欲には限りがない。叶えたい望みは誰にだってあるものだ。望みが、希望が、野心があるのは恥ずかしいことじゃあない。そんなものはないと、怠惰に生きることを恥じるべきだ。わたしの言葉に、カリム・アルアジームは大きく口を開けて笑った。

「自分の人生に満足しろ、って神さまもいってるらしいぞ」
「わたしだって、人間の願いを叶えるように、って神さまに決められているんです!」

 何回も繰り返した問答に、いい加減面倒くさくなってきている。そもそもの大前提として、わたしも彼も神さまなんて信じていやしないのだから馬鹿らしい。さっさとこの男の願いを叶えて、また長い眠りにつきたいものだ。

「お前のご主人様は神さまじゃなくてオレだろ?」
「そうだよ、だから罪深いのぞみも大歓迎です」
「うん、特にないな!」

 満面の笑顔で、わたしの存在意義を否定してくる男に、長い魔人生で感じたことのないほどの屈辱をかんじる。あ〜はいはい、認めますよ! 確かにあなたは天才肌のお金持ちの権力者! ランプの魔人に頼ったりなんてしなくても、この世でできることのすべてが実現できるんでしょうね! じゃあ、わたしという資産を使わないままで溜め込まずに、次の人にチャンスを回してあげるべきなんじゃあないんですか。金持ちが資産を溜め込むから、世界から格差はなくならないんだ!

「オレはお前とずっと一緒にいたいだけだよ、ダメか?」
「眠りたいんですよ、眠らせてください」
「おいで、ベッドはこんなに広いんだから」

 またそうやって誤魔化してばかりで。どこからどこまでが本気なのか、わたしにはさっぱりわからない。わたしは疲れ知らずの働き者の魔人ですよ、床でも寝れるし、ランプの中にはお気に入りの枕もあるし。ご主人様のベッドは確かに大きくて、温かくてふわふわだけれども、ご主人様と眠るのは、なんだか気持ちが落ち着かないから好きじゃあない。子守唄だってわたしには必要ない。わたしについてるこの首輪が見えないんですか。子守唄を歌ってさしあげるのはわたしの役目ですってば。何度言い聞かせても、やりたいからやってると言うご主人様は、世界でいちばん我儘で傲慢で、最悪の最低だ。

「ひとりで眠るなんて寂しいだろ」
「ジャミルさんを呼べばいいんじゃないんですか」
「じゃあ三人で寝るか!」

 止める間も無くジャミルさんを呼びつけたご主人様が、警備がどうとかの適当な理由で丸め込まれている。ジャミルさんの言うことなら全部「そうか!」で済ませるの、ずるい。わたしの言うことも聞いて欲しい。結局、昨日と同じように、ご主人様の隣で寝転がって夜を過ごす。わたしの髪を撫でるようにご主人様の手のひらが動くのを、黙って好きなようにさせているのは、わたしが彼のしもべだからだということを忘れないでほしい。

「自由に生きて、眠って、これ以上の幸せなんてないだろう?」
「わたしについてる首輪、見えてないんですか」

 わたしの嫌味に、なんの動揺もみせることなく、ご主人様は静かにわらった。

「オレにもついてるぜ、金色のが」

 ああ確かに、このひとの手足にも、わたしとよく似た黄金の輪がはめられている。生まれたときから、すべてを与えられていた、あなたもわたしも。でも、あなたは王様でわたしは奴隷。一緒なんかじゃない。

「似たようなもんだって、王様も奴隷も商人も」
「じゃあ、自由にしてくれるんですか? わたしのことを」

 わたしの分不相応のおねがいを、ご主人様はあたりまえに断った。そんなことで傷つくなんて、傷ついているなんて、ありえるはずがない。だから慰めなんていらないのだ。わたしの背中をトントンと叩き、幼子を寝かしつけるように、抑揚をつけながらのご主人様の声に、髪がゆれる。

「たのしく生きよう、気ままに過ごそう、二人でさ」
「ねえ、叶えたい願いはないの?」
「ないなあ」

 ルールっていうのは、破るためにあるのだ。至言だとおもう。ルールを無視するほど楽しいことは、この世にないと思う。でも、それは人間的な感情だとも思うのだ。魔人的にはルールを大事にすべきだと思う。意味がないルールなんて存在しないんだよ、すべてに意味があることを忘れないでほしい。

「そういうもんか」
「その通りですとも、ご主人様」
「名前で呼んでくれ」

 一ミリも理解が得られない。わたしの嘆きに、ジャミルさんが諦めろ、と目で語ってくる。もしかして、唐突に耳が聞こえなくなっちゃったのかな? と思ったけれど、わたしの言い分をきちんと聞いて、噛み砕いた上で、自分の欲求を恥ずかしげもなく口に出しているだけのようだ。権力と反比例するものってな〜んだ? そうそれはためらいや思いやり、相手のことを慮る気持ち。

「それはお願いですか?」
「お願いしないと聞いてくれないのか?」

 そうやって、わたしの聞き分けが悪いような言い方をするのはやめてほしい。あと何回もいってますけど、お願いしてくださいって言ってるじゃないですか。願いをみっつ! それで笑顔でお別れしましょうってば。わたしの説得を憮然とした表情で聞き流すご主人様が、あとは任せた、とジャミルさんを前に出す。さすが金持ち汚い。
 ご主人様と自発的に呼び始めた理由が、ご主人様への服従の意思の表れなのであれば、当然呼び方の選択の権利はご主人様に帰属しており、わたしはご主人様を名前で呼ぶべきなのかもしれないと思い始めてきた。うっ頭が混乱する。頭のいい人の助言がほしい。できればジャミルの兄貴以外の人間で。弁護士を呼んでくれ! いや呼ばなくていいです、すみませんでした。わたしが悪かったです。名前で呼ぶくらい大したことじゃないですよ、わかってます。意地になってました。

「カリム・アルアジーム様」
「カリムでいいぜ!」
「滅相も無いです、カリム・アルアジーム様」
「おーい、ジャミル」
「これからもよろしく! カリム!」

 馬鹿みたいなやりとりが、馬鹿みたいに楽しいと思える事実が、心を粟立たせる。こんなおしゃべりに、意味も価値もないことを、自分が理解できなくなり始めていることが怖い。ロジカルな思考、それだけがわたしの持ち物。ランプの中に持って帰れるのは、この身ひとつだけなんだって、どうして忘れることができるんだろうか。

「なあ、笑うのは怖いか?」
「わたしに怖いものなんてないです」
「じゃあ、馬鹿みたいに笑おうぜ、オレみたいに」

 笑いに下賤も上等もないだろう、とわたしの頬に触れるご主人様に、言い訳がましく口答えをしなかったのは、きっと自分にまだ残っていた矜恃が理由だ。そんなものが、自分の中に残っているなんて、絶対に認めたくなんてなかったのに。

「お前はなんでも考えすぎなんだ」
「カリムみたいに考えなしのばかやろうじゃないだけです」
「考えるのはジャミルがしてくれるからな! オレのぶんはジャミルが、お前のぶんはオレが考えてやる」

 みんながみんな、ご主人様みたいにご機嫌な脳みそをしてないんですよ。そんな生き方をしてたら、脳のシナプスが死滅して、ボケが加速して、周囲に迷惑をかけて、恨まれながら死ぬことになる。こわ〜い声を出すわたしに、楽しそうに笑いながら、それでいいんだよ、とご主人様が演説でもするかのように、両手を大きく広げた。

「ふたり一緒に嫌われもの、やればいいだろ?」
「いやです〜 わたしは愛されたい系魔人なので〜」
「オレが愛してるってだけじゃあ不足なのか? 欲しがりなヤツだなあ」

 呆れたような声を出すご主人様の理屈はいつだって破綻している。ジャミルさんに全部放り投げるっていいながらわたしを囲い込んで、嫌われものでいいといいながら、わたしには愛を語る。ご主人様のこと、笑ってばっかじゃわからないよ、ばかやろう。
 大体の人間は、執着が原因で破滅する。結局、人生において大事なのは妥協なのだとおもう。適当に生きるのがいちばんだよ。わたしの長い魔人生経験からくる有難いお説教に、ジャミルさんが小さな声で「余計なことを……」とつぶやく。ジャミルの兄貴の言うことはいつだって正しい。執着もそうだが、余計な一言も同じくらい、人生において扱いに気をつけるべきである。

「じゃあ全部買おう」
「わたしの部屋の収納だって無限じゃないんですからね」
「そうなのか? 家買ってやろうか」

 わたしの家はランプだけだって何回いえばいいのだろうか。あとわたしのランプはご主人様が思っているよりも高性能で快適で最高のおうちだから! 窓と庭がないだけだもん! 窓と庭がないのは、別に、慣れればなんてことないっていうか。むしろ長期間を過ごすことを考えたら、時間の流れはわからないくらいがちょうどいいのだ。
 わたしの説明をまるっと無視して、ご主人様が次の店へと足を進める。買い物とか何が楽しいのかぜんぜんわかんない。しかも自分のためじゃないとか、何が目的なの? 贈り物はありがたくもらうけど、賄賂なら受け取らないですよ。

「じゃあお前は、何が目的でオレの願いを叶えてくれるんだ?」
「ランプの中で隠居生活するためですけど」
「へえ、楽しくなさそうだな」

 めちゃくちゃ失礼なんですけどこの男。失礼な発言をしたかと思えば、わたしの手を突然つかみ、どこかに走り出したご主人様に合わせて、わたしも慌てて足を動かす。ジャミルさん含め、セキュリティのみなさんは大混乱である。そうやって、気まぐれで周囲に迷惑をかけるの、ひととしてどうかと思う、けど、まあ、わたしは魔人なので、焦った表情をする人間を見て笑っても許されるのだ。ご苦労様で〜す。

「なあ、こうしてるほうが、たのしいだろ?」
「まあ……ってそんなに性格わるくないです」
「檻の中で、暴れてやればいいんだよ。オレたちにはそれが許されてる!」

 何か言葉を返そうとして、それよりも早くジャミルさんの腕がご主人様の襟を掴んだ。わるいわるい、と全く悪びれない謝罪をため息を飲んで受け取ったジャミルさんの隣で、ご主人様が、わたしに意味ありげに微笑んだ。

「でも、でも、誰がゆるしてくれるの?」
「神さまと父さんがオレを、オレがお前を」

 ご主人様が、さっき買ったばかりのスカーフを、わたしの腕に巻きつける。ご主人様の唐突な行動を、特に制止することもなく、ジャミルさんが見守る。ご主人様の思いつきに、誰も何も文句は言わず、多くの人間が、わたしたちの周りを囲んでいた。滑稽だなあ、と心の底から思った。愚かな人間も、憐れな人間も、いろいろな人間の願いを叶えてきた。理解できない望みもたくさんあったけれど、今ほどに、人間という生き物を軽蔑したのは初めてだ。

「望みを叶えてあげるよ、なんでも」
「オレと一緒に生きてくれ」
「わたしはさ、機能なんだよ、生きてないんだよ」
「オレもだよ」

バカバカしいなあ! どこにでもいける、なんでもできる、欲しいものは全て手に入るっていうのに! そんなもの、全部捨てちゃえばいいのに、と言ってあげればよかったのかもしれない。誰も彼に、そんなことは言ってあげたことはなかっただろうから。だから、わたしが言ってあげれば、それでよかったのかもしれない。

「必要ない」
「まだ何もいってない」
「なあ、お前は何が楽しいって思う?」
「……やっぱり豪遊ですかねえ」
「ようし! じゃあ旅行だ!」

 ジャミルさんがわたしを睨みつけるのを後頭部で感じ取りつつ、手枷に被せられるようにキツく巻かれたスカーフに触れた。
 今朝のご主人様は、いつにも増して元気いっぱいだ。わたしのための旅行だと勝手に勘違いしそうになっていたけれど、今回の旅の目的は、特にない。何の学びもなく、何の発見もないが、傍迷惑だけは人一倍の、ご主人様の道楽のお供をするだけ。

「楽しいか? そうかそうか!」
「飛行機のるのが初めてなだけです!」
「なんなら操縦もするか?」
「えっいいの?」
「そういうのは私有地でやれ、ここは公空だ」

 ジャミルさんのツッコミに、少しだけ浮き足立っていた気持ちが落ち着いてくる。うんそうだよね、わたしは万能の魔人なので、事故とかはしないけど、法律は大事……

「ねえ、今の、お願いじゃないからね」
「自分で飛行機とばすくらい、もちろんお願いなんかじゃないぜ」

 当然の権利だよ、ご飯を食べるのと一緒で、オレがお前に付き合ってほしいだけだよ、大丈夫だ、とご主人様が優しくわたしに笑いかける。まただ。そうやって、わたしにルールを破らせようとする。わたしはご飯だって食べる必要なんかないし、飛行機が欲しい人間に飛行機をあげることは許されていても、その逆は許されていない。わたしがしていいのは、そう、ご主人様の願いを叶えることだけなんだから。わたしのお願いを、人間なんかに聞いてもらう謂れはないんだ。

「ご主人様はたぶん悪魔なんだと思います」
「カリム」
「カリムはわたしを堕落させようとしてる、そういうのは良くないです」

 わたしの真剣な告発に、ご主人様はしょうがないな、とでもいいたげに笑う。

「悪人の願いを叶えるのは? 馬鹿らしい望みを叶えるのは? 曖昧な望みを自分の解釈で叶えてやるのは?」

 そんなの、わたしに聞かれてもわからない。神さまに会ったことがあるわけじゃあない。神さまの声が聞こえるわけじゃあない。ただ、神さま以外に理由が見つからない力を持って生まれただけで。ただ、できることをしてきただけだ。それ以外に、することなんてなかったから。

「そうだとも! できるってことは、許されてるってことだよ」
「神さまとおはなしすることは、わたしには許されてないってこと?」
「おしゃべりなら、オレとできるだろう」
「カリムは神さまじゃない」
「お前も、神さまじゃあないよ」

 言葉がでてこなかった。わたしは神さまじゃない。そんなことは、自分がいちばんよく知っている。そして、自分が何をできるのかも、知っている。ちっぽけな人間の、何十回分の人生をかけても不可能なことを、わたしは実現できる! でも、それはわたしのご主人様も同じなのだ。わたしの凄さは、この人間の前では、何の意味ももたない。

「そんな考えすぎるなって!」
「わたしは、ちゃんとしたいんです」
「もう着いたぞ! ほら、おいで」

 タラップが用意されるよりも先に飛び降りてしまいそうなご主人様に手を引かれて、開けられたドアの向こうを覗き見る。太陽は沈んで、何色もの光が点々と、人工的な道の上に規則正しく並ぶ。いつか、むかし、教えてもらった「旅」とは全く違っていて、でもこれは確かに、この時代の旅だった。思いつきでカバンに洋服を詰め込んで、気の向くままに船を動かして、そうして、窓を開けると、経験をしたことのない匂いがする。

「わたし、気づいちゃったんですけど」
「どうした?」
「魔人にも嗅覚ってあったんですね」
「当たり前だろ、そうでなきゃ、あんなに美味いお茶を淹れられるわけがない!」
 「おこられたな」
「おこられたのはカリムでしょ、わたしは関係ないです」
「うるさい、黙って座ってろ」

 遺失物届けにするか、盗難届けにするか、ギリギリまで頭を悩ませていたジャミルの兄貴の苦々しい表情が見えていないのか、朗らかな笑顔を崩さないご主人様が、数百万ドルくらいするらしい腕輪を落っことしたのはつい数刻前だ。よくもまあ、お付きの人間全ての目をかいくぐってそんな妙技を実行できるものだ。信じられない。魔人パワーでみつけてあげようか? と聞いたときに、ぜひそうするべきだと言ってきたジャミルさんの目が本気だったことに、ご主人様は気づかなかったのだろうか?

「ああくそ、先に言っておくが、明日からの観光もやりにくくなるぞ」
「それは困る。なんとかしてくれジャミル」

 腕輪ひとつで大事になっちまったなあ、と難しい顔をするご主人様が、いっそ見つかったことにしないか? と言い始めて、ジャミルさんのストレスが危ない数値に届きそうだったので、わたしはご主人様に子守唄を要求することにした。
 ジャミルさんが用意してくれた部屋は、いつもどおりの快適さで、いつもと違うところは、そんなに多くはない。ホテルではないから、こんなものだろう。ただ少しだけ、窓から見える景色が、少しだけ違うだけ。そんな窓なんか知らないふりをして、さっさとベッドに寝転んだわたしを無視して、ご主人様がベランダに向かう。お前もこいよ、と大きな声を出すご主人様にとって、今回が初めての旅というわけではないだろう。これからも、望んだときに、望んだ場所に行けるのだろう。だから、よくもまあそんなにはしゃげますね、なんて嫌味を言ったのは、たぶん妬みだ。

「何言ってんだよ、初めての旅行だぜ」
「へえ〜」
「父さんに無茶言ってきたんだよ、お前と旅行したかったからな」

 ご主人様は、どちらかというと見栄っ張りだ。虚勢を張るタイプではないが、粋かどうかを気にする。つまり、ご主人様が無茶というのであれば、きっと本当に無茶を言ったのだろう。

「ご主人様は、自由にどこにでもいけるのかと思ってました」
「もちろん、オレは行きたい場所に行くぜ、お前もそうだろ」
「……わたしには無理です」
「なあ、いいかげん諦めようぜ、オレの言う通りに生きればいいだろ」
「わたしに叶えて欲しい望みでもできましたか?」
「お前の望みをオレが叶えてやりたいんだ」

 王子様みたいだなあ、とおもった。けれど、このひとは王子様じゃない。だって、あの夜、わたしは一度、自分の望みをこの男に否定されている。自由にしてほしい。枷をとって、ただの人間になりたいと。一瞬でも、それを叶えてもらえると思った自分がはずかしい。わたしがもし、わたし以外のランプの魔人をみつけたら、絶対に誰にも渡したりなんてしないだろうから。

「わたしの願いは、ご主人様には叶えられませんよ」
「ようし! いい度胸だ! これで一回ふりだしにもどる、だ」
「なぁんで嬉しそうなんですか」
「そろそろ寝ようぜ」

 眠くなった、とわたしの上に覆い被さってくるご主人様をどかそうとして、名前で呼ばなかった云々つつかれるうちに、面倒くさくなってしまったので、好きにさせることにした。男性にしては小柄なご主人様は、こうして横になっていると、わたしより厚みがあって、とても重たい。体重をかけられると、潰されて死んでしまいそうだ。ぐちゃ、なんてね。
 一度物理的にペタンコになってみせると、先ほどまでは眠そうな顔をしていたご主人様の目が爛々と輝く。ええ、もう一回? どうしようかなあ。ペタンコになるのも疲れるしなあ。とかやっていたら、怖い顔をしたジャミルの兄貴が部屋に入ってきたので、大人しく眠ることにした。今回はお前が悪いだろ、って今回だけじゃないですか! ご主人様は四六時中悪いのに、いっつも怒られないのズルくないですか! 「ジャミル、そろそろ許してやれ」ってなんで上から目線なんです? 大声で騒いでたのはご主人様も一緒じゃないですか! ねえ!
 寝て起きたら朝が来る。これは結構すごいことだと思う。魔人的にも深く同意できることだ。でも、そんなふうにカーテンを全開にする必要はないんじゃあないかと思うんですよ?

「お前はアレだなあ、朝に弱いんだな」
「わたしは全てにおいて万能で最強ですけれど!?」
「よし起きたな、観光行くぞ!」

 あまり釈然としなかった。だってご主人様だって朝に強いわけじゃないし、なんなら今は昼だし、いや別に昼に弱いわけでもないけどさ。むくれてないです、うるさいです。いや別に好きでくっついて歩いてるわけじゃないですよ。お願い終わらせたらすぐ消えますもん。なんなら一時的にも消えてますか? しゅわっと姿を消すと、慌てた様子のご主人様が戻ってこ〜いと叫んで走っていってしまった。戻るべきはご主人様の方だと思います!

「お前、カリムを殺すつもりか」
「……もうしません」
「ほんっと、心配させるなよ〜」

 言い返してやりたかったけれど、ジャミルの兄貴の言う通り、不思議な巡り合わせでご主人様が死にかけたのは事実なのだ。どうやったらあんなにアクロバティックに死ねるのか、不思議でしょうがないけれども、だ! 今回の事件が故意ではないとしても、わたしにはご主人様の監督責任があったはずだ。生き物のお世話をするときには、常に理不尽な責任が伴うのだ。

「オレから離れちゃだめだろ」
「カリムがわたしから離れちゃだめなんです」
「そうだよ、オレはもうお前がいなきゃ駄目になっちまった」

 じゃあ、それなら、一緒に生きていけばいいじゃないですか。人間になったわたしと一緒に。でも、わたしがただのひとになったそのときには、ご主人様はわたしのことなんてどうでもよくなっているのかもしれない。わたしが魔人をやめたら、王様のそばにいる資格がなくなってしまうのかもしれない。じゃあ、ご主人様が王様をやめたら? そうしたら、わたしと一緒に生きることに価値なんてなくなってしまうだろう。毎日を生きるのに必死で、特別な仲間を探さなくても、周りは自分と似たような人間で溢れている。なんでも叶う願いが三つと、世界でいちばんのお金持ちの放蕩息子が揃って、誰の望みも叶えられないことがあるなんて。

「ままならないですねえ」
「なんとかなるよ、なんだって、なるようになるさ」

 なるようになったら、順当にいけば、多分、その結末は、わたしたちはお別れすることになるんじゃないかな、と言ってやろうとしたけれど、うまく口が動かなかった。当たり前のとこを、わざわざ口に出す必要はないかな、とおもっただけだ。それに、ご主人さまはその結末を歓迎しないだろうから。わたしは良いしもべなので、ご主人様を悲しませないのだ。えらい。

「ずうっとこうしていればいいだろ? 一緒にたのしく遊んで踊って」
「首輪がついた友人が好きなんですか?」
「首輪がついてない人間以外は、許されてないんだよ」

 ジャミルや父さんが、お前とオレの関係を認めてくれるのは、その金ぴかの綺麗な鎖のおかげだよ。満面の笑顔で、ご主人様はわたしの首に触れる。ありがたいなあ、こうやって、オレのためにお前がこうしていてくれるのは、有難いことだ。信用するとか、しないとか、そういう問題じゃあないんだ。最初から、そういう決まりなんだ。生まれてきたときから、そういう生き方以外は用意されていなかった。その通りに生きるか、すぐに死ぬか、そういう生まれ。

「お前に枷がついてる限り、オレはお前と一緒にいられる」
「それは、お願いですか?」
「ああ、お願いだ。ひとつめの」

 永遠に自由にならないでくれ。お前がいつか、煙のように消えてなくなる日がくるとしても、その最後の一瞬まで、不自由で、万能な奴隷でありつづけてくれ。

「了解しました、ご主人様」

 わたしはなんだか、気持ちがスッと軽くなって、顔には自然と笑みがつくられていた。
 骸骨みたいにガリガリに痩せているひとがいた。ご飯が食べたいと言われたから、ご飯を出してあげると、彼はすぐに吐き戻した。盲目のやさしい老人がいた。目が見えるようになりたいという願いは、いちばん最後に叶えられた。彼はたしか……

「結局なにがいいたいんだ?」
「わたしってもしかしたら悪魔なのかもしれない」

 ランプの魔人に出会って、ただしく願いをつかえる人間というのは、存在しないことの証明。人間の悪徳を曝け出し、堕落させる、それがわたしの役目なのかもしれない。わたしは自分が、もうちょっと美しい生き物だと今の今まで信じていたのだけれど。

「お前はランプの精だよ、間違いない」
「どうして? まともに人間を幸せにできたことなんてないのに」
「オレを幸せにしようって頑張ってくれてるだろ」

 それはどうだろうか。今日に至るまで、わたしはかなり適当に自分の役目をこなしてきた。人間の願いを叶えることよりも、ランプの中で眠っているほうが好きだったし。ためになる、ならない、でご主人様と言い争いをするだけの気力も持ち合わせてはいなかったし。でも、今になって、自分の手枷足枷が永遠に外れないとわかってしまって、ようやく真面目に仕事に向き合い始めだしている。生まれてから何千年も経ってようやく、自分の生まれに納得したのかもしれない。

「おいおい、仕事をがんばりますはないだろ」
「じゃあなんていえばいいんです?」
「人生に楽しみを見つける余裕が出てきた!」

 余裕はどんな金銀財宝にも勝る財産だ、だなんて、金銭に困ったことがないご主人様が言ってもいまいち説得力に欠ける。

「あとはそう、オレのことを愛してるっていってくれ」
「……しりませ〜ん」

 わたしがわたしにつけられた首輪に納得していなかったことを、このひとはきっと最初から理解していたんだとおもう。そして、わたしが納得したことを知って、ご主人様は安心したのかもしれない。わたしたちの本質が、在り方が、また一歩近づいたと。
 まあ、だからといって、好きだなんだと、わたしが言い出すと思ったら大間違いだ。ちょっといきなりすぎるっていうか、戸惑うっていうか。他人の感情をどうこうするお願いは、わたしには叶えられないし、自分の感情も、そんなに簡単には整理できない。

「でもまあ、今日からご飯はたべようかな」
「まってろ、オレが肥え太らせてやるぜ!」

 人間にはなれないんだから、人間みたいに振舞っても許されるんじゃあないだろうか。どこまでいっても、わたしのこれは人間の猿真似なんだから。美味しいものを食べて、飛行機を乗り回して、ひとといっしょに踊って、眠って。だって、そうしても、誰もわたしを怒らない! ご主人様が、わたしにそれを許してくれているんだから。

「ただしさなんて必要ない、たのしく生きようぜ!」

 オレたちにはそれが許されてる、自由に振舞って、気の向くままに他人を自分のために動かす力がある。できることをやるだけ!

「腕輪、すぐみつかりましたね」
「ああそうだよ、見つからないはずがない。絶対にオレの元に戻ってくるに決まってた」
「ニュースでカリムの感謝状が読み上げられてましたよ」
「ええっ、気づかなかったぞ!?」
「日本語でしたから」
「ジャミル! 録画してないか?」

 してるわけないじゃん、とおもったし、実際にしていなかったけれど、ジャミルの兄貴はどうにかして三十分後には映像を手に入れていた。知らない国のニュース番組をみて、ニコニコとご機嫌なご主人様に、ニュースキャスターの言葉を翻訳してあげる。結局のところ、用意されているかどうかと、手に入るかどうかは、全く別のレイヤーの問題なのだ。好き勝手に駄々をこねて、できることの限界なんて考えずにつっぱしる。そうやって生きてきたのだろう、このひとは。

「カリムってもしかして、頭いいひと?」
「語学は得意だぜ! ツギノニュースデス!」
 生きるためには、食事がいる。じゃあ、食事が必要ないわたしは生きていないんじゃあないだろうか。元気に夜食を食べるご主人様をみながら、そんなとりとめのないことを考えていると、フォークを口元に運ばれたので、おとなしく口を開ける。ジャミルの兄貴の料理は美味しい。味はわかる。でもそれは、わたしが楽しむためじゃなくて、人間に料理をご馳走できるようにするための能力だ。まあ、料理したことないけど。魔法でポンッとだすからね。

「お前は陰気だなあ」
「ご主人様は失礼だなあ」
「カリムだろ」
「カリムの言葉に傷つきましたよわたしは」

 よーしよし、とわたしの頭を撫で回すご主人様は、慰めているつもりなのだろうか。馬鹿みたいだなあ、と思ったけれど、反応するのも面倒だったので好きにさせる。

「じめじめしてても気にすんなって、乾かせばいいんだから」
「カリムって、ものすごく馬鹿ですよね」

 慰めの言葉で乾かせばいいって聞いたことない。それって、洋服に水をこぼした時にしか使えないセリフだと思うよ。いやそれもどうかと思うな、大事な洋服に水をこぼして、こんな能天気な男にそんなセリフを言われたら腹が立つだろうな。

「洋服なら買い直せばいいだろ、オレが買ってやるから」
「うん、カリムはそっちのほうがいいと思います」

 無駄話をしていたら、さっきまで何をぐるぐると考えていたのか忘れてしまった。自分の脳の衰えを感じるなあ。自分が確実にバカになっていっているというのに、わたしはそれが嫌だとはあまり思わなかった。魔法を使うのに、INT(知力)は必要ないのだし。指をふって、お茶とお茶菓子をテーブルの上に出現させる。わたしが何かを言う前に、コップに手を伸ばすご主人様には何も言うまい。

「やっぱり甘いお茶は最高だな」
「一応いっておきますけど、緑茶のスタンダードな飲み方はノンシュガーです」
「貧相だな!」
「慎しみ深いっていいましょうね。侘び寂びです」

 教養がないわけじゃあないのに、ご主人様はどうしてこんなに無遠慮で雑でデリカシーに欠けるのだろうか。誰も本気で怒らないからだね。でも、わたしだって、誰にも怒られたことなんてないけれど、人並みの配慮はできてきたつもりだ。こわくないのだろうか、嫌われるのが、疎まれるのが、怖がられるのが。ひとりぼっちで、生きていくことが。

「ああ、そうだな、さびしかったな、わかるぜ」
「カリムのはなしをしてるんです」
「そうだったな!」

 世界の天辺からは、いちばんきれいな星空がみえる。視界を遮るものはなにもない。なにもないから価値がある。本当に必要なものだけ持ち込むんだ。広い空間に、自分と、自分を楽しませるものだけが存在する。そういうことが、本当の贅沢ってものだ。
ご主人様の言葉が、鉛のようにわたしの胸に沈んでいく。広い空間、必要最低限のもの、誰も入ってこない、ひとりだけの部屋。

「カリムは、ランプの中に入ったことがあるの?」
「あるわけないだろ? いれてくれるのか?」
「カリムは? わたしをそこに連れて行ってくれる?」

 ご主人様が、目を細めて笑う。いつもみたいに、口を大きくあけた陽気な笑顔とは違う、静かな笑みを浮かべる。

「お前に会ったときに、置いてきちまった」
「わたしがいなくなったら、またそこに戻るの?」
「手を離さなければいいだけだろ」

 ご主人様の腕が、わたしの背中にまわされる。わたしにもたれかかるような抱きしめかたは、少し息苦しいくらいだったけれど、そうしてもらわなければ、わたしの方がご主人様に縋っていたかもしれない。




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