「ここで待ってろ。ジェラート、すぐ買ってきてやっから」 日差しの柔らかい午後、少年は少女にそう言い残して、小さな屋台へと駆けていった。 ベンチにちょこんと腰を下ろした少女ー名字名前は、 幼いながらに可憐な顔立ちによく似合う、フリルのついたワンピース。 そして、赤くて可愛いらしい靴を履いていた。 少し前の名前はへろへろな父を連れて走り回っては、母に怒られていたような子だった。 そんな名前を抑え込むように、見た目は美しくとも走りにくいこの靴が名前は嫌いだった。 けれど、靴はもうすっかり泥に汚れている。 名前は今の汚れている靴の方がよっぽど好きになれた。 お父さんの絵…見つかるかな…と足元から視線を移し、遠くの水辺を見つめる名前。 けれどその隙間に、悪意は入り込んでくる。 「……え?」 背後から、誰かの手が少女の口を塞いだ。 驚く間もなく、彼女の小さな身体は持ち上げられ、路地裏へと連れていかれた。 人目の少ない細道。 もがいても、叫んでも、力の差は圧倒的で、 彼女の抵抗など、相手にとっては羽虫のようなものだった。 痛い。怖い。怖い。涙が頬を伝い、心細さに胸が苦しくなったそのときーー 「ーーっおいくそ野郎! そいつを離せ!!」 突如、男の子の声と共に空から舞い降りたのは、白いシルクハット。 追ってきた男の子が投げた手品用の帽子だった。 帽子が人攫いの前へ落ちると、まるで魔法のように中から白い鳩が飛び立ち、 続けて大量のトランプと花吹雪、テープが宙を舞う。 「C’est quoi ce bordel!?」 (な、なんだこりゃ!?) 人攫いが一瞬ひるんだその隙に、 男の子は名前を引っ張り、おかげで名前は人攫いの腕から抜け出すことができた。 「走れっ!!」 ーードンッ 男の子は名前の背中を押して、名前に叫び自分も駆け出そうとするーーが。 それよりも先に、人攫いの腕が少年を捕らえる。 少年に背中を押されて転びそうになった名前は、 背後から聞こえる「離せよ!」という少年の声に振り向く。 助けなきゃ、助けなきゃ。怖い。でもこのままじゃ、またーー。 「やめてーっ!!」 少女は脱ぎかけていた片方の靴を手にして、その小さな赤い靴を思いきり男に投げつけた。 見事に顔面へ直撃したそれ。男は「Aïe!(いて!)」と叫び、少年を掴む腕の力が思わず緩まる。 「ナイス!」 男の子はその隙に腕を振りほどき、少女の手を再び握り「逃げるぞっ!」と叫ぶ。 二人は手を繋いだまま、まるで風のように駆け抜けた。 息が切れ、鼓動が耳に響く。 走って、走って、ついに安全な広場まで辿り着いたとき、 少女はぜいぜいと肩で息をしながら、興奮した様子でぱっと顔を輝かせた。 「すっすごい!今のマジックほんとにすごかった!まるでキッド様みたい!」 「キ、キッド様ぁ?」 「うん!手品がうまくて、かっこよくて、優しくて…ヒーローみたいなの!知らないっ?」 「なんだそりゃ…」 先程まではよっぽど怖かっただろうに、 まるで先程のことを全て忘れたような、きゃあきゃあと喜ぶ名前の様子。 安堵半分、飽きれ半分だったが、 褒められていることにじわじわと照れてしまい、頬をかく少年。 そして、泥だらけで片方靴のない少女の足元を見る。 名前はその視線に気づき、靴下だけになった片方の足を気持ち少し引っ込めた。 「ったく…オメーはほんっと、お転婆だな……」 男の子は肩をすくめると自分の靴を片方脱ぎ、ぽんと彼女の前に差し出す。 「どうせ少し小さかったから、それやるよ」 「えっ…いいの?」 「おう。怪我されて泣かれるほうがめんどーだし」 「へへっ…ありがとう!うわっ、ぼろぼろだよこれ!」 「うるせーな!文句言うな!」 そうしてふたりは、今度こそ一緒にジェラート屋へと向かった。 --- もう、少年は名前をベンチひとり待たせることはしなかった。 ふたり並んで列に並ぶと、陽気な店主が少年と名前を見るとにやりと笑った。 「Eh ben dis donc, monsieur ! T’en as de la chance, toi ! Avec une jolie demoiselle comme ça ? Allez, c’est la maison qui offre !」 (いやはや、ムッシュー!お前さん、運がいいなあ!えらい可愛い子を引っかけたじゃないか!よし、店からのサービスだ!) 「んなっ……!」 顔をみるみる真っ赤にする少年。 盛られたジェラートには、ありえないほどのトッピングが乗っていた。 名前は目を丸くして喜び、少年の顔を見上げる。 「わあ!いっぱいおまけしてもらったね!おじさんなんて言ってたの?」 少年は少し顔を背けて、ぶっきらぼうに答えた。 「……お前が泥だらけだから、可哀想だってよ」 「えー!!!」 そして、じきに二人の笑い声が、春らしい優しげな青空に溶けていく。 名前も知らないふたりの、小さな午後の冒険だった。 |