頃も変わらず、「テメーのお父さんじゃねぇ!」と言われるふたりだったらいいなぁと思います。
もち蔵は大変だろうけど。

両家に関して面白いなと思うのが、同じお餅屋さんながら全く逆を向いていること。
たまこの家は古き良きお餅屋さんを徹底して貫くスタイルに対して、もち蔵の家は新しいものを次々に取り入れていくスタイル。
だから家の中も白北川家が昭和チックな佇まい(カセットデッキや黒電話、丸いちゃぶ台など)に対して、大路家はリフォームしたこともあり現代らしい佇まい(食卓テーブルなど)。
それはたまこともち蔵、それぞれの子どもたちにも色濃く受け継がれているんですよね。
もち蔵は今時の高校生らしくスマホユーザーですが、たまこはガラケーユーザーなどなど。
この対比がまた、たまこともち蔵の考え方をも表しています。
たまこは変わらないことを望み(昔ながらのものをいつまでも使い続ける家風)、もち蔵は変わることを望んだ(変化を受け入れ取り入れる家風)。
そのためたまこは変わらないための努力を、もち蔵は変わるための努力をし、今回初めて大きく擦れ違う原因ともなりましたが、この一件でふたりとも『変わっていく中でも変わらない大切ものがある』ことをお互いを想う気持ちで知ることになったのではないでしょうか。

たまこは色々な人から一歩踏み出す勇気を与えられますが、その中でも一番の立役者はやはり今は亡きひなこさんが豆大さんの告白に対する返事を吹き込んだカセットテープの歌でした。
母は強し、ですね。
テープの中で披露されたアンサーソングは、あんこちゃんの言う通り音程もちぐはぐでお世辞にも上手とは言えません。
それでも、たまこやあんこちゃんには確かに感じる何かがそこにはあった。
恋をすること(変わるということ)が恐いのは、自分だけではないとうこと。
不恰好でも不器用でも、気持ちを伝えることが大切だということ。
必死な想いを吐露するということは、形振り構ってなどいられなくなるということ。
みんな手探りで生きている。
そうして一緒に生きていく誰かを見つけ、育み、大切に想うようになっていく。
自分だけが恐いわけじゃない。
もち蔵も同じで、かつては父と母も同じだったのだと知ることで、たまこは休校の連絡網をもち蔵に回さないという暴挙に出ます。
とにかく伝えたいという気持ちが、たまこをそうさせました。
ここでたまこはようやく、『母親のいない家庭を支える良き長女』という枠組みから、『ただの恋を知った17歳の女の子』になれたのです。

男を見せたもち蔵、の最後の方にたまこも憎からずもち蔵を特別に想ってると思っていた、と言いましたが、あながち外してなかったなと。
もち蔵が励ましてくれたあの時から、(記憶違いをしていたとは言え)たまこにとってもち蔵は間違いなく一等特別な存在だったのだと思います。
ただ、変わることへの恐怖がたまこの『恋愛感情』というものの発育を阻害してしまっていた。
そして長い時間、ふたりがあまりにも当たり前に傍にいすぎてしまった。
たまこが家業を継ぐと決めた理由で述べたのと同じく、もち蔵に関する感情もまた、たまこにとって『当たり前』であり、日々の繰り返しの中緩やかに積み重なったものだからこそきっかけがなければ気付けなかったのです。
同じ商売をしている家柄で、お向いに暮らし、家族ぐるみの付き合いがあり、同じ道筋を辿って成長してきたからこそ、これから先も同じように時間を重ねていくものだと信じて疑っていなかったのでしょう。
だけど現実はそうならない。
もち蔵は自分の進路をきちんと考えた上で、家から、この商店街から、たまこから、進学を理由に一旦離れることを決意しました。
極め付けが、たまこに注ぐ感情にもち蔵は随分前からきちんと名前を付けてあげられていたということ。
同じ、と信じて疑わなかったたまこにとって、もち蔵の変化は他の誰のそれよりもずっとずっと不安で、寂しくて、心細くて、傍にいないことが考えられなくて、そこまで理由が揃っているにも関わらず『もち蔵と離れたくない』と感じている自分に気付くことができなかったのはまさしく、恋愛感情というものが育っていなかったからだと思います。
ようやくくっ付いた!という安堵がありつつも、ふたりの恋は始まったばかりです。
今回はみどりちゃんの嘘を真に受けたたまこの介入でもち蔵はオープンキャンパスに行けなくなってしまいましたが、もち蔵が東京への進学を諦めることはないでしょう。
たまこが訴えた『行かないで!』という我が儘も、有効だったのは今回限りです。
離れたくない、なんてのはたまこ同様もち蔵だって感じています。
それでも、東京で本格的に勉強したいという強い希望が、居心地の良い場所から飛び立つ決意を固めさせたほどですから、こればかりはどれだけたまこが引き止めたとしてももち蔵はそれを理由に留まることはないと思います。
とは言え、あまりに唐突に告げられたもち蔵が遠くへ行ってしまうというみどりちゃんのショック療法から、まだ何も伝えていない状態で離れ離れになりたくなくて、たまこはもち蔵を咄嗟に引き止めてしまった形だったので、気持ちを伝え合った後ならしっかりと話し合い、お互い寂しいながらも納得した上でそれぞれの生き方を選択できるはずです。
そしてもち蔵は必ず帰って来る。
だって豆大さんと約束をしたから。
ここにはたまこが、家族が、今まで自分を育ててくれた全てが詰まっているから。
離れた土地でどれだけ辛いことがあっても、苦しいことがあっても、もち蔵には帰れるところがあります。
それほど心強く、安心できるものはありません。
きっと更に良い男になって、たまこのもとに帰ってくるのでしょう。

お話としては本当に、これ以上ないくらいに綺麗にまとめられていました。
パンフにも書かれていますが、余計なものが一切ありません。
たまこともち蔵の恋に注力されたストーリーは、誰のどの言葉にも無駄がなく、全てのシーンやセリフにおいてどれもこれも重要であり、何もかもに意味があります。
おかげでこんなに長くなりましたよ(遠い目)。
これでも精一杯削ったんだ…許してください。
完成度が高いので、続きとして何か出るというのは考えにくいかなぁ。
ここで終わった方が安全な気もするんですけど、たまこま好きとしてはあんこちゃんと柚季くんの恋模様も気になるし、成長したふたりのその辺りを見たい気もします。
そこでちょっとたまこともち蔵や、ふたりの友人たちが友情出演なんてのがあったらもう何も言うことないや(大の字)。
最高じゃねーの。

とにもかくにも、久しぶりに良い映画に出会えて嬉しかったです。
さて、あと何回行けることやら。





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