「はああ…良かった…」


校庭前のベンチに腰を下ろし、お弁当袋を片手に名前は大きく息を吐いた。

別のクラスの男子に声をかけるというのは、少し緊張するものなのだと女子校出身の名前は思い知る。

それと同時に、例の彼ーー黒羽くんが”普通”に会話してくれたことに、
情けないくらい嬉しかった。



――正直なところ、名前は今、クラスの中で少し浮いている。
嫌われているというより、むしろその逆の方向で。



そのことに気づいたのは、名前が授業中に消しゴムを落としてしまった時のことだ。

自然に友達ができればいい。そう思ってしばらく過ごしてきたけれど、
気づけばほとんど誰とも打ち解けられていない。珍しくもそんな焦りを感じていた頃だった。

ころんと床に転がった名前の消しゴムを、前の席の子がそっと拾って机に置いてくれた。
これは、何かのきっかけになるかもしれない。そう期待してしまった。



「…あっごめんね。ありがーー」

「いえいえいえ!滅相もないです…!」



……あれ、ちょっと反応がおかしい。ちょっとというか、かなり。
どうも同級生とは思えない返し。まるで教師にでも話すかのような敬語。
いや、教師にすらこんなに丁寧に話す子は見たことがない。

名前は話を広げるどころか、衝撃で固まってしまった。



そうなのだ。名前は、よく言ってしまえば立派な”高嶺の花”になっていた。

日々の稽古で身についた姿勢や言葉遣い。
祖父の家に引き取られてから徹底された礼儀作法や教養。
それが、無意識のうちに滲み出てしまっていた。

運動もできて、勉強もできる。美術を除いて。
清純派女優として売り出しはじめた、といっても疑わない見た目も作用し、
本人の預かり知らぬところで、“完璧な子”というレッテルが貼られていた。

実際は、ちょっと大雑把で抜けていて、誰よりも普通に友達がほしいだけの女の子なのに。


そのことに気づいた名前は何も手を打たなかった後悔に苛まれた。再び床を転げ回りそうだった。
祖父に引き取られる前は一般的な環境で育ったとはいえ、いつのまにか浮世離れした側の人間になっていたなんて。


確かに、自分の感覚が多少ずれていることは入学時から感じていた。

男女共学という時点でギャップは感じていたが、
制服の着崩し方や、生徒と先生のフラットな距離感も、すべてが新鮮で眩しかった。

極めつけは焼きそばパン。
炭水化物×炭水化物!?と驚きつつも、恐る恐る食べた瞬間に名前は新世界を感じた。

…購買のおばさんにクレジットカードを見せたのはいい思い出だ。
二人してあわあわしてしまった。



---



そんな“消しゴム事件”を経て、
少し心がくたびれた名前が唯一夢中になれるのが、父の絵を探すことだった。

美術教師だった父の痕跡を追い、空き時間を見つけては校舎内を歩いた。
構造を覚えつつ、美術室や資料室、被服室や旧教室など、思いつく限りの場所を見て回った。

限られた時間のなかでの探索。帰宅後は稽古もある。
それでも、どこかで父と繋がっていられる気がして、心が穏やかになる時間だった。

特に美術室だ。
誰もいない日の放課後に、こっそり絵具の匂いを吸い込むたび、
父の声が聞こえてきそうで、自然と目元が熱くなることもあった。

けれど、1ヶ月探しても父の絵は見つからなかった。


(……もし学校に置いていたとしても、もう、捨てられちゃったのかも)



先生達に聞いてみたい気持ちもあるが、
名前は中学2年の時に担任へ進路相談をしたことでハナを失った。

昴子の耳には絶対に入れたくなかった。
今でも父の絵を探しているなんて、知られたらあらゆる手できっと止められてしまう。

夕陽に染まる校門を前に、帰る足をふと止めた。
時計を確認し、まだ少しだけ余裕があるとわかると、くるりと踵を返す。


ーー父のスケッチブックに描かれていた、校舎の一角と桜の木。


ここだけは、受験の合否発表後にすぐ見つけた。

合否の掲示板で結果を確認した後、先生から首席合格であることを知らされた名前。
園子に電話で泣きながら報告した帰り道。

その風景と同じ構図のスケッチを見つけ、桜がちょうど満開で――
名前は、父に「おめでとう」と言ってもらえた気がして大泣きしてしまった。

…きっと周囲からは受験に落ちたと思われていただろう。



それ以来、少し落ち込んだ時は、自然とそこへ向かうようになった。
母のバイクと同様に、名前にとっての心の拠り所となってくれたのだ。
消しゴム事件後もしっかりお世話になった実績がある。


そっと腰を下ろして、風を感じていると、
後ろから部活中の男子たちの声が聞こえ、名前は少し肩が跳ねた。



「ーーお前、B組の黒羽ってやつ知ってる?あいつ超面白いよ」

「知ってる知ってる!俺あいつに手品見せてもらったもん」

「学生の域超えてるよなーまじ器用」



聞くつもりはなかったけど、声がよく通るのか自然と耳に届いてしまった。
そんな名前の中にふとある思いが浮かぶのだ。



「B組の、黒羽…」



名前は、幼い頃にフランスで男の子の手を取った時と同じ顔をしていた。
そして、その翌日。名前はB組の教室をそっと覗きに行ったのだった。





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