ジェラートはまるで宝石のようにカラフルで、ふたりの手にはこぼれそうなほど高く盛られていた。 チョコレートにピスタチオ、ストロベリー、マンゴー。 陽気な店主のもとで買ったそれを、こぼさないようにぺろりぺろりと舐めながら、 ふたりはそっと歩みを進めていく。 手がかりは、名前が持つ2枚の古い家族写真だけだった。 いずれの写真にも父と母が写っており、 父の絵を探すため、この写真のふたりを知る人がいないか聞き回っていた。 名前の小さな手には、 2枚目の写真ーー若き日の父と母が寄り添って写る写真が握られている。 その背景に写る坂道や石畳、緑に囲まれた街並みを頼りに、ふたりは高台へ向かった。 「たぶん、この辺だと思うんだ…」 男の子がそう言って、写真と実景を交互に見比べながらたどり着いたのは、モンマルトルの丘。 芸術家たちが今も筆を握るこの地は、昔から“画家の集う丘”と呼ばれていた。 丘の頂に着いたふたりを迎えたのは、絵を売るイーゼルとキャンバスの列。 通りには油絵の香りが漂い、陽射しの下で絵筆を動かす老画家たちの姿があった。 少年は歩を進め、絵を描いているひとりの年配の男性に声をかけた。 「Excusez-moi… Bonjour. Vous êtes ici depuis longtemps, monsieur ?」 (すみません、こんにちは。ここに長くいらっしゃいますか?) 「Oui, bien sûr. Depuis plus de vingt ans.」 (もちろんさ。もう二十年以上になるよ) 「C’est une vieille photo… Vous reconnaissez ce couple, peut-être ?」 (この古い写真に見覚えはありませんか?) そう言った少年から老画家は写真を受け取り、しばらく目を細めた。 けれど、ゆっくりと首を横に振った。 「Désolé, je ne crois pas.(申し訳ないが、見覚えがないな)」 その会話を、男の子の少し後ろで名前が見守っていた。 ジェラートのカップを胸元で抱えるようにしながら、まるで祈るような顔で。 男の子は次の画家のもとへ向かい、また同じように写真を見せて尋ねた。 けれど、返ってくるのはどれも同じ否定の言葉と、申し訳なさそうな苦笑い。 後ろでじっと見つめる名前に向け、何度か少年は小さく首を横に振った。 そのたびに、彼女の表情がすこしずつ影を落としていった。 --- やがて陽は傾き、石畳が夕陽のオレンジ色に染まり始めた。 ふたりは言葉少なに並んでベンチに腰かけ、パリの空を染めていく夕陽を眺めていた。 「……お父さんとお母さん、もう会えないんだって……」 ぽつりと、名前がつぶやいた。 「だから……せめて、お父さんがあのとき、何を見て、何を描いてたのか…… それだけでも知りたいんだあ……」 その声には、静かな決意と、どうしようもない寂しさが滲んでいた。 男の子はふと横を見る。彼女の横顔が、橙の光に照らされていた。 その瞳は涙ではなく、今では遠く柔らかな思い出を見つめていた。 そんな彼女になにか言葉をかけようとしたが、喉の奥がつまるようで、何も出てこなかった。 名前はそっと視線を落とす。 彼女の足元には、片方に可愛い赤い靴、もう片方にはボロボロのスニーカーが並んでいた。 それに気づいた瞬間、名前はふふっと小さく笑った。 変なの、とそう小さく呟いて前を向き直る。 「でもさ…今日、すうっごく楽しかったね!」 夕陽をいっぱいに浴びながら、 名前は男の子の方を見て、今度は心からの笑顔を見せた。 「ほんとうにありがとう!」 その頬はほんのりと赤く染まっていて、男の子は思わず目を見開いた。 胸が、どくん、と音を立てた。 数秒の沈黙のあと、男の子はふっと表情をやわらげ、 名前の目の前に手をかざすと、軽く振ってみせた。 すると、彼の指先から小さなピンクのバラの花がぽんと現れる。 彼お得意の手品だった。 「えへへ……わあ! なんか、キッド様みたい!」 名前は目を輝かせた。 ーー数ヶ月前、名前が父母が恋しくて堪らずに泣いていた夜のことだった。 バルコニーにふらりと現れ、同じように優しい手品を見せてくれた怪盗キッドの姿がよぎった。 男の子はバラを差し出しながら、小さくつぶやいた。 「……オレ、ーーー」 「…え?」 名前は、男の子が名乗ったような気がした。でも、そのときーー ゴォォォン…… 教会の鐘の音が空に響き渡った。音に遮られ、彼の声は掻き消されてしまう。 名前は鐘が鳴り止むのを待ち、もう一度問い直そうとした。 「ねえ、なんてーー」 「ーーお嬢様!!」 石段の下から、複数の男の声が響いた。スーツ姿の護衛たちが駆け寄ってきたのだ。 「ここにいらっしゃいましたか! ご無事で何よりです!」 「あっ待って、まだ……!」 名前はバラを受け取ろうと手を伸ばしかけたが、 その指先は届くことなく、護衛の手によってそっと制される。 そして、彼女はそのまま連れられていった。 振り返る間もなく、その場にバラだけを残してーー 少年は、あまりに突然の別れに茫然と立ち尽くした。 地面に落ちたピンクのバラを拾い上げ、しばらく見つめる。 「……ったく、名前くらい…聞けばよかったな…」 空に染み込むような夕焼けの中で、彼の声だけがそっとこぼれ落ちていった。 そしてその夜。この少年は家に帰ったあと、 当然のように母にこっぴどく叱られることになるのだった。 モンマルトルの丘 end |