君に決めた!@
2012/09/26 20:51
涼森梢(すずもりしょう)、十七歳。
野球に人生かけてます。
◇◆◇
小学生の頃からずっと、リトルチームでキャッチャーとして野球人生を謳歌していた俺は、当然中学でも野球部に入ってキャッチャーを希望した。体格のあまりよくない俺がキャッチャーをやっていたと言うと、先輩たちはたいそう驚き、適性テストをする前から馬鹿にされポジション変更を強く勧められた。けれど、偶然にもその部にはリトルで一緒だった先輩がいて、キャッチャーとしての俺のことを絶賛してくれたので、なんとかポジションを死守できた。
もしあのままポジション変更なんかさせられたら、危うく恥ずかしい暴動を起こすところだった。キャッチャーをやるために生まれてきた男なのだと自負していた俺なので、俺のミッドはどんな魔球だって受け止められるんだ、俺のゴッドハンドには野球の神様が宿ってるんだーっ、なんて、厨二病が発症するところだった。危ない危ない。あのとき俺の実力を保証してくれた先輩には一生感謝しなければ。
それから順当にポジションをゲットし、相棒となったピッチャーと魔球の研究をしながらベンチを暖めているうちに一年生が終わった。
二年生になりレギュラーを勝ち取ったが、レギュラーの座を奪われた先輩キャッチャーとその仲間たちにボコられたり、俺の才能に嫉妬した一部の同級生たちに無視されたりした。散々な一年だった。
三年生になると、なぜか俺は主将になっていた。
中学生の憧れである全中では、一年の頃は予選敗退、二年ではなんとびっくり地区大会を勝ち進んで初出場なるも初戦敗退、そして三年ではまさかの大会準優勝までいった。
あの時は泣いた。嬉しくてじゃない。悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて、馬鹿になりそうなくらい泣いた。わんわんと大声をあげて、涙を拭うことさえ忘れて泣き喚いた。絶対に泣かないと思っていた相棒の目にも涙が浮かんでてさらに泣いた。泣きすぎて頭が痛くてその痛みでまた泣いた。
そして、相棒にしがみついて赤ん坊のように号泣する俺の姿が、翌日のスポーツ紙でも取り上げられ、地元の新聞や校内新聞にも大きく掲載され、あまりにもな羞恥プレイにまた俺はちょっぴり泣いた。
そして俺は高校生になった。
いくつかの学校からスカウトの話があったが、全部断った。有名私立校へ行くという相棒からの誘いも断った。理由は単純だ。女手ひとつで俺を育ててくれた母親が、仕事の都合で俺を連れてアメリカへと飛び立ったから。
野球は当然ながら続けた。
日本にいた頃でさえ貧弱だなんだと馬鹿にされてきた俺だったので、当然アメリカでも『そんなに小さくて細い体でキャッチャーできるの? ていうかキミ、そんなに綺麗な顔して男の子だったの?』オーマイガーと、馬鹿にされるのを通りこして本気でびっくりされた。本場のオーバーリアクションに感動していた俺は、後半の失礼な発言は右から左へと聞き流していた。グリーンとグレーを混ぜたようなヘーゼルの瞳をまん丸にして驚愕していたその男が、後の俺の相棒となる。俺よりふたつ年上の彼は、何かと世話を焼いて俺の面倒を見てくれた。心身共にイケメンだった。
そうして一年間、本場の野球に揉まれまくった。
母の長期出張が終わり、日本に帰ることが決まると、相棒がやけに真剣な顔で俺の肩を掴んで言った。
日本になんか帰るな、おまえだけでもここに残れ、俺が養ってやる、一生俺のそばにいろ、と。
こんなにピッチャーに必要とされるなんて、俺ってマジキャッチャーの鏡だな、なんて思いながらも相棒の誘いには首を振った。誰にも内緒だが、ちょっぴりマザコンの気がある俺なので、母親を一人にさせるなんて有り得なかったのだ。だから相棒やチームメイトたちとは、いつかメジャーで会おう、という大胆不敵な約束を本気で交わして俺は日本に帰った。現地妻を持った気分だった。いや、キャッチャーはピッチャーの女房役というから、現地夫かな。どうでもいいな。
日本では、ほとんど無名の高校に編入した。理由は特にない。母親がさっさと決めた。
アメリカ帰りのキャッチャーが入部するということで、部内は一時騒然としたらしいが、俺の恵まれない体格(それでも普通のひょろい奴らよりは身長も体重も筋肉もあるが)を見て、皆一様に肩を落としていた。そういう反応には慣れていたので、俺はとりあえずこつこつと頑張った。正捕手だった先輩キャッチャーより明らかに俺のが実力が上だったので、試合では先発に選ばれることが多かった。先輩には睨まれたが気にしないのだ。だって俺のが上手いもの。
しかし残念なことに、この高校には俺の相棒に相応しいピッチャーがいなかった。球種の多い上手い奴もいたし、俺のリードに素直に頷く可愛い奴もいたが、いまいちピンと来なかった。
中学時代は簡単に見つかったのに。中一の頃、ローテーションでバッテリーを組んで練習していたときに、ズドンと一発すげー重い直球ストレートを放った奴がいた。手がびりびりした。自分の決め球を難なくキャッチした俺を見て、そいつは言った。「俺の魔球を一発で捕るなんて……」と。俺は思った。「あ、こいつ俺のピッチャーだ」と。決して魔球という言葉に惹かれたわけではない。フィーリングとやらが合ったのだすごく。
アメリカ時代の相棒も簡単に見つかった。野球選手としては華奢な部類に入る俺に、キャッチャーなんか出来るわけがないとチームメイトが決め付けるので、だったらこの中で一番上手いピッチャーを出せ、そいつと俺で今からおまえらをノーヒットノーランしてやんよと強気に出た。そこで出てきたのが、決め球が豪速球のド真ん中ストレートのイケメンだった。ミッド越しでもびりびり痺れる感覚に、「こいつだ」と思った。
その決め球を最強の武器にした俺の華麗なる采配で、見事チームメイトをノーヒットノーランしてやった。
どうやら俺は、ストレートがすごいピッチャーが大好きらしい。その時やっと気づいた。
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