名前が名字家に引き取られ、もう数年が経った。
つい先日、桜がよく散っていった日。名前は14歳となった。


幼さはあるものの、花のつぼみのような可憐さがそっと顔をのぞかせている。

将来はきっと、誰もが振り返るほどの美人になるだろうと、周囲の誰もが思っていた。

10歳を過ぎた頃から、祖父やその縁者たちによって容赦なく武道を仕込まれはじめた。

その影響もあってか、中学生にしては所作や立ち居振る舞いに妙な気品が漂っている。


昴子の冷たい叱責は相変わらずだが、もう泣くことは滅多にない。

昔は声を殺してハナにしがみついていたが、今はただ、その鋭い言葉に背筋を伸ばすだけだ。

だが心の奥で、怒りが静かにくすぶっていることも、本人は自覚していた。



「ハナさん、大丈夫。自分で持てるよ」

「お嬢様……最近は益々ご立派になられて、ハナは嬉しゅうございます……」

「あはは、最近のハナさんは大袈裟すぎ」



ついに、ハナの背を追い越した。

彼女が抱えてくれる荷物を自分で持つのは、もはや当たり前。

最近では逆に、名前の方がハナの手を引くことも増えてきた。
ハナを支えられることは嬉しいけれど、ふとした拍子に、少しだけ寂しさを覚える。



「いってきます、ハナさん」

「はい。お気をつけて、いってらっしゃいませ」



車のドアが閉まる音とともに、名前の一日が始まる。

車内で使用人から経済新聞を受け取ると、名前は静かに礼を述べた。

この新聞を夕飯前までに読む必要がある。読んで終わりではない。

「要点を整理して3分以内に説明しろ」と、祖父と昴子に叩き込まれているのだ。

小学生の頃は内容が難しすぎて泣きそうになりながら読んでいたが、今ではもう日課になっていた。たまに読めない漢字があるくらいで。



名前が通っているのは、小中高一貫の私立女子校。
都内でも指折りのお嬢様学校で、なんと先生への挨拶は「ごきげんよう」なのだ。


ーー小学校の入学式。使用人に付き添われ、昴子と共に式に出席した時のことは今でも忘れられない。

“名字”という名が呼ばれただけで、上級生たちが一斉にスカートの裾をつまんで深々とお辞儀しながら、「ごきげんよう」と挨拶してきた。

ポカンと固まった名前の横で、昴子は当然のように澄ました顔をしていた。
もちろん帰宅後は、その態度の「気品のなさ」を叱責された。



ーーープルルル


車が走る中、名前の携帯が震えた。
新聞を閉じ、通話ボタンを押す。


「もしもし、園子? 朝からどうしたのー?」

『名前! おはよう! もう学校着いた?』

「んーん、今向かってるとこ!」


初めは戸惑いだらけだった学校生活も、今ではずいぶん馴染んだ。

いくら礼儀や格式が重んじられていても、生徒同士の会話は案外くだけている。
その気安さに馴染めたのは、園子の存在があったからだ。


ーー菫が小学1年生の頃、かつて保護者同士の付き合いで紹介された時のことだ。


"最近ではちゃんとご挨拶が言えるようになりましたのよ?"と言う昴子に背中を押され、
名前が例の挨拶を披露する。

すると、相手の娘――鈴木園子は腹を抱えて笑った。

「ぎゃははは! なにそれ、マジでいってんの!?」

あっけに取られた名前はまたしても硬直。
以後、その挨拶は封印された。



学校は違えど、二人はすぐに打ち解け、今では気兼ねなく話せる仲になっている。
昴子は園子を「素行に品位が感じられない子」として嫌っているが、名前は一度たりともそれに同意しなかった。


『いやーしかし相変わらずだね、あんたんとこのおばさま』

「その節はどうも。おかげで帰ってからも反省文を書かされましたわ。おほほほ」


先日、園子のイタズラで、名前の着信音が園子イチオシのイケメンアイドル曲に変えられていた。
それが授業中に鳴ったのだから、騒動にならないはずがない。



『そうだそうだ、今週土曜って空いてたよね? ちょっと付き合いなさいよ!』

「土曜?」

『前に言ったでしょ、アンタに会わせたい子がいるって。テスト勉強始まる前にさあ』


園子は幼稚園、小学校、中学校と、名前とは違ってごく一般的な学校に通っている。
その突き抜けた明るさは、鈴木家の教育方針の賜物かもしれない――そう思いかけて、名前は首を横に振る。

きっと園子はどこにいても園子だ。そう思うと、自然にくすりと笑みがこぼれるのだった。


「ごめん、園子。土曜はお父さんのアトリエに行く予定なの」

『……そっか。あたしも一緒に探そっか?』

「ううん、大丈夫。ハナさんが付き合ってくれるから」

『……なんかあったら、絶対連絡しなさいよね!』

「あはは、ありがとお」



通話を終えると、名前はふうっと小さく息を吐いた。
園子と話していると、ふわりと心が緩んでいく。
その時間が、今の自分にとってどれだけ貴重か、本人もよくわかっていた。


昴子は、名前の交友関係にも細かく口を出す。
あの子の家は落ちぶれている、あの母親は素行が悪い、などと聞こえるように言い、
時には学校に直接電話をしてくることさえあった。

ある日、昴子の干渉で泣かせてしまった友人の顔が、今でも忘れられない。
どれだけ謝っても、友人が「気にしてない」と微笑んでくれても――
その後まもなく、その子は転校していった。


そんな昴子が最も嫌っているのが園子だったが、
あの“鈴木”の名がつく限り、さすがに無碍には扱えない。

名字財閥と鈴木財閥。日本でも屈指の名家同士。

名字家当主であり名前の祖父こと、名字大覚。
鈴木財閥の相談役こと、鈴木次郎吉。

このふたりは若い頃から犬猿の仲らしいが、
今もなお協業するのは、お互いの技術と組織力が対等で、必要とし合っているからだという。



「……お嬢様、まもなく学校です。お鞄を」

「ありがとうございます。でも、自分で持てますので」



車の窓の向こうに校門が見えてくる。
女学生たちの群れに交ざれば、ほんの少し、気が紛れる気がした。




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