青い空に、白い雲がぽっかりと浮かんでいた。 パリの石畳を踏みしめながら、二人の子どもが肩を並べて歩いていた。 一人は、どこか寂しげな少女。もう一人は、ちょっと生意気な口をきく少年。 「で? どこ行きゃいいんだよ、お前の“お父さんの絵”って」 名前はポケットから、2枚の古びた写真を取り出した。 まずはじめに、と男の子に見せた1枚目の写真には、笑顔の母と、今よりも小さな名前。 その奥に、遠く運河のような水辺とベンチ。建物の陰に隠れるような父の姿がぼんやりと映っていた。 「この場所…たぶん、ここのどこかでお父さん、絵を描いてたと思うの」 少年は写真をのぞき込み、少し眉をひそめた。 「うーん……こっからじゃ建物とかよくわかんねーけど… この水辺の感じ、昨日母ちゃんと通ったとこに似てたかも」 「ほんと!?」 「かも、な!」 ニカっと笑って返事をする少年。 名前はパッと笑顔になり、再び少年の手を引いて小さく駆け出した。 「よーし、じゃあ行こっか!」 「お、おい!だから引っ張んなって!」 --- 2人で駆けるパリの街は、まるで絵本のようだった。 オレンジの屋根、陽光を跳ね返す窓。小鳥のさえずりに、路上パフォーマーの音楽。 そしてゆるやかに流れる川ーーサン・マルタン運河が、風を連れて通りを潤していた。 「ねえ、ここの先、ちょっとだけ写真に似てない?」 「うん、角度的に……あ!」 男の子が前方の橋を指さし駆け出す。 「そこ渡って、左に行けばあの石のベンチあるかも!」 名前は男の子のその言葉にうんうんと頷き、男の子に釣られて橋に向かって駆け出した――が。 「きゃっ!」 橋の段差に名前の足が引っかかり、バランスを崩す。 隣にいた男の子も、思わず手を伸ばし名前を支えようとして―― 「うわっ、ちょ、おまえっ――!」 ――ドボンッ! 運河には落ちなかったものの、見事に二人とも地面に尻もちをついた。 泥はねがズボンとスカートに広がり、シャツにも茶色いしみが点々と。 「……いてて…ったく、どんくせーな!」 「……っ!」 その言葉に、名前の眉がきゅっと寄った。 「わ、わざとじゃないのにっ! そっちが、いきなり進むからっ!」 「はあ? 俺のせいにすんなよ! だいたいオメーがとろいのが悪いんだろ!」 「とっ…ひどい!そんな言い方ってないよ!」 「本当のこと言っただけだろ!」 「っもういいもん! ひとりでさがせるから!」 「……っ、おう!勝手にしろよ!」 ぷいっとお互いそっぽを向き、険悪な空気が二人の間に流れる。 その時だった。 「わん!」 元気な犬が一匹、川辺の道からすっ飛んできて―― 「うわあっ!」 「きゃっ!」 泥だらけの二人に、まるで遊び相手を見つけたかのように飛びついてきた。 口元には愛嬌、しっぽはぶんぶん、ぺろぺろ攻撃で抵抗もさせない。 「ちょ、やめろってー!くすぐったいっ!うひゃひゃっ」 「うわー!なめないでー!うぶぶっ」 飼い主はいないのか首輪はない。中型犬の雑種のようだ。 だが、この元気ぶり、周囲の人も微笑んで見ていることから、ここで可愛がられているのだろう。 最初は戸惑っていた二人だったが、だんだんと笑い声がこぼれ始めた。 「わははっ!元気いっぱーい!」 「もう!全身びしょびしょじゃんかよー!」 尻もちをついたまま、笑い転げる二人と、はしゃぐ犬。 そこへ通りがかった優しそうな老婆が、うふふと笑いながらハンカチを差し出してくれた。 「あ、ありがとうございます……」 「Oh là là… regardez-vous, on dirait que vous êtes tombés dans un pot de peinture」 (まあまあ……見てごらん、まるで絵の具の壺に落ちたみたいじゃないの) 「Désolé pour le bazar…」 (騒がしくしちゃってごめんなさい…) 名前は男の子と老婆が何を言っているのか分からなかったが、 老婆の優しい眼差しに心が少しほどけていく気がした。 飽きてしまったのか、犬はバシャバシャと水辺を跳ねながらどこかに行ってしまう。 老婆にペタペタと顔を拭いてもらいながら、犬の様子を見た名前と少年はちらりとアイコンタクトを取る。 そして、二人はふふっと小さく笑いあった。 --- そのあと、二人は運河沿いのベンチに腰かけた。 「ちょっと待ってろ。さっきの件は、ジェラートで手ぇ打ってやるよ」 「え?」 「オレの小遣い!今日だけ特別だからな!」 ちょっと得意げに言って、少年は屋台の方へ駆けていった。 その様子に名前はふふっと笑い、ベンチにそっと座る。 顔の泥をぬぐったハンカチを両手でぎゅっと握りながら、遠くの水辺を見つめた。 お父さんの絵…見つかるかな… 名前がそう思ったとき。 ――誰かの手が、名前の肩にふれた。 「……?」 振り向いたときには、もう遅かった。 大きくかさついた手が、名前の口をふさいでいた。声も出せず、強い力で体が持ち上げられていく。 え…? やだ…なに…!? 名前の瞳が見開かれた瞬間―― 少年は、ジェラートの屋台に並び、この事件にまだ気づいていなかった。 |